北方領土を考える その二 国後島と択捉島とアイヌ語

プーチン大統領と安倍総理との山口と東京における鳴り物入りの会談が終了。ロシアは「人たらしの術」によって北方領土はにべもなく、双方は四島については「特別制度による検討」、「共同経済活動」とやらで合意したそうです。経済協力先行を主張するロシアの手練手管に翻弄されたようです。

日露首脳会談

北方諸島の名称のことです。アイヌ語で「草の島」を意味するのが「国後」。アイヌの人々は「キナシリ」と呼んでいました。アイヌ語で「岬のあるところ」を意味するのが「択捉」。アイヌの人々は「エトゥ・ヲロ・プ」と呼んでいました。

択捉島の中心は紗那、しゃな、という部落でした。アイヌ人は「流れ下る川」を意味する「サンナイ」と呼んでいたとされます。戦前生まれの人なら択捉島を知らなくて単冠湾を知っているでしょう。そうです。真珠湾攻撃前に極秘裏に帝国海軍の連合艦隊が集結した場所です。アイヌ語で「ヒトカップ」と呼ばれました。ヒトカップとは「山葡萄の樹皮」を意味したようです。

国後島に住んでいたアイヌ人が「チャチャ」、または「チャチャヌプリ」と呼んでいた山があります。チャチャには「爺々」という当て字がついています。「チャチャヌプリ」とはアイヌ語ではお爺さんの山という意味だそうです。

樺太ですが、樺太アイヌ語では、「陸地の国土」を意味する「ヤンケモシリ」と呼ばれ、 北海道アイヌ語では「カラプト」と呼ばれたようです。江戸末期、松前藩の記録には「唐渡之嶋」とあるようです。

私が樺太で生まれた町は真岡(まおか)の由来です。真岡はアイヌ語で「マオカ」。その意味は「静かな場所」、もう一つは「マ・オカ」で川口が入江になっている海岸という意味だそうです。今はホルムスクと呼ばれています。最も大きな町は豊原でした。豊原の旧名は「オロコトイ」です。アイヌはウイルタ族をオロッコと呼んでいました。オロッコ・トイ(オロッコ族・原)からきた地名とあります。

先住民族のアイヌ、オロッコ(Orok)、ギリアーク (Gilyak)は北方諸島の地名と切っても切り離すことができません。