心に残る一冊 その77   「粗忽評判記」

山本周五郎の作品に「粗忽評判記」というのがあります。山本は好んで江戸時代に材をとり、市井の人々の悲喜や武士の哀感を描きます。庶民の側に立つという徹底した文筆態度です。権威ある者を風刺するような描き方をするのもあります。「粗忽評判記」もそうです。「小説というのは読後感が爽やかでなければならぬ」という信念を持って書いたといわれます。この作品も笑いがこみあげてくるようです。

主人公は苅田久之進という粗忽者です。粗忽とは、間抜け、おっちょこちょいということ。久之進の主君三浦壱岐守明敬も彼に劣らぬ粗忽な人です。壱岐守は、性急な質で忘れっぽく耳が早いという粗忽者の典型です。他方、久之進は落ち着き払って粗忽なことをやるので目だつこともこの上ないのです。

ある時、この二人が競争馬のことで馬と技の優劣を論じ合っています。壱岐守は次第に旗色が悪くなるので大いにせき、「では囲碁で勝敗を決めよう」と提案します。
「いかにも承知でござる」
久之進はにやにや笑いながら立っていきます。間もなく将棋盤を持ってきて据えます。落ち着いたものですが、肝心の物を間違えています。当人も気がつかないし壱岐守はもとより大いにせきこんでいるので、すぐに駒箱を明けながら「許す、先手で参れ」と云うのです。

「それはなりません。先手は下手なほうがとるもの。お上と拙者とでは段が違います」
「余の命令じゃ、先手で参れ!」
「御意なればやむを得ません、では、、」
久之進はしぶしぶ駒箱の中へ手を入れます。

ここで久之進は気がつくかと思うのですがそうではありません。指先で駒を弄りながらはてなと考えだします。碁は打つもの、将棋は並べて指すものです。駒と石とが違うのですから摘んではみますが、具合が変なのは当たり前です。

壱岐守も,駒を捻っていましたが、久之進の様子をみて、こいつまた何かそそっかしいとをしたなと思います。粗忽人の癖としてこうなると「失策だ」という考えだけで突き当たって他のことは忘れてしまうのでのす。しばらく駒を弄りまわしていましたが、ついに壱岐守がとって付けたように笑いだします。
「どうだ久之進、えーーどうだ、あははは、参ったか!」
何がどうなのか分かりません。ところが久之進のほうもまたひどく恐縮した様子で、「いやどうも、まことにどうも」
「あっははは、どうだ久之進、どうだ、どうだ、あっははは」

しきりにどうだ、どうだと云って笑っているのです。久之進も笑いだします。二人でしばらくけらけら笑っていましたが、やがて碁のことには一言も触れず、揃って庭のほうへ出て行くところをみると、両方とも何を間違えて可笑しくなったのか分からずじまいらしかったのです