【話の泉ー笑い】 その二十七 落語 その2 落語の成立

Last Updated on 2023年5月31日 by 成田滋

落語の成立についてです。世界百科事典によりますと、もともと1681年から1688年にかけての天和・貞享時代に上方を中心に「軽口」「軽口ばなし」と呼ばれました。しかし、上方の衰退期といわれる1764年から1781年の明和・安永時代の終わり頃になると、江戸に移って江戸小噺時代になります。その頃は「おとしばなし」と呼ばれました。「らくご」と読むようになったのは1887年頃といわれます。このように落語の成立期や熟成期は、江戸時代後期から幕末、そして明治時代にかけて形づくられたといわれます。落語が普及したのは昭和に入ってからです。

One man story teller

時代の暮らしぶりや風俗を背景にしたものが演目の中心です。武士や大名も登場しますが、圧倒的に多いのが江戸期の町人であり長屋の住人である職人らの庶民です。彼らは生きいきと描かれ,権力におもねることなく、むしろ権力をあざ笑う庶民のうっぷん晴らしの芸として語り継がれてきました。

落語の基本構成は「マクラ」「本題」、そして「オチ(サゲ)」からなります。マクラは導入部で、ごく自然に本題に入るための流れをつくります。そこが噺家の腕とされます。噺家は「マクラ」を喋るのではなく「マクラを振る」といいます。

本題につづいて「オチ」で噺を締めるのですが、オチのない人情噺では「〜〜という一席でございます」などの言葉で締めるようです。例えば『八五郎出世』という演目では、調子者の八五郎の妹お鶴が側室となり子どもを生みます。その慶事に八五郎は殿様に招かれ都々逸などを披露し、それにより仕官にとりたてられるというお目出度いところで終わります。

【話の泉ー笑い】 その二十六 落語 その1 古典落語と創作落語

Last Updated on 2023年5月30日 by 成田滋

庶民の楽しみ

私が落語を嗜むようになったのは定年退職後です。それまでは、仕事が特に忙しかったわけでもなかったのですが、他にマラソンをやったり藤沢周平の本を読んだり、カメラをいじったりして落語を楽しむ余裕がありませんでした。

iPodを手にしてから、さてなにを入れようかとしたとき、音楽に加えて落語が有料、無料でネット上で沢山あることを知りました。それ以来iPodに落語をため込んでは歩きながら、山登りを楽しみました。落語の楽しみが少しずつわかり始めました。それは演目もさることながら、噺家によって落語の内容が聞き手に異なって伝わることでした。一つの演目をいろいろな噺家で聞くという贅沢さが楽しくなりました。

江戸時代の噺家

落語は、「落とし話」といわれるように大抵の場合そのお終いに「サゲ」とか「オチ」があります。英語では「punchline」といいます。これを期待して聞き手はどんなサゲなのか、とワクワクしながら待つのです。古典落語はレパートリーが決まっているので、演者の語り口の違いを楽しむことになります。さすがに名人と呼ばれる噺家の語りには聞き惚れます。それからは、新作落語とか創作落語も楽しむようになりました。今や新作落語は、古典落語と並んで落語の大事な幹といわれます。

関西の落語は上方落語と呼ばれます。その中心が、上方落語専門定席の「天満天神繁昌亭」でしょうか。上方言葉の独特な響きが快いです。名人、古今亭志ん朝のように京言葉や大阪言葉などを使い分ける演者も多くなりました。どの噺家も言葉の会得には時間をかけていることがわかります

新作落語は年代的には若手の噺家によるものが多いといえます。例外は、上方落語の名人、桂三枝、今の六代目桂文枝です。お歳は82歳ですが、その創作力には驚くほどです。彼は、「新作落語はおおむね、時期が過ぎたらそのネタを「捨て」ざるを得なくなる運命にある」として、「創作落語」と呼んでいます。この発想は頷けます。柳家喬太郎の「ハワイの雪」という人情噺や「寿司屋水滸伝」という創作落語にもサゲが待っています。どちらも落語の主柱として高度な技芸を要する伝統芸能に間違いありません。もっと創作落語も親しみ笑いたいものです。

【話の泉ー笑い】その二十五 ピーナッツと親愛なる友人たちへ

Last Updated on 2023年5月29日 by 成田滋

今回で【ピーナッツ】のシリーズは終わりです。2000年1月3日、『ピーナッツ』最後の日刊コミックが発行されます。そのストリップには、シュルツが読者に宛てたメモと、タイプライターを前にしたスヌーピーが犬小屋の上に座って深く考え込んでいる絵が描かれています。翌日からは、再放送のパッケージが発刊されます。シュルツは体調不良で1月3日以降に連載されるストリップを5本描いていました。その最初のものは1月9日に掲載されます。

Wonderful Peanuts!

2000年2月13日、シュルツは亡くなります。その日、ピーナッツ史上最後の新しいストリップが新聞に掲載されます。3コマで、チャーリー・ブラウンが電話に出るところから始まり、相手はスヌーピーを呼んでいると思われる人物です。チャーリー・ブラウンは 『いや、彼は手紙を書いていると思います 』と答えます。次のコマでは、スヌーピーがタイプライターの前に座り、”Dear Friends “宛ての手紙の冒頭が描かれています。最後のコマは、大きな青空を背景に、過去に描かれた10枚の絵が配置されています。その下には、シュルツから読者へのメッセージがあります。その内容は次のような言葉です。

Snoopy hit home run!

『親愛なる友人たちへ
私は幸いにして50年近くもチャーリー・ブラウンとその仲間たちを描いてきました。これは、私の子どもの頃の夢を実現するものでした。しかし、残念なことに、私はもう毎日漫画を描くことができなくなってしまいました。私の家族は「ピーナッツ」を他の人に続けてもらいたくないと言っているので、引退を決意することとしました。長い間、編集者の方々の献身さ、そしてコミック・ストリップの読者が私に寄せてくれた素晴らしい激励と愛情に感謝しています。チャーリー・ブラウン、スヌーピー、ライナス、ルーシー、……彼らを忘れることはできないでしょう。  チャールズ・シュルツ{署名}』

【話の泉ー笑い】その二十四 「精神分析スタンド」とアドバイス

Last Updated on 2023年5月27日 by 成田滋

ルーシーは時に「精神分析スタンド」(Pychiatric Help)という相談室を自作してカウンセラーとしての相談料をとるなど、ちゃっかりしたキャラクターです。アメリカの多くの子どもたちは夏休み中などで道路際でレモネードスタンド(lemonade stand) を立てます。このことをパロディ化したものなのです。ブースの正面には、「The Doctor is」と書かれたプラカードがあり、「In/Out」のプラカードが立っていて、ドクターが在席しているかを示します。彼女は5セント(約7円)で精神分析をしアドバイスしてくれるのです。たいていは心配性のチャーリー・ブラウンにアドバイスをするのですが、、、、。

Psychiatric Stand

ルーシーのアドバイスは、通り一遍の大衆心理や、陽気で明白な真実、時に洞察に満ちた調査など多岐にわたるので笑いを誘います。例えば、スヌーピーの治療中にルーシーが、子どもの頃、家族の中の他の「犬」とどのように関わっていたかを尋ねる場面があります。言うまでもなく、スヌーピーはこの質問を無視するので笑えます。外で寝るのが怖くなってしまったスヌーピーのために、チャーリー・ブラウンはルーシーに相談して精神分析スタンドで診てもらうことにします。夏の最中なので、立て札には相談料は割引きで4セントにします。無事にスヌーピーの不安は消えるのですが、チャーリー・ブラウンのもとには何と多額の請求書が送られてきて・・・。

The doctor has changed.

相談にやってきたライナスは、ルーシーのアドバイがわかりません。ルーシーは「理解できるような助言はきかないこと、、、全然役に立たないにきまっているから」と煙に巻くようなアドバイスをしたり、、「いつかは大人になって、誰の助けも借りずに、人生と向き合わなければならないのよ、、、」と深い名言をはいたりします。スヌーピーもそれに真似てか、「もし何かをやり遂げたいのなら自分でやるべきだよ!」とアドバイスをします。

ライナスが「新しい算数は難しすぎる、、」と相談にやってきます。ルーシーは「できるわよ、、時間がかかるだけなんだから、、」と励まします。スヌーピーは仲間にいいます。「口先ばかりの心のない言葉は、なんの役にも立たないよ」。そして草野球で負けても「昨日から学び、今日を生き、明日に期待すること」(Learn from yesterday, live today, and look forward to tomorrow) 。こうした会話が生まれるのは、ルーシーが作った「精神分析スタンド」のお陰なのでしょう。

【話の泉ー笑い】その二十三 「ピーナッツ」と社会の多様性

Last Updated on 2023年5月26日 by 成田滋

1960年代は、一般に「ピーナッツ」の「黄金時代(Golden Age)」と考えられています。この時期には、ペパーミント・パティ(Peppermint Patty)、「第一次世界大戦の空飛ぶエース」としてのスヌーピー、「天然の巻き毛」のフリーダ(Frieda)、フランクリン(Franklin)など、よく知られたテーマやキャラクターが登場します。ピーナッツは、1950年代から1960年代前半に描かれた他の作品と比べると、特にその巧みな社会批判が際立ってきます。シュルツは、人種や男女の平等の問題をあからさまには取り上げませんでした。シュルツにとって、「権利は平等である」というテーゼは自明のことだったようです。チャーリー・ブラウンの野球チームに女の子が3人いたことも、少なくとも10年は時代を先取りしていたといえるのです。当時、女性が野球をすることはなかったのです。ペパーミント・パティのしなやかな運動神経と自己肯定感は当然のことであり、女性の進出は当たり前だと考えていたのです。

