心に残る一冊 その60 「土佐の国柱」 町奉行日記から

主人公は土佐藩の高閑斧兵衛という山内一豊の懐刀です。かつて一豊は安土の馬寄において、妻が金十両をだして良人に名馬を買わしめたというので信長の目にとまり、出世の端緒を得ます。斧兵衛はずっと一豊に仕えてきたのです。慶長五年、一豊は土佐に封じられます。長宗我部が長年領主として君臨してきた土佐です。名君として領民によって神の如く崇拝されたのが長宗我部一家です。

一豊が土佐にやってきたのですが、長宗我部を慕う土民が多く、一豊も施政の上で苦労するのです。一豊が亡くなりその息子山内忠義が跡を継ぎます。実は一豊の死に際して、追腹を切るつもりであった斧兵衛ですが、一豊から「三年待て」といわれていました。

一豊の百日忌の仏事の行列に土民の中から生魚が投げ込まれます。家来達は土民を捕らえ斬ってしまえと叫びます。そこに一豊の寵臣であった斧兵衛がやってきて、「鎮まれ!」と叫ぶのです。それは土佐の旧領主長宗我部の遺徳をいまだに慕う領民を山内側に統一せよ、と生前に一豊に言い含められていたからです。我慢せよという意味が込められていたのです。

斧兵衛は手を尽くして領民の慰撫につとめるもその効果が上がらず、藩内からも斧兵衛の手ぬるさを非難する者も多くいました。やがて斧兵衛は反山内派の豪族や残党を集め、彼らと共に山内に叛旗をひるがえそうと密謀します。斧兵衛の娘小百合がその密謀を知って隣に住む池藤小弥太に伝えたのです。実は小百合が密謀を知ったのは偶然ではなく、斧兵衛が反山内派の一味を滅ぼすための苦肉の策であることをほのめかしたのです。そして密計は発動前に発露し、斧兵衛も討手の小弥太の手にかかり討ち取られます。

最期に及んで「最早お家は万歳!」と笑みを湛えた斧兵衛を小弥太はみるのです。こうして反山内の一味は滅ぼされます。山内忠義はこれをきいて感動に震えます。そして「斧兵衛は土佐の国柱なり」と述懐するのです。斧兵衛は当家にとって格別な者であることを知ったのです。一豊と斧兵衛の心と心がかくまで触れ合うものかと忠義は思い起こすのです。