ウィスコンシンで会った人々 その110 ヤブ医者噺 「薮医者」

小石川養生所ができたのが1722年。質素倹約を推奨していた八代将軍徳川吉宗、直々の命で建てた医療、福祉施設とされる。困窮者救済が主たる役目だった。もともと幕府の薬草栽培施設だったのが小石川御薬園。低地と湿地のためいろいろな薬草も繁茂していたという。そこに養生所を建てたのである。都心にあって静けさが横溢し緑が滴るところである。小石川は台地や傾斜地となっていて、泉水が豊富に湧き出すなど地形の変化に富んでいる。今も養生所で使われていた井戸が残されている。現在は東京大学小石川植物園となっている。

山本周五郎の「赤ひげ診療譚」は、長崎で修行した医師保本登、その師匠の赤ひげによる不幸な人々の救済物語である。「譚」とは物語という意味。落語などで登場する藪医者は、「藪井竹庵」。藪医者をなぞらえて用いられる。主人や旦那のもとで働く人物の代表は権助で、演目でしばしばでてくる。

はやらない藪医者の藪井竹庵。あまりにも患者が来ないので考えたあげくに、奉公人の権助をサクラに使うことを思いつく。権助に玄関前で患者の使いのふりをさせて「こちらの先生はご名医という評判で……」と大声を張り上げれば、評判が立つだろうという計画だ。正直な田舎者の権助は、間違って患者が来たら可哀そうだとこの計略に乗り気がしない。だが計画の練習が始まる。

「お〜頼み申しますでのう」と玄関先で大声をはりあげる権助に藪医者は「どおれ、いずれから?」と応対する練習である。

権助 「(普通の声で)はい、お頼み申します、お頼み申します」
藪医者 「それじゃぁ、聞こえない、」
権助 「えっ?」
藪医者 「聞こえないよ」
権助 「聞こえねぇことなかんべ」
権助 「おめぇ様、そこに居るでねぇか」
藪医者 「いや、あたしに聞こえても駄目だ、外へ通る人に聞こえなくちゃいけない」
藪医者 「大きな声で、ひとつ、やってみてくれ」

藪医者は権助に、どこからやってきて何をしているかを指南する。

権助 「お頼み申します、お頼み申します」
藪医者 「大きな声で何屋何兵衛だといえ」
権助 「お頼み申します、何屋何兵衛という、、」
藪医者 「そうじゃない。伊勢屋九兵衛という酒屋からまいりましたか、とかなんか言ってみろ」
権助  「繁盛しそうな名だ」

藪医者と権助の練習は続く。

権助 「神田、三河町、越中、源兵衛ちゅう、米屋からめいりました」
藪医者 「なるほど、うまいな、声も大きい」
権助 「どうだ、うまかんべぇ」
藪医者 「はい、神田三河町、越中屋源兵衛という米屋さんですか、」
藪医者 「して、何のご用で?」
権助 「先月のお米の勘定を、もれぇに来た」
藪医者 「冗談、言っちゃぁいけない」

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