Franklin and Charlie Brown

1968年7月にシュルツはロサンゼルスの白人教師ハリエット・グリックマン(Harriet Glickman) の勧めで、アフリカ系アメリカ人のキャラクター「フランクリン(Franklin)」を4コマ漫画に登場させます。1968年はテト攻勢(Tet offensive) が始まりベトナム戦争の潮目が変わる頃です。シュルツは、黒人のキャラクターを加えることはアフリカ系アメリカ人のコミュニティを見下すことになると懸念しましたが、グリックマンは、黒人のキャラクターを加えることは、異なる民族の子どもたちの友情という考えを広めるのに役立つと説得したといわれます。フランクリンは、海辺を舞台にした3部作に登場し、まずチャーリー・ブラウンのビーチボールを水中から取り出し、その後、砂の城を作るのを手伝い、その間に父親がベトナムにいることを口にするといった場面が出ます。フランクリンが近隣に住み、地域の学校に通うのも当たり前のこととして描きます。フランクリンの誕生は、1968年にシュルツが社会主義的なファンとの間で交わした手紙の結果であったといわれます。

シュルツは、他にもさまざまなテーマに対して風刺的な言葉を投げかけています。彼の子どもや動物のキャラクターは、大人の世界を風刺していきます。長年にわたり、彼はヴェトナム戦争から学校の服装規定、「新しい数学(New Math)」まで、あらゆることに取り組んでいきます。1962年5月のあるトピックには、「自由を守れ、アメリカの貯蓄債券を買え」と書かれたアイコンまでありました。1963年には、「5」という名前の少年をキャストに加え、その姉妹は「3」と「4」という名前とし、父親は彼らの家族名を郵便番号に変更するというコマを描きます。シュルツは、番号が人間のアイデンティティを支配する手段になると懸念し疑問を投げかけるのです。

また、近所の子どたちが雪だるま作りのリーグに参加しますが、チャーリー・ブラウンがリーグやコーチなしで自分で雪だるまを作ろうとするのです。ですがリトルリーグは、チャーリー・ブラウンらの行動を批判する場面があります。シュルツは、大人が支配するリトルリーグやお膳立てされた「組織的な」遊びを揶揄するのを忘れません。

「ピーナッツ」では、特に1960年代には、何度も宗教的なテーマに触れています。1965年のテレビ番組「チャーリー・ブラウン・クリスマス」では、ライナス・ヴァン・ペルト(Linus van Pelt)が欽定訳聖書(King James Version of the Bible)(ルカ2:8-14)を引用して、チャーリー・ブラウンにクリスマスとは何かを説明しています。シュルツは個人インタビューで、ライナスは自分の精神面を表していると述べています。「チャーリー・ブラウン・クリスマス」では宗教的な内容が明示されているため、シュルツの作品には明確なキリスト教のテーマがあると解釈する人も多いくらいです。

【話の泉ー笑い】その二十二 ルーシーと野球と

Last Updated on 2023年5月24日 by 成田滋

野球はアメリカの魂のスポーツといわれます。そのためか、「ピーナッツ」には野球をめぐる笑いやユーモアのコマが目立ちます。チャーリー・ブブラウンはチームの監督であり、通常は投手であり、他のキャラクターはチームの他のメンバーとなっています。チャーリー・ブラウンはひどい投手であり、彼の努力にも関わらず打ち込まれたり、メンバーは彼をマウンドから叩き落とし、パンツ一枚にさせてしまうこともあります。しかし、チャーリー・ブラウンはごく稀な例外を除いて毎試合登場し、雨が降ってチームのみんなが帰宅してもその場に留まるのです。

Lucy

チャーリー・ブラウンは何度負けても、シーズン開始時には楽観的で、いつも「優勝まであと一歩、あと一歩」と励まします。チャーリー・ブラウンさえも「なぜか勝てない」と呟くのですが、チームは何度か勝利しており、そのほとんどはチャーリー・ブラウンがいないときなのです。そのため、チャーリー・ブラウンはいつもこの事実を深く悲しくは思っています。

チャーリー・ブラウンは、スタンドにいる赤毛の少女に気づいて、とても緊張します。チャーリー・ブラウンは、スタンドにいる彼女に気づくと、体が震えてピッチングができなくなり、ライナスに交代してもらうほどです。チームが勝った後、赤毛の少女はライナスを抱きしめて駆け寄るのです。

ロヤンヌ(Royanne Hobbs)と対戦したチャーリー・ブラウンは、初のホームランを打ちチームの勝利に貢献します。再びロヤンヌと対戦し、チャーリー・ブラウンは再度ホームランを打ち、チームのために試合に勝ちます。ロヤン・ホブスが後でチャーリー・ブラウンにホームランを打たせたことを認めると、チャーリー・ブラウンはショックを受けるのです。

【話の泉ー笑い】その二十一 ピーナッツと野球

Last Updated on 2023年5月23日 by 成田滋

原作者のシュルツは、登場するキャラクターのスポーツを通して、試練や達成感、喜怒哀楽をユーモラスに描いています。弱小草野球チームの監督兼投手がチャーリー・ブラウンです。メンバーの放言と好き勝手な行動に呆れ、連戦連敗にへこみ、ピッチャー返しで吹っ飛ばされ続けても、彼の野球愛はとどまることをしりません。 負けたチームから「君のチームに負けたせいで馬鹿にされている」と抗議されるほどなのです。勝ったのはライナスの弟リラン(Rerun) が出場した試合と、チャーリー・ブラウンが参加していない試合のみです。映画「スヌーピーとチャーリー」では、負傷し退場した場面もでてきます。

Ahuuu!

一見すればチャーリー・ブラウンが無能だからと思われがちですが、実際はルーシーを始めとするチームメイトのやる気と協調性の無さもあり、必ずしも彼一人のせいではないのですが、、、。実にコミック始まって以来43年目の1993年に発表されたエピソードでは生涯初のホームランを打ち、サヨナラ勝ちを記録しているほどです。また、ある回では試合には負けたもののルーシーを外した試合で善戦したこともあるくらいです。このときの敗因は、ボールをキャッチをしようとしたスヌーピーにルーシーが野次を飛ばし、エラーをさせたためです。

Peanuts gangs

アメフトのコマでは、ルーシーが押さえているボールをチャーリー・ブラウンが蹴ろうとするとルーシーが直前にボールを取り上げてしまい、チャーリーは派手に転倒します。ルーシーはこれを気に入っているようで折にふれてチャーリー・ブラウンを誘おうとし、チャーリー・ブラウンも彼女に乗せられる形でいつも醜態をさらしてしまうのです。ある時、チャーリー・ブラウンがボールを蹴ろうとした足がルーシーの手に当たってしまい、骨折させたことがあります。その後、ルーシーがリランにボールを託したためにボールを蹴られ、ルーシーは大変悔しがる場面があります。

ペパーミント・パティは、勉強が苦手で成績はDマイナスが多いのです。一度Zマイナスにされたこともあり、この時はさすがに「これは評価ではなく私に対する皮肉です」と校長へ抗議を申し入れ、Zにまで上げさせたことがあります。スポーツは得意で、野球チームも持っていて、チャーリー・ブラウンのチームにはいつも圧勝しています。パティは都合の悪いことがあると根拠もなく他人のせいにする悪い癖がありますが、チャーリー・ブラウンを「チャック(Chuck)」と呼び、思いを寄せている女の子です。

【話の泉ー笑い】その二十 スヌーピーとの友情

Last Updated on 2023年5月22日 by 成田滋

チャーリー・ブラウンが幼いころ、砂場で遊んでいる最中にほかの子に頭から砂をかけられて大泣きし、翌日両親から買い与えられたのがビーグル犬スヌーピーとの最初の出会いです。餌を与える行為以外では一緒にゴルフをしたりカヌーを漕ぎに行くなど完全なパートナーです。スヌーピーを飼い犬としてだけでなく、何よりも大切な存在と思っていて、彼のために学校を辞めようとしたことすらあります。

肝心のスヌーピーからは「丸頭の子」と認識されていて、名前すらまともに覚えられておらず、また主人と飼い犬との立場を入れ換えるような会話をしていたときもあります。その時スヌーピーが「ぼくが主人とばかりに思っていたけれど」とチャーリー・ブラウンに対して発言したこともあるくらいです。

come on Snoopy!

しかし、この思いは一方的というわけでもなく、スヌーピーもチャーリー・ブラウンに信頼を抱いており、チャーリー・ブラウンが家族とともに出かけたときは「丸頭の子はぼくを捨てたりしないよね?」と寂しがる言動もあります。スヌーピーの型破りな行動に振り回されることも多く、「どうして僕は他の子のように普通の犬を持てないんだ?」と愚痴るのが定番となっています。

ペパーミント・パティ(Peppermint Patty) の野球チームと試合をした際、自分のチームの攻撃で相手ピッチャーのペパーミント・パティの投じたボールがバッターのスヌーピーの頭を直撃。チャーリー・ブラウンはパティがビーンボール(pin ball) を投げたとして激怒し、試合放棄したこともあります。スヌーピーとの間柄を語るエピソードです。

Snoopy hit home run!

