車社会の風景 その十一 カーシェアリング

カーシェアリング (car-sharing)の発祥地はわかりませんが、恐らくはヨーロッパではないかと思われます。なぜなら昔から公共交通機関や自転車が発達していたこと、国土が狭く大気汚染に敏感なことが指摘されます。広大なアメリカでしかも石油の産出国ですから、この地でカーシェアリングが起こったとは考えにくいです。

1978年に始めてアメリカに出掛けたとき、ガソリンは1ガロンが1ドル以下でした。1ガロンは3.79リッターですから、中型車や大型車がバンバン走っていた頃です。私の最初の車は、中古車でしたがシボレー・マリブ (Chevrolet Malibu)。当時は手ごろな値段で中型のファミリーカーといわれていました。でもガソリンを相当食う車「gas-guzzler」でした。

アメリカ人は、車を財産や資産として所有するのではありません。単なる足と考えていますから、車の手入れは杜撰なようです。走っている車は大抵はどこかに傷やへっこみがあります。それと自動車を保有する費用が安いことも車社会を形成する理由です。自動車取得税とか自動車重量税はありません。車検もありません。大抵の家には2台分のガレージがあり、簡単な整備、例えばオイルやエレメントの交換、ラジエータの洗浄などは自分でやりますから、費用があまりかからないのです。カーシェアリングなどの概念が浮かばなかったと考えられます。

ですが、アメリカではレンタカーが発達しました。空港まで自分の車ででかけ、そこで預けて到着地でレンタカーを利用するのです。そして今はカーシェアリングがアメリカの大都会の周辺でも非常に普及しています。アメリカ人の車を利用する意識が変化してきたのです。それにはガソリン代の高騰や交通渋滞、駐車場探しの難しさなどがあるようです。我が国も三大都市圏や政令指定都市でカーシェアリングは都会で非常に盛んになりました。公共交通機関網が張り巡らされているのですが、利用のつど鉄道、バス、タクシー等の乗り換え、運賃という煩雑さの要因がカーシェアリングを押し上げてきたようです。