勝試合がないチームの監督兼ピッチャーのチャーリー・ブラウンは何とかしようと頑張るのですが、チームメイトはバラバラ・・・。そんな時、ユニフォームを揃えてチームを元気づけようと画策します。いろいろな大人に働きかけると、練習道具やユニフォームを揃えてくれるというスポンサーが現れます。チャーリー・ブラウンはスポンサーにチームのメンバーを紹介し、ユニフォームのサイズを伝えます。

Snoopy’s butting

ところが予定のスポンサーは、リーグがルーシーという女の子や犬のプレーを認めていないことを理由に、チャーリー・ブラウンのチームを応援できないというのです。そしてルーシーとスヌーピーを解雇するようにいいます。チャーリー・ブラウンは憤然としてスポンサーの申し出を断るのです。

【話の泉ー笑い】その十九 ピーナッツとチャーリー・ブラウン

Last Updated on 2023年5月20日 by 成田滋

「ピーナッツ」の原点は、1947年から1950年までシュルツの故郷であるミネソタ(Minnesota)の州都セントポール(St. Paul)にあった新聞「セントポール・パイオニア・プレス(St. Paul Pioneer Press)」に毎週掲載されたコマ漫画「リリーフォクス(Li’l Folks)」です。「Li’l Folks」とは小さき人々とか、取るに足らないもの、つまらないもの、という意味です。この漫画の細部には、ピーナッツと共通する部分がありました。チャーリー・ブラウン(Charlie Brown)」という名前はそこで初めて使われたといわれます。また、このシリーズには、1950年代前半のスヌーピー(Snoopy)によく似た犬も登場していました。

Charlie Brown and Snoopy in the Classroom


チャーリー・ブラウンはスヌーピーの飼い主であり、妹はサリー(Sally)。両親はいるようですが、他の大人と同様作中には姿を見せません。親友は毛布を片時も手放さないライナス(Linus)。級友であるルーシーにいつも小煩く言われたり丸め込まれたりします。チャーリーという名前から、読者からはよくチャールズ・シュルツの分身と思われたようですが、チャーリー・ブラウンという名前はシュルツの美術学校時代の級友からきているといわれます。

At Spelling Bee Contest

ただ、シュルツはインタビューで「チャーリー・ブラウンは僕自身でもあるんだ」と答えたことがあるようで、彼の持つ気苦労などがチャーリー・ブラウンに反映されたりすることはあると述懐しています。シュルツの父親は床屋を経営していました。シュルツによればチャーリー・ブラウンはきれいな金髪であるために髪が薄く見えるだけで、丸坊主ではないそうです。実際の作画でも前髪と後頭部の毛が描き込まれ、濡れ髪では実線で描かれています。スヌーピーにいわせれば、主人のチャーリー・ブラウンあくまでも「丸頭の子」(“round-headed kid”)であり「禿頭の子」ではありません。

Happiness with Snoopy

チャーリー・ブラウンは、自他共に認める冴えない人柄であり、とにかく女運が悪く、ヴァイオレット(Violet)やルーシーなどの女子の「いじめ」相手になっていた時期もあります。考え方にもどこか卑屈なところがあって、敗者や弱い立場の人たちに同情することが多い子です。他者への思いやりは人一倍強く、いつもはチャーリー・ブラウンをいびるルーシーも彼が病気になると落ち着きをなくすのです。「赤毛の女の子」(little red-haired girl)に片想いし、後にサマーキャンプで出会ったペギー・ジーン(Peggy Jean)と恋仲になりますが、いずれも報われないまま終わったり、自分だけバレンタインカードが貰えなかったりします。友達のライナスには好きな女の子を奪われるなど、恋愛運は悪いのがチャーリー・ブラウンです。

【話の泉ー笑い】その十八 ピーナッツ(Peanuts)の漫画

Last Updated on 2023年5月19日 by 成田滋

今回からは漫画(cartoon)の世界の笑いを取り上げます。老若男女問わず、世界上で人気を維持しているのが「ピーナッツ(Peanuts)」というアメリカンコミック(Ameeican comic)です。主人公はチャーリー・ブラウン(Charlie Brown)という男の子。彼は他者への思いやりは人一倍強く、忠誠心が強く決断力があり、ちょっと気まぐれなところもあります。献身的な野球のマネージャーでもあり、あきらめるべきときでも、決してあきらめない頑固さも備えています。

Peanuts Gang

その飼い犬であるスヌーピー(Snoopy)は、今も人気は抜群です。ビーグル(beagle)犬のスヌーピーは、実は可愛いだけではなく、どこかゆる〜くのんびりと朗らかなイメージで周りを癒し、犬ながら深い名言をたくさん残しています。チャーリー・ブラウンは愛犬スヌーピーの世話に関してはとても責任感があります。彼は、もともと親切で忍耐強い性格で、自分の心を無にするかのように他人を助けるのが好きなのですが、自分自身はどうにもならないという性格です。

”空振り三振”

「ピーナッツ」は、チャールズ・シュルツ(Charles M. Schulz)が作・画を担当し、毎日曜日の独占形態となっていたコミックです。1950年から2000年まで連載され、その後も再放送されています。「ピーナッツ」は、コミック漫画の歴史の中で最も人気と影響力のある作品の一つであり、全部で17,897の4コマ(ストリップ)が掲載されています。というわけで「間違いなくチャールズ・シュルツという一人が語った最も長い物語」になっています。2000年にシュルツが亡くなった時点で、「ピーナッツ」は2,600以上の新聞に掲載され、75カ国で約3億5,500万人の読者を獲得し、21カ国語に翻訳されたという歴史があります。アメリカでは、4コマのギャグを標準的なものとして定着させました。

精神分析スタンド

「ピーナッツ」には大人は存在するものの、ほとんど登場しません。幼い子どもたちのコミュニティだけに焦点を当てています。主人公のチャーリー・ブラウンは、おっとりとして、繊細な性格を有していますが、自分にあまり自信がありません。凧を揚げることも、野球に勝つことも、いらいらしがちな友達のルーシー(Lucy)が持っているサッカーボールを蹴ることもできません。いつも最後の瞬間にドタキャンされるのです。ですがそのユーモアは心理的に複雑で、登場人物の相互作用や関係性によって描かれます。この漫画は、アニメーションや演劇で脚色され全世界で親しまれている作品です。

【話の泉ー笑い】その十七 ボケとツッコミ

Last Updated on 2023年5月18日 by 成田滋

外国人にも容赦なくツッコミを求める関西人がいます。外国人でもボケとツッコミはわかってくれると思うからでしょう。その通りです。彼らは笑いのなにかはわかっています。関西の場合はボケとツッコミが笑いの技能とか技芸といえそうです。『関西人は面白い』というステレオタイプがあるのは、一つはテレビで芸能人が関西弁で話していることの影響もあります。【関西弁が強いのではなく、生活ことばが強い、標準化されない生活ことばで笑いを産むのが関西漫才だ】という人もいます。頷ける言葉です。

芸人の言語学

日本の漫談家(One-man talker) には、女性客に対して「綺麗ですね」と褒めちぎった後、「私は女性を見る目が無いのです」、「昭和枯れすすきの皆さん」といって笑いを誘う定番があります。老化現象、高齢化社会、物忘れ、夫婦の確執、アルツハイマー、痴呆症、カツラ等を引き合いにしたフレーズは結構笑いを誘うことが多いようです。当然、中高年以降の聴衆者を前にしての笑いの場です。中高年に対するネタとして「冷え切った夫婦関係」「容貌の衰え」「病気や死」こうした話題で聴衆を笑わせ、終わりに「一言多かった事を心からお詫び申し上げます」といって場を和らげるのです。

「日本では、ボケとツッコミに代表されるように、会話のやりとりの中から生まれる笑いが主流ですが、欧米ではストーリーを語るような笑いのパタンが多いです。一言で欧米と言っても、アメリカとヨーロッパでもまた違っていて、ヨーロッパはアイロニー(皮肉)の要素が大きいといわれます。話題はほとんどの場合、特定のターゲット層に向けて発せられるもので、 発信する人と受け取る人の間に何らかの共通する文化が想定されているのが普通です。さきほどの漫談の話題は、中高年の人であればすぐ笑えるものばかりです。若年層にはまだピンとこないはずです。年代層によって文化が違うからでしょう。

ボケ、ツッコミ認定証

関西のある夫婦の漫才から思うのですが、ボケは一人で突っ走るような雰囲気です。そこでツッコミは相手の話を受け入れて「おかしいと思ったところを視聴者の声としてツッコむ」のです。いかに話し相手を主役として立て、ツッコミに徹するかというのが可笑味を醸す大事な点といえそうです。

【話の泉ー笑い】その十六 ギャグと駄洒落

Last Updated on 2023年5月17日 by 成田滋

日本では『うちのオカンが~』と自分の母親を話題にするパターンが多くあります。「おかあはん」の変化した言葉で、関西系方言といわれます。自分の身内の者を低く言って笑いにするのです。笑いに関わらず、子どもが小さい時にママ友やパパ友同士で『うちの子なんて全然ダメで』と言い身内のものを卑下するのも同じ構造です。海外では家族をそのように卑下するような言い方はしません。日本特有の「ウチとソト」の文化が現れています。身内を下げるのが謙譲の美徳とされるような文化が笑いにも反映しています。「ウチ」と「ソト」との厳格な区別があり、それを日本人はそれが当たり前だと思っているために、「ウチの人」身内の人、を卑下しても抵抗がないのです。「ソト」とは関係がないと思うから卑下できるのです。

Gag

「洒落」と「駄洒落」の違いです。洒落のなかにも上手下手があり、程度の良くないものに関して「駄洒落」と言われます。国語辞典では「つまらぬしゃれ、まずしいしゃれ」とあります。言葉遊びの「洒落」は知識と教養を示す気の利いたものなのですが、これに価値を認めることのないカウンターカルチャーからの揶揄を込めて『駄』の文字を冠して「駄洒落」となったという説があります。

「駄洒落」は英語で“Pun”と呼びます。語呂合わせ、ギャグ(Gag)は子どもも作れます。例えば、「鶴がツルっとすべった」、「電話に出んわ」、「ワニが輪になる」、「チーターが池におっこちーたー」、「布団が吹っ飛んだ」といった短いギャグです。「ラクダに乗るとらくだ」、「イクラはいくら」など子どもでも明日からすぐ使えるギャグはあります。

なぞなぞなども駄洒落の一種です。
 ・みそ汁の中で泳いでいるカメはなに?【答え:ワカメ】
 ・いつもクシャミをしている鳥はなに?【答え:白鳥(ハクチョン!】
 ・ネズミが通っている学校はなに?【答え:中(チュウ)学校】

駄洒落

一つの単語に複数の意味があるものや、同じ発音でスペルが異なる単語を使ったジョークです。
 ・お医者が居なくて気のドクター
 ・何も欲しがらない国 イラン
 ・お風呂好きの街 ニューヨーク
 ・せんべい好きの街 パリパリ

言葉を面白おかしく組み合わせて楽しむダジャレは、子どもの創造的な思考を育み、親子のコミュニケーションを深めるのに役立つかもしれません。親父ギャグは、中高年男性の、場を和ませたい、相手と距離を縮めたい、また自分のユーモアをアピールしたいという心理から生まれるようです。
 ・牛がわらって、うっしっし
 ・神社で飲むジンジャエール
 ・ダジャレを言うのは誰じゃ?
 ・本は面白い、ホント?
 ・オオカミがトイレで叫んだ,おお、紙がない

親父ギャグとは、国語辞典によれば「年輩の男性が口にする、時代感覚からずれた面白くない冗談やシャレ」とあります。「ユーモアをアピールしたい」、「世の親父連中は自身の溢れんばかりの知識と教養を持ってオヤジギャグを披瀝したがる」との中高年男性の心理が合わさり、「親父ギャグ」は誕生したといわれます。

【話の泉ー笑い】その十五 チャーリー・チャップリンと「偉大なる独裁者」と「街の灯」

Last Updated on 2023年5月16日 by 成田滋

「偉大なる独裁者」製作の経緯です。イギリスがドイツに宣戦布告した6日後の1939年9月に撮影を開始します。チャップリンは、政治メッセージを伝えるためのより良い方法として話し言葉によるセリフを使うことにします。 ヒトラーについてのコメディを作ることは非常な論議をかもすと考えられました。ですがそうしたリスクにあえて、「ヒトラーは笑われなければならないから、私は決心した」と後に書いています。チャプリンは主人公のトランプ(Tramp)に代わって「ユダヤ人の床屋」を演じ、ナチ党のファッシズムや人種差別に苦悩する姿をコミカルながらも生々しく描いています。映画では二重演技において、ヒトラーを模した「アデノイド・ハインケル(Adenoid Hynkel)」独裁者を演じています。この作品には、ベンジーノ・ナパロニ(Benzino Napaloni)という名でイタリアの独裁者ムッソリーニ(Benito Mussolini)に扮した軍人も登場します。

Great Dictator

「偉大なる独裁者」は1940年10月に公開されます。この映画は膨大な宣伝効果を生み、『ニューヨーク・タイムズ』の評論家は「その年に最も待ち望まれた映画」と呼びます。そして当時の最大の収益を上げたようです。チャップリンは映画を6分間の演説で締めくくり、床屋のキャラクターを外してカメラを直接見つめ、戦争とファシズムに対する抗議を訴えます。映像と音声が同期した映画–トーキー(Talkie)はこの映画が最初といわれます。トーキーそのものの爆発性を逆用して、世界人類の敵、ヒトラーとファシズムを糾弾するのです。

このあからさまな演説がチャップリンの人気低下の引き金になったとも指摘されています。政治的な問題を議論する際に繊細さを欠くのは無神経とみなされて嫌われたようです。それにもかかわらず、ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)もフランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt) もこの映画を気に入り、公開前にプライベート上映で鑑賞したといわれます。ルーズベルトはその後、1941年1月の大統領就任式でチャプリンを招き、映画の最後の演説をラジオで読ませ、その演説は祝賀会のヒットとなったといわれます。「偉大なる独裁者」は、作品賞、脚本賞、主演男優賞を含むアカデミー賞5部門でノミネートされます。

City Lights

次ぎに、彼の最高傑作とされる映画は「街の灯(City Lights)」といわれます。この作品では、ヒロインとして盲目の花売り娘と浮浪者チャーリーが登場します。二人が交わす言葉と肌の触れ合いの触覚を通じて愛を育んでいくのです。チャップリンは初めてこの映画全編に音楽を付けています。そして映画の全編で「ラ・ヴィオレテーラ(La Violetera)(すみれの花売り娘)」というシャンソンが愛のテーマとして幾度も登場します。

無声映画からトーキーへの変遷について、興味深いエピソードがあります。チャップリンはもともと音声やトーキー映画に反対し、映画は純粋に視覚的な芸術形式である、と信じていたようです。「トーキーは世界最大の芸術であるパントマイムを滅ぼそうとしている」とも述べています。ですが映画では視覚とともに聴覚に訴えるという演出になっていることです。「街の灯」は平面に映し出される無声映画のゆえに、言葉も触覚も間接的にしか表現することができできなかません。その矛盾を乗り越えるためにチャップリンが選んだ手段が、すなわちシャンソン曲のラ・ヴィオレテーラをBGMに選ぶことだったといわれます。

【話の泉ー笑い】その十四 チャーリー・チャプリンと笑い

Last Updated on 2023年5月15日 by 成田滋

イギリスの映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサーがチャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)です。無声映画時代に名声を博したコメディアンでもあります。山高帽に大きなドタ靴、ちょび髭にステッキという浮浪者風の扮装のキャラクターで、踊り、歌、ものまね、パントマイムで単なる笑劇から風刺劇へと変化させます。喜劇は感傷的な人道主義にとどまりがちですが、資本主義に対する小市民の反抗の表現ともいわれます。「小さな放浪者(Little Tramp)」「街の灯(City Lights)」を通じて世界的な人気者になります。ドタバタにペーソス(Pathos)といわれる哀感や悲哀を組み合わせた作風が特徴的です。哀れな兵隊のペーソスと風刺を込めて描いた「担え銃(Shoulder Arms)」、脱獄囚が囚人服を脱ぎ捨てて牧師の服を教会で説教し、やがて再逮捕されるとメキシコへ追放されるとう風刺が加わった短編「偽牧師(The Pilgrim)」などもそうです。

作品の多くには自伝的要素も含まれています。「ライムライト(Limelight)」では、中年を過ぎてから酒を呑む日々を送っていた道化師のカルヴェロ(Calvero)と美しきバレリーナのテリー(Thereza Terry)との恋を描きます。社会的及び政治的テーマが取り入れられた作品に「モダン・タイムス(Modern Times)」にがあります。現代資本主義と近代的テクノロジーのもとでの人間疎外を告発し、後に〈赤〉という嫌疑を受けてアメリカから追放されるきっかけとなります。チャップリンは「モダン・タイムス」を「私たちの産業生活のある局面に対する風刺」として発表します。世界恐慌に耐えるトランプ(Tramp) とゴダード(Goddard)という女性を主人公としています。政治的言及と社会リアリズムを採用した映画であり、多くの注目を集めた作品となります。 今日、「モダン・タイムス」は、イギリス映画協会(British Film Institute) によってチャップリンの「偉大な長編」の1つと評価しています。

Charlie Chaplin

1940年代、チャップリンはさまざまな批判を受けながらも作品を製作し続け、アメリカでの人気にも大きな影響を与えていきます。その第一は、チャップリンが政治的信条を大胆に表明するようになったことです。1930年代の世界政治における軍国主義的なナショナリズムの高まりに深く懸念し、チャップリンはこの問題を作品で取り上げずにはおれないと考えていきます。次回は「偉大なる独裁者(The Great Dictator)」を取り上げます。

【話の泉ー笑い】その十三 British Joke ブリティッシュ・ジョーク その3 まとめ

Last Updated on 2023年5月15日 by 成田滋

イギリスのユーモアは、日常生活の不条理を狙った風刺の要素を強く含んでいるといわれます。共通の中味として、毒舌、侮辱、自虐、駄洒落、陰口、機知、イギリスの階級制度のタブーなどがあります。これらはしばしば、イギリスのユーモア感覚全体にある鈍感、皮肉、ぶっきらぼうといったデッドパン(Deadpan)な表現を伴うといわれます。デッドパンとは、「ある事の可笑しさに対して「何とも思っていない」または「何も感じていないよう」に無表情で反応する喜劇」の一種です (Wikipedia)。意図的でないものとして使われ、ドライ・ユーモア(dry humour)、乾いたユーモア、とぼけたユーモアともいわれます。ジョークはあらゆる話題に及び、そのテーマに制約はありません。

Charlie Chaplin

ドライ・ユーモアは知識人やインテリのユーモアと混同されることが多いようです。台詞や身振りから笑うのではなく、観客が台詞、身振り、文脈の中から笑いを探さなくてはなりません。分からなければ笑えない。他方、デッドパンという言葉は無表情という身振りに限定して使われ、ブラックコメディ(Black Comedy)とかポーカーフェイス(Poker Face) もあてはまります。笑っている時よりも無表情のほうが観客に受けが良いようです。世界中から愛されたコメディアン、チャーリーチャップリン(Charles S. Chaplin)の無声映画がその代表です。イギリスにはテレビでの多くのコメディシリーズがあります。そうした作品は海外の視聴者にも受け入れられ、イギリス文化を代表するかのように国際的に浸透しています。

Sir Charles Chaplin

【話の泉ー笑い】その十二 British Joke ブリティッシュ・ジョーク その2 笑いの例

Last Updated on 2023年5月13日 by 成田滋

「オォダァァ、オォダァァ!(Order, order)(静粛に、静粛に!)と独特のだみ声で叫んで、議員らを鎮め、イギリスのEU離脱、ブレグジット(Brexit) 論争を最前線で取り仕切ってきた下院議長(House of Common)のジョン・バーコウ(John Bercow) という人をご存知でしょうか。首相、議員の間に立って議事を進行してきた言動は真剣さとと共に笑いを作り上げる手腕があった議長です。「静粛に!」という叫びを1万回以上も使ったのもブリティッシュ・ジョークの一つといってもよいでしょう。

John Bercow

それでは、ブリティッシュ・ジョークの7つの特徴や種類を例文とともに取り上げ、一緒に笑っていきましょう。

最初は「Irony 」といわれる自虐的な表現の笑いです。本当はそうではないのですが、実際とは真逆のことをあえていうのです。例として、天気なら楽しみにしていたキャンプにいくはずだったのに、大雨で中止になってしまった場合の一言です。
Great!! I can watch TV all day in the living room where there are no mosquitoes.
「いいんじゃないか、一日中居間でテレビを観られる。蚊に悩まされることがない。」

次ぎに結婚カウンセラーの話題です。
 Patricia is a marriage counselor. Her and her husband is going to divorce.
「結婚カウンセラーのパトリシアは、近々夫と離婚するらしい。」

第二は「Sarcasm」といわれる他虐的な笑いです。誰かの感情を傷つけるため、または何かを批判するために、ユーモアを混じえながら、明らかに真逆のことを意味することを言う笑いです。LINEでメッセージを送った相手から、5日後にようやく連絡が返ってきたときの相手への一言です。
 Thank you for your quick response.!
 「早速の返事に多謝!」

House of Common

部下に頼んでいた仕事が指示していた内容と違っていて、自分がやったほうが速いと憤懣やるかたない状況で相手に一言
 Great!! I wanted to do this by myself.
 「OK、 OK、自分でやれば良かったな、、、」

第三は、「Dry Humor」とか「Deadpan」といわれる笑いです。とぼけたユーモア、ニコリともせずに言うユーモア、平然と皮肉を込めて言うユーモアなどといわれます。ポーカーフェイス{Poker Face)で言うのです。次ぎの例は、パブがガラガラの状態で店主と客の会話です。
 You’re very prosperous today.
 「今日は大繁盛だね!」
 Well, I’d be happy to, as long as you drink a lot.
 「あんたが沢山飲んでくれればね。」

第四は、「Self Deprecation」です。これは「fun of oneself」ともいって自分自身を卑下したり、謙遜する場合の笑いです。例えば、なにかの大会で優勝したとき、「たまたま勝っただけだ」とか「運が良かったか」、あるいは「自分より強い選手がいたのだか、、」というように謙るのです。
 If you are a recent winner of a competition or challenge, you use language like “I don’t deserve this” or “there were better participants than me” as a form of compensation to less-lucky participants.

第五は、「Innuendo」といって、 当てこすりとか、ほのめかし という笑いです。性的な話題ながら、曖昧なあるいは煙に巻くようなさりげない言い回しで、誰かの性格や正直さや能力などに悪い印象をもたらすことです。ケンブリッジ辞典 (Cambridge Dictionary) には次のような説明があります。「なにか性的とか不愉快な表現ながら、それを直截的にはいわない」
 A remark or remarks that suggest something sexual or something unpleasant but do not refer to it directly)

シェクスピアの悲劇「オセロ」のなかでイアーゴという悪党が、オセロの妻、デズデモアのことをオセロに告げ口をし、オセロが逆上して彼女を殺し、やがて自分も自殺する場面です。
 Iago, the villain in Shakespeare’s Othello, who defamed Desdemona and was responsible for her murder and Othello’s suicide, was a master of innuendo.

第六は、「Banter」といって 冗談、 冷やかし、からかいといった笑いです。
 They had some good banter down the pub last night.
昨日パブで楽しい冗談の言い合いをしていた。

Bob and Jim exchanged friendly banter.
ボブとジムはお互いにからかっていた

House of Common

第七は、「Pun play on words」という 駄洒落とか言葉遊びの笑いです。
 All passengers got scared when a guy in a plane stood up and shouted “HI, JACK !”
 機内にてある男が立ち上がり『ハイ、ジャック』と叫ぶと、乗客はみな恐れをなした場面です。

Haste makes waste.
 3つの単語が韻を踏んだ笑いです。日本語では「急がば回れ」ですね。

 Which is stronger, Tuesday or Saturday?
 火曜日と土曜日、強いのはどっち?
平日は”Week day”で、”Week day”を”Weak day”(弱い日)と掛けているため、正解は”Saturday”というわけです。

次のジョークは分かりやすいです。紅茶とシャッツをかけた笑いです。
 What do people like to wear in England?
 Tea-shirt

以上のジョークのジャンルのどこに含まれるかは分かりませんが、イギリスの欧州連合-EU(European Union)からの脱退(Brexit)にひっかけた政治的なジョークがいろいろあります。「Brexit」とは、イギリスのEU離脱を指す用語です。
 How will Christmas dinner be different after Brexit?
 No Brussels!
ベルギーの首都はブリュッセル(Brussel)です。Brussel sproutsは芽キャベツですから、ですから脱退後のクリスマス晩餐には芽キャベツは入らないという笑いです。

次ぎもジョークもイギリスのEU脱退を冷やかしています。
 What’s driving Brexit? From here it looks like it’s probably the Duke of Edinburgh.
最初の文の drive の意味は「駆り立てる、動かす」です。Whatが主語の疑問文なので、文字通りに解釈すると、「何がBrexitを駆り立てているのか?」まるで交通事故レベルで、 エディンバラ公が運転しているとしか思えないくらいひどい、という意味です。エディンバラ公がかつて事故を起こしたことがあることにひっかけています。

【話の泉ー笑い】その十一 British Jokes ブリティッシュ・ジョーク その1 その特徴

Last Updated on 2023年5月12日 by 成田滋

ブリティッシュ(British)とはイギリス人とかイギリス英語のことを指します。「イングランド」を指していた言葉がなまって「イギリス」となったとも言われます。Britishといえば「ブリテン(Britain)の人、ブリテンの」ということです。Britain (British)は地理的な観点からの呼称というのが一般的な考え方です。United Kingdom(UK)という呼び名もあります。これは「イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランド」の4つからなる連合国家(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)を指す為政上の名称です。少々ややこしい呼び名なので、通常はUKという略称を使います。前置きはこの位ですが、「イギリス」とは日本だけで通用するといいたかっただけです。

Great Britain

ロシアの小咄に比べてブリティッシュ・ジョークは少々お高い雰囲気で、大笑いはできないようです。紳士、淑女の国だからでしょうか。イギリスには様々な国籍の人が集まるため、外国語訛りの英語や、奇異な外国の風習などが外国人ネタが多いようです。形式や権威への批判もジョークの対象となります。対象に権威があればあるほど面白みが増すもので、例えばアメリカ大統領をはじめ世界各国の首脳や英国王室、聖書や神もジョークのネタにされます。権力や権威に反抗的で機知に富み、強い皮肉や自虐的であることがブリティッシュ・ジョークの特徴とされます。

British Jokes

例えば「イギリスのテーブルの上にはマナーはあるが、料理はない」(There are manners but not good food on the table in England.)というのがあります。伝統や形式を重んじがちなことを皮肉っています。イギリスのジョークにはダジャレなど言葉を題材にしたネタが多いことで知られています。これもシェイクスピア(William Shakespeare) などの文学者や演劇文化を通じて培われた言葉遊びが基になっているようです。大喜利チックなコメディアンが大袈裟に転んだりするドタバタものは少ないようです。

外国語の理解力というと、複雑な長い文章を読みこなせるようになるとか、難しい表現を覚えるとか、そうしたことに注意が向きがちです。しかし、実は最も難しいのは、時代や文化的背景の部分です。ブリティッシュ・ジョークは、イギリスの地理や歴史、時事的な話題を知っていると原文を理解することができるものです。そうすると面白さや可笑味も伝わるのです。

ブリティッシュ・ジョークを一応分類すると次のようになりそうです。
 「Irony 」 自虐的な笑い
 「Sarcasm」 真逆のことを意味する笑い
 「Dry Humor」 ポーカーフェイス的な笑い
 「Self Deprecation」 謙遜し卑下する場合の笑い
 「Innuendo」 ほのめかしの笑い
 「Banter」 他虐的な笑い(からかい)
 「Pun play on words」 言葉遊びの笑い

【話の泉ー笑い】その十 エスニックジョーク その5 ロシアのアネクドート

Last Updated on 2023年5月11日 by 成田滋

私が残念に感じていることは、ロシア語を勉強していないために、ロシア語の駄洒落をオチに使っているものが理解できないことです。ロシア語の動詞、俗語、隠語が分からないのです。ですからどうしても翻訳された政治的な小咄などに偏りがちになるのは仕方ありません。私の長女はアメリカに帰化したロシア人と結婚していますが、彼からロシア語のオチを学ぶには時間が足りません。多くの識者がロシアの事情を知っていて、ロシアのアネクドートを正確に翻訳しオチを紹介してくれているのは有り難いです。

その1
「歯科医院に対する恐怖感を無くすためにはどうしたらよいか?」
「簡単だ。歯科医院がお前が口を開ける唯一の場所だと思うことだ」

その2
マッチ工事が火事になった。燃え残ったのは、マッチだけだった。
(「ノルマ」があったので、手抜きして製造する工場もあった。このマッチ工場も手抜きしてたから「火のつかないマッチ」を作っていたというオチ。)

その3
ある幼稚園で海外使節団を迎えることになり、保母は園児たちに「ソ連のものは世界一です!」と答えるように教育した。
保母「おもちゃはどう?」
園児「ソ連のものは世界一です!」
保母「食べ物はどう?」
園児「ソ連のものは世界一です!」
しばらくして園児たちが泣きながら言った「ソ連に行きたいよう!」

Leonid Brezhnev

その4
ある女優がブレジネフを表敬訪問した。
ブレジネフ「君の願い事ならなんでも叶えてあげよう」
女優「じゃあ、亡命希望者には一人残らず出国を許可してくださいません?」
ブレジネフ「おいおい、君は私と二人っきりになりたいのかい?」

その5
「アメリカでは国民がテレビを観る(watch)」
「ソビエト・ロシアではテレビが人民を見張る(watch)!」

Nikita Khrushchev

その6
アメリカ人「ソ連にもアメリカのような言論の自由があるって本当か?」
ロシア人「その通り。ホワイトハウスの前で、お前が『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられないのと同じ」
ロシア人「モスクワの赤の広場の前で『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられん」

その7
「嘘にはどんなのがあるか?」
「嘘には四つある。普通のと、厚かましいのと、統計と、人から聞いたってやつだ」

その8
国歌に関するプーチン大統領とのインタビューから
インタビューア「国歌吹奏のときは、必ず起立することになるのでしょうか」
プーチン「各人には選択の自由が与えられる。起立しないなら坐ることになる」
(坐るとは動詞で牢屋に入るという意味とかけている)

その9
「世界で最も中立的な国はどこか?」
「ロシアだな、今や自国の内政問題にすら干渉しないのだから」

その10
ロシア人は見知らぬ人をとにかく警戒する。このためか「ロシア人がこの世で2番目に信用しないのはアメリカ人だ」
(1番警戒するのはロシア人というのがオチ)

【話の泉ー笑い】その九 エスニックジョーク その4 共産主義とアネクドート

Last Updated on 2023年5月10日 by 成田滋

ロシアのウクライナ侵攻が始まった直後の2022年3月には、連邦法第32-FZ号というものが施行され、これに基づいて「軍の信用の毀損」が処罰の対象となります。ロシア軍やプーチン政権を批判したり揶揄すること(アネクドート)を封じるためと考えられます。アネクドートには、いくつかの系統があって共産主義に対するもの、独裁者スターリンに対するもの、秘密警察に関するもの、政治家に対するもの、軍関係のもの、物不足に対するもの、ノルマに関するもの、強制収容所に対するものなどなど、アネクドートを通してソ連の政治体制を馬鹿にしています。ソ連の政治的な特殊性がオチに反映されています。最近はプーチンの指導性を揶揄するものが増えています。

その1
KGB「お前の職業は?」
容疑者「著作者です」
KGB「ふん、労働者じゃないのか・・・両親は何をしていた?」
容疑者「裕福な商人でした」
KGB「しかもブルジョワか。お前の妻は?」
容疑者「貴族の娘です」
KGB「資本主義の犬め!名を名乗れ!」
容疑者「カール・マルクスと申します」

Russian Anecdote

その2
有名なガガーリンの帰還を祝うパーティーにロシア正教のモスクワ総主教も参加していた。
総主教「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見たか?」
ガガーリン「見えませんでした」
総主教「わが息子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように。」
暫くしてフルシチョフがガガーリンに同じことを尋ねた。総主教との約束を思い出したガガーリンは先ほどとは逆のことを答えた。
ガガーリン「見えました」
フルシチョフ「同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように」

その3
「どうしてソ連は月に宇宙飛行士を飛ばさなかったのか?」
「未帰還者が出る恐れがあるから」

その4
アエロフロート(ソ連航空)の機内
スチュワーデス「お食事をお召し上がりますか?」
乗客「なにが食べられるのか?」
スチュワーデス「イエスかノーかでどうぞ」

Sinking_Boat

その5
神父「ウオッカは人類最大の敵だ、そんなものにどうして好きになれるんかね?」
農民「でも聖書に書かれている、汝の敵を愛せよと」

その6
ある時、スターリンが誘拐されてしまった。誘拐犯から犯行声明が届いた。
「身代金1000万ルーブル払え‼︎ もし払わなければ、スターリンを生きて返すぞ!」

その7
ある男が強制収容所に送られてきた。囚人たちが聞きいた。
「お前は懲役何年の刑だ?」
「20年だ。何も悪いことはしていないのに…」
「そんなことはあるまい。無実の罪の相場は懲役10年だぜ」

その8
「今度政府が懸賞付きで政治ジョークを募集するらしいぜ」
「へぇ〜、それで1等賞は何がもらえるんだい?」
「シベリアへの長期休暇さ」

その9
市民がパンを買うためには、長い行列に並ばなければならない。ついに、男の1人が怒ってこう叫んだ。
男「もう我慢ならない、俺はゴルバチョフを殴りに行く」と。しばらく経って、ショボンとした顔のその男が帰ってきた。並んでいた人はみな聞いた。
市民「殴ってきたのか?」
男「あっちにも列が出来てた」

その10
「我が国の強制収容所がとても待遇が良いと聞いた。本当か?」
「本当だ。5年前、友人の記者がその真相を確かめるべく強制収容所に調査に行った。気に入ったらしく、いまだに帰って来ないから」

その11
スターリンが川遊び中、川に落ちて溺れたところをたまたま助けた農民がいた。
スターリン『褒美をあげよう、何がいいか?」
農民「あんたを助けた事を国家機密にして欲しい」

【話の泉ー笑い】その八 エスニックジョーク その4 共産主義とロシア文学

Last Updated on 2023年5月10日 by 成田滋

ロシア文学の一部といえるかどうかは分かりませんが、ロシアの小話はロシア史の激変に敏感に反応しているようです。その時々の社会的、政治的な問題を強烈に反映しているといわれています。大日本百科事典によれば、ロシアは西欧諸国と比べると、歴史的な連続性を欠き、そのため安定した統一のとれた多様な文化を生み出すことができなかったともいわれます。その代わりに、豊かな口承文学であるフォークロー(folklore) が民衆の間に代々伝承され保持されてきました。「ブイリーナ」と呼ばれるロシアの民衆叙事詩、おとぎ話、伝説、歌謡は洗練された響きを持つと評価されているようです。

収容所群島

イワン四世(Ivan IV)からピュートル大帝(Peter the Great)、そしてスターリンに至る専制、弾圧、粛清のもとで人民はあえぎました。社会の後進性、立ち後れた制度、農奴制といった社会的な矛盾に人々が苦しむという歴史的状況はロシア文学は切り離せまないようです。社会評論や政治的発言の場がなかったことから、文学が唯一の演壇となったといわれます。識者らは、文学批評を通して文学作品を解説し、検閲の目をかすめて政治的、社会的発言をその中にしのび込ませる方法をとったのです。そのようにして、文学は「ロシア帝国の法と反体制との闘争の最も重要な果たし合いの場となった」といわれます。

1973年にフランスで発刊されたソ連の作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィン(Alexander Solzhenitsyn)の「収容所群島」という記録文学はその代表といえそうです。当然ながらソ連では禁書扱いとなりました。ソルジェニーツィンは1970年にノーベル文学賞を受賞し、1974年に市民権を剥奪されて西ドイツへ国外追放されますが、ソ連崩壊後の1994年に帰国します。

Aleksandr Solzhenitsyn

1956年、第20回共産党大会の秘密会議においてフルシチョフ(Nikita Khrushchev)がスターリン批判の演説を行い、いわゆる「雪解け」時代に入ります。国内では非スターリン化が推進され、粛清の犠牲者の名誉回復、言論などの取締りの緩和により国情が変わります。ソルジェニーツィンは7月に流刑から解放され無罪となりました。

【話の泉ー笑い】その七 エスニックジョーク その3 スターリンとソ連

Last Updated on 2023年5月8日 by 成田滋

ソ連邦解体後のロシアは言論が統制され表現の自由も制限されているといわれます。おおっぴらに政府に対する不満は言えません。そこで人々は不満を「アネクドート」に変え、うっぷんを晴らしていたようです。当時の政治状況などを知っているとジョークの意味が分かってきます。アネクドートとは、主にソビエト連邦で発達した政治的風刺を持つジョーク、小咄です。アネクドートの語源は、ギリシア語のアネクドトン、「公にならなかったもの」とWikipediaにあります。

Joseph Stalin

ソビエト連邦は憲法で「言論の自由」を謳っていましたが、現実には反社会主義活動にはチェーカー→KGBのような秘密警察による弾圧が常に行われてきた言論統制社会でありました。「アネクドート」の語源の通りこのような風刺的ジョークもソ連崩壊まではおおっぴらに語られるものではなく、地下で語り継がれてきたと言われています。そのような圧政社会であったからこそ、不満のはけ口として皮肉めいたジョークが多く作られることになったと考えられます。しかしながらロシア・ソビエト連邦社会主義共和国刑法第58条違反(反革命罪)と見なされる可能性があり、10年の懲役、あるいは最悪の場合は死刑に処される可能性さえあったようです。つまり「命がけの危険なスポーツ」的な楽しみ方をされていたといわれます。

ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)の時代には、体制批判を含むアネクドート、すなわち「政治的アネクドート」を語ることは、極めて危険であったようです。それでも面白可笑しい小話は瞬く間に人々の間に広まります。ロシアにおけるユーモアは開放感をもつ文化として、またエリート層に対する対抗と冷やかしの手段として花開いていくのです。

【話の泉ー笑い】その六 エスニックジョーク その2 ロシアの小咄

Last Updated on 2023年5月6日 by 成田滋

国々の文化が理解できるようになれば、海外ドラマや洋画を見た時に外国人の笑いのツボがわかるようになります。感覚的にわかるというよりは論理的にわかるというレベルです。笑いの違いは文化の違いなので、これはいささか仕方ありません。もちろん第一は、語学の問題があります。相当勉強していないと外国語での笑いは理解しにくいことがあります。第二が文化の違い、そして第三が笑いの構造の違いです。この三つを知っていると笑えること請け合いです。

ロシア人ほどジョーク好きの民族はいないといわれます。「ソ連が残した良き遺産はジョークだけ」という人もいます。ロシアではジョークのことを「アネクドート」(anekdot)。政治的で滑稽な小咄です。ナンセンスなQ&A式ジョークがよく知られています。ぎゃははって笑えるのはアメリカンジョークかもしれませんが、深いのはロシアの「アネクドート」。以下、日本語で紹介されているいくつかの「アネクドート」です。

◆モスクワの赤の広場で、ウォッカを飲み過ぎた酔っ払いが叫んでいた。
<プーチンは大バカ野郎だ、プーチンは大バカ野郎だ!> 
たちまちのうちにKGBが飛んできて酔っ払いは連行されていった。即日裁判で、禁固22年が言い渡された。その内訳は、2年が元首を誹謗した罪、20年が国家の機密を暴露した罪であった。
酔っ払いが1年目の刑期を終えた頃、プーチンがアメリカを公式訪問した。まもなくこの酔っ払い男は釈放された。それは国家機密がもはや機密ではなくなったからだ。
◆「プーチンの政策の本質とは何か? 進歩か、それとも欺瞞か?」  
 「それは欺瞞の進歩だ」
◆「ロシア式ビジネスって何か?」 
 「ウォッカのケースを盗んで、売って、その金で飲むことだ。」
◆「10月革命は何を市民にもたらしてくれたのか?」 
  「以前は金持ちは店の正面から入り、市民は裏口から入った。今では市民は店の正面から入り、金持ちは裏口から入る」
◆ロシアの学説 「アダムとイブはロシア人だった!」
「着るものもなく、移動も許されず、食べるものはリンゴだけ、まさにロシア人のことではないか。」
◆プーチンがクレムリンのトイレに入ると、こんな落書きがしてあった。
  「プーチンの人殺し」  プーチンは「プーチン」のところを「チェチェン人」と書き換えてトイレから出た。
◆KGBのイワンとドミトリーの会話。
  「本当のところ、わが国の上層部についてどう思うかい?」
  「君と同じだよ。」
  「やっぱりそうか・・・・・・。悪いが君を逮捕するよ。」
◆スターリンが船遊びをしていて、川に落ちて溺れた、それを近所の農民が助けた。
   そして、スターリン「何かしてほしいことはあるか」
   農民「へい、わたすが、殿下を助けたことを内緒にしてくださいまし」

スターリンの葬送狂騒曲


◆スターリンが占い師に尋ねた。
  「私の寿命はどれくらいだ?」
  「わからない。しかし、おまえは最も大きな祝祭日に死ぬだろう」
  「それはいつだ」
  「おまえが死ぬ日がそうだ」
◆ソ連の戦車マニュアル
  ① 我が祖国の技術を信じよ
  ② 性能に疑問が生じた時は①を読め
◆ソ連の工業化はめざましく発展した。
  もうすぐソ連の殆ど全ての椅子が電気イスになることだろう。
◆BBCの特派員とブレジネフとの会話
  特派員「ソビエトでは労働者の生産性に何か問題はございませんか?」
  ブレジネフ「どいつもこいつも働いているフリばかりしておる」
  特派員「そういう労働者に、どう対処していらっしゃいますか」
  ブレジネフ 「彼らに賃金を払うフリをしておる」

Anekdot

【話の泉ー笑い】その五 エスニックジョーク その1 お国柄

Last Updated on 2023年5月5日 by 成田滋

人種や国の文化、行動パターンの違いを分かり易くステレオタイプ化して説明する小噺をエスニック・ジョーク(Ethnic Jokes)と言います。「人種偏見のジョーク」(Racism Jokes)と紙一重なので注意が必要です。エスニック・ジョークの世界では、あくまでも偏見ではなくユーモアの範囲内ですが、人種は次のようなステレオタイプで表現されがちです。

Be Careful!

まずはエスニック・ジョークの典型から。国際会議で「コロナの対応になにが必要か」を討議していました。各国の代表から次のキーワードが出されました。
The international conference discussed “What is Needed Now for the Corona Disaster?
 An American said. Courage.
 The German said. Rules.
 The Frenchman said. Love.
 The Japanese said. Technology.
 Finally, the Russian said. Vodka.
   アメリカ人=勇気
   ドイツ人=規律
   フランス人=愛
   日本人=テクノロジー
   ロシア人=ウオッカ


人種や国籍から次のようなステレオタイプ化した見方があります。もちろん一般化は出来ませんが、ある程度理解しうる指摘です。
   アメリカ人=独善的、傲慢、自慢好き
   イギリス人=紳士的、堅苦しい
   ドイツ人=真面目
   フランス人=好色、グルメ
   イタリア人=情熱的
   ロシア人=酒好き、物がない
   日本人=勤勉、会社人間、高品質へのこだわり

◆天国と地獄
 問1.天国とはどんな世界か?
 答1.コックが中国人
     政治家がイギリス人
     エンジニアが日本人
     銀行家がドイツ人
     恋人がイタリア人

 問2.それでは地獄とはどんな世界か?
 答2.コックがイギリス人
     政治家が日本人
     エンジニアが中国人
     銀行家がイタリア人
     恋人がドイツ人

◆最後の望み
 問.地球滅亡の前日に思うことは?
 .イタリア人:「愛人とともに過ごそう」
    日本人  :「仕事を今日中に終わらせよう」
    ロシア人 :「今日は二日酔いを気にせずに飲もう」
    ドイツ人 :「まだ24時間、1,440分、86,400秒もあるではないか!」
    アメリカ人 :「ケセラセラ、、なるようになる、、、」

Funny Racist

【話の泉ー笑い】 その四 アメリカン・ジョーク

Last Updated on 2023年5月4日 by 成田滋

今回は英語圏の定番ジョークである「ノックノック・ジョーク」(Knock, knock joke)というものをご紹介しましょう。なぜノックなのかというと、ドアの内側にいる人と、ダジャレを言うドアの外にいる訪問者という設定があるからです。その他、「ブロンド・ジョーク」(Blond Joke)「エスニック・ジョーク」(Ethnic Joke)、親父ギャグ(dad joke)などがあります。アメリカン・ジョークには日本で言うところの大喜利チックなニュアンスがあります。これぞアメリカンジョークの特徴です。

その1:先日、日本の首相がニューヨークの国連で英語でスピーチをしました。
The other day the Japanese Prime Minister made a speech in English at the United Nations in New York.
Right after the speech, one representative from Europe said, “I didn’t know that the Japanese language is so similar to English.”
このジョークは皮肉っぽい印象です。揶揄しているといってもよさそうです。日本の首相の英語力を笑っているのです。

その2:患者と医者の会話です。
患者: Doc, why are you wearing gloves?
医者: I don’t want to leave any finger prints.
このジョークはアメリカの文化を理解していると、なるほど、と合点がいきます。医者を揶揄しているのです。

その3:手術前の患者と医者の対話です。
患者: Oh doctor, I’m just so nervous. This is my first operation.
医者: Don’t worry. Mine too. 
こちらも高額な収入を得ている医者に対する一種の嫉妬のようなジョークです。頭の回転が速いんだ、と感心してしまうほどのスムーズなアメリカン・ジョークを繰り出せる人が多くいます。

Doctor and Photoshop

Doctors and Internet

その4:A naked women robbed a bank. Nobody could remember her face.
このジョークは、文化的な背景を無視できるどの国の人にも理解できる笑いです。でも女性の前では使わないほうが無難です。

その5:ブロンド女性に嫉妬するところがあります。
A brunette and a blonde were walking in the park, chatting.
Suddenly, the brunette said in a sad voice, “Poor little bird.
Poor little bird is dead.”
Hearing this, the blonde looked up at the sky and said, “What?
Where, where, where?”
ブルネットとブロンドがお喋りしながら公園を歩いていた。
すると突然、ブルネットが悲しい声で言った。
「かわいそうに、小鳥が死んでいるわ。」
それを聞いたブロンドは、空を見上げて言った。
「えっ、どこ、どこ?」

Blonde Jokes

その6:「ブロンド女性はおつむが弱い」というステレオタイプの考え方があります。
How many blonde jokes are there in the world?
Zero! Because they are all true.
この世にブロンド・ジョークなるものはいったい幾つある?
ゼロ! だってあれはみ~んなホントだから。

その7:ブロンド女性とブルーネット女性との会話
A blonde tells a joke to a brunette:
– You know why I am more beautiful than you?
– Because you have blonde hair?
– No, because I study at Harvard!
オチはハーヴァード大学でした。

【話の泉ー笑い】 その三 ノンセンス文学と「ボケ」と「ツッコミ」

Last Updated on 2023年5月3日 by 成田滋

イギリスには「ノンセンス文学」(Non-sense)という笑いを表現する伝統があります。風刺やパロディ(parody)が社会批判の役割を持った攻撃性の強い笑いものとすれば、こちらは比喩や言葉遊びーおかしみー要素が強いのが特徴です。「ノンセンス」の多くは本質的にはユーモアに属するようですが、「意味をなさないこと」によって成立するユーモアで満たされる文学です。民謡や童謡、民話や民衆劇、言葉遊びといった口承を起源とするもので、今も広く読まれるマザー・グース(Mother Goose)やナーサリーライム (Nursery Rhyme)として慕われています。言葉の操作による意味と無意味との戯れが見られるのも特徴です。社会的緊張から間隔をとり、つかの間の自由と解放を求めるのです。こうした話で登場する笑いは心理的安全弁の役割を果たしているといえましょう。

ブラック・ユーモア(Black Humor)はブラック・コメディ(Black Comedy)とかダーク・コメディ(Dark Comedy)呼ばれ,、倫理的に避けられるタブーや市民のモラルである一般的な見方や考え方に挑発をしかけ、笑いをさそうものです。人間社会の生死・戦争・差別・偏見・政治など倫理的に避けられるタブーを笑い飛ばそうとして、風刺的な描写で笑いをさそいます。ブラックユーモアは多くの国で親しまれていますが、特にイギリスで好まれており、様々な文化で優れた作品例が育まれてきた歴史があります。前述したスウィフトがその典型です。

McDiabetes

Big Mac


ジョーク(Joke) については学術的な研究も行われています。マービン・ミンスキー(Marvin L. Minsky)という人工知能の研究者は、一般大衆向けに書かれた著書の『心の社会』の中で、笑いは人間の脳に対して特殊な機能を持つと述べています。彼によれば、ジョークと笑いは脳が無意味を学ぶメカニズムと関係するとのことです。同じジョークを繰り返し聞くとあまり面白くなくなるのはこの学習のためといわれます。

喜劇、落語、漫才、川柳、漫談、ユーモア、駄洒落、風刺などの笑いは、人々が求める需要に応じて供給される商品のような性格が強いようです。綾小路きみまろの漫談がそうです。種の笑いは社会的制裁や批評機能を強めていくよりも、前述してきたような社会的安全弁の役割を持っています。笑うことで全身の内臓や筋肉を活性化させたり、「体内で分泌されるモルヒネ」といわれるエンドルフィン(endorphins)を血液中に大量に分泌させるなどの他に、免疫力を高める効果もあることが証明されつつあります。

【話の泉ー笑い】 その2 文学に登場する笑い

Last Updated on 2023年5月2日 by 成田滋

グリム童話(Grimm Fairy Tales) をはじめ、ヨーロッパの伝承話には、笑いを忘れた人間をテーマとする類話があります。生まれてこのかた、一度も笑ったことのない人間がいて、それを笑わせた者が大きな幸せを得るというストーリーです。笑わない人は病人だからで、笑いには精神的な治療の力があるということを言いたいのです。

ボッカチオ(Giovanni Boccaccio)のデカメロン(Giovanni Boccaccio)にも笑いが登場します。大流行したペストから逃れるためフィレンツェ(Florence)郊外に引きこもった男3人、女7人の10人が退屈しのぎの話、ユーモアと艶笑に満ちた恋愛話や失敗談などを語り合うという趣向が描かれています。出されたネタ(お題)に対して演者が回答し合うのです。恐ろしい病が流行し、心がふさがれる状況では、切実に笑いが必要であったのです。

ミゲル・セルバンテス(Miguel de Cervantes)のドン・キホーテ(Don Quixote)は、主人公の時代錯誤的なこだわりと同時に、従士サンチョパンサの対比で、無垢な心と世間的処世知とのコントラストが笑いを誘う物語です。奇行を繰り返すドン・キホーテにサンチョパンサは何度も現実的な忠告をしますが、大抵は聞き入れられず、主人とともにひどい災難に見舞われるのです。無学なサンチョパンサですが、様々な諺をひいたり機智に富んだ言い回しをして読者に笑いを与えてくれます。

Don Quixote and Sancho Panza

笑いを通して賢と愚、正気と狂気、破壊と創造といった両義的な価値を問題としたのが作家のジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)です。アイルランドのジャガイモ飢餓(Potato Famine) や不在地主に対する強烈な風刺を描いたことで知られる作家です。食糧問題を解決するために、貧民の赤子を1歳になるまで養育し、アイルランドの富裕層に美味な食料として提供する「穏やかな提案」という作品を書いています。「穏健なる」は実は反語表現でして、その内容はスウィフトの諷刺文書の中でも最も強烈な傑作と評価されています。笑いという仮装の下に政治に対する鋭い批判を込めたのです。

Gullivers Travels

「ガリバー旅行記」(Gulliver’s Travels)もそうです。不毛な科学、不死の追求、男性性、動物を含めた弱者の権利等、今日の数多くの議論がこの作品では予見されている優れた内容といわれます。その一例ですが、卵の割り方の対立によって、小人国に大きな内紛が起こったことが語られています。「卵の割り方程度でどうしてそんな争いを起こすのか?」と馬鹿馬鹿しく記すのです。「ガリバー旅行記」は、人間を人間でない世界の中に置くことで、人間に対する深い洞察をしているのが興味深いところです。

【話の泉ー笑い】 その1 笑いの定義

Last Updated on 2023年5月1日 by 成田滋

これから【話の泉ー笑い】と題して、笑いの極意を探求していきます。【話の泉】とは、1946年12月から1964年3月まで約18年間NHKラジオ第一で放送された番組です。サトウ・ハチローや徳川夢声、堀内敬三らの解答者が、自らの持っている雑学の知識を披瀝し、うんちくを傾けて笑いを誘うトーク番組でした。私は1950年代の後半からこの放送をよくきいていたものです。

「笑い」とは、人間関係の中で最も頻繁に現れる感情表現の一つです。対人関係では、怒り、不満、威圧、からかい、批判,風刺などで緊張が生まれます。それでもなお関係を改善する役割を果たすのが笑いといわれます。吹っ切れた爽快さもあります。関係を損なうかわりに、笑いは関係を修復してくれるのですから、不思議なものです。反面、本人が本当におかしくてそのまま笑ってよい場合もあります。居合わせる人々への配慮から、抑えた笑いもあります。このような場面での振る舞いは、対人関係における文化的現象といえます。私たちはいつの間にか、対人関係から笑いというスキルを習得していきます。

Barack Obama

時、所、場合において適切な笑いがあり、成人も老人も、年令により、また男、女らしさの笑いもあります。社会的地位や職業によっても笑いの型があります。笑いは必ずしも意識的に生まれるというよりは、むしろ共感による同一化によって学習されたものといえそうです。

イギリスの哲学者、トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)は、人間は未来の自己保存について予見できるので、つねに自己保存のために他者より優位に立とうとする存在だと主張します。そして笑いとは他人の弱点、あるいは以前の自分自身の弱点に対して、自分の中に不意に優越感を覚えたときに生じる突然の勝利、それが笑いだというのです。精神分析学者のジークムント・フロイド(Sigmund Freud)は、「ジョークとその無意識に対する影響」という著作の中で、制約されていた衝動が突然満たされたときに生じる心的状態が笑いだと書いています。

ホッブスがいう笑いの定義の背後には、彼が生きた17世紀ヨーロッパい社会があります。身分制度の社会で階級的なルール、エチケットが支配する宮廷やサロン、社交界では、そこで笑いものになることは、命取りになりかねなませんでした。つまり笑いには社会的制裁としての役割もありました。滑稽は不名誉よりも人の名誉を損なうものでした。

それでも笑いは、やがて社会的な地位を築いていきます。社会的制裁としての役割に限らず、笑いは有効な批評の機能も備えていきます。ヨーロッパの笑い話や阿呆文学には、しばしばおかしみや滑稽を通して教会のドグマや身分制社会のびずみ、人間性そのものに鋭い疑問を投げかけています。笑いは中世的なモラルや処世の秘訣を教えるための楽しい手段でした。他方、笑いは性的なことを含め、世の中のさまざまなタブーに挑戦する機会を与えてきたのも事実です。