政治教育の意義 その6 ナチズムの反省と格言

ドイツの学校におけるナチスドイツ時代の国家社会主義の歴史教育は、単に過去に起きた悲惨な出来事を暗記するものではありません。我々はどのようにして民主主義を守るべきか、なぜ当時の人々は独裁を許してしまったのかという、現代の市民としての勇気を養うための政治教育と完全に直結しています。

その具体的なアプローチや授業の進め方を紹介します。
1) 「過去の克服」という基本方針:
 ドイツの教育課程において、ナチスドイツ体制とユダヤ人大量虐殺のホロコースト(Holocaust)の歴史は、中等教育の間に異なる歴史、政治、国語、宗教・倫理などの教科で、時期を変えて通常は2〜3回繰り返し包括的に学習するよう法的に義務付けられています。

 徹底されているのは、加害者側の視点と心理の分析です。「ヒトラーという一人の怪物とその一味が悪事を働いた」という単純な構図では教えません。当時のごく普通の市民が、なぜナチスの宣伝に熱狂し、差別や排除に加担し、あるいは沈黙してしまったのかという社会のプロセスを徹底的に解剖します。

2) 徹底的な「当事者性」を持たせる実践的な授業手法:
 授業では、教科書を読むだけでなく、生徒一人ひとりに「もし自分がその時代に生きていたら」という当事者としての問いを投げかけます。さらに、一次史料を多角的に分析することです。当時のナチスの教科書、子ども向けのプロパガンダ絵本、市民の日記、法令などを直接読み解きます。どのようにして差別が合法化され、日常化していったのかを学びます。

 体験談のデジタルアーカイブも活用します。 生存者の高齢化が進む現在、インタビュー映像やデジタル化された手紙、日記などの資料を活用し、個人のミクロな視点から歴史を捉え直します。

3) 現地訪問の義務化:
 ドイツの多くの連邦州では、卒業までに少なくとも一度、ダッハウ(Dachau)、ブーヘンヴァルト(Buchenwald)、ザクセンハウゼン(Sachsenhausen)などの旧強制収容所や、地域のホロコースト記念碑・博物館への訪問が学校行事として事実上義務付けられたり、強く推奨されています。

 現地での学習は、厳粛な追悼の場であると同時に、きわめて具体的な学びの場となることです。収容所の精緻な管理システム、それを支えた民間企業の存在、近隣住民との距離などを肌で感じることで、ホロコーストが文明社会の真ん中で、日常の延長線上として機能していたという恐怖と事実を学びます。

シュトルパーシュタイン

4) 身近な空間から学ぶ「シュトルパーシュタイン(つまずきの石)」
 学校の敷地外や通学路も教材になります。ドイツの街中の歩道には、ナチスに迫害された被害者の氏名や生没年、どこへ強制連行されたかが刻まれた真鍮のプレート「シュトルパーシュタイン(Stolpersteine)」が埋め込まれています。

 歴史の授業の一環として、学校の周辺にあるこの石を調べ、かつてそこに住んでいたユダヤ人家族の足跡をたどるプロジェクトを行う学校も多くあります。「歴史は遠い場所のことではなく、今自分が暮らすこの街、この家で起きたことだ」という実感を市民に持たせるための重要な教育手法です。

5) ネオナチ(neo nazi)・右翼ポピュリズムという現代の課題との接続
 ここでも「ボイテルスバッハ・コンセンサス」が機能します。ナチスの歴史を学んだ上で、授業の後半は必ず「では、現代の社会において、これと似た兆候はないか?」という議論に接続されます。次のような話題を議論します。

・インターネット上のヘイトスピーチ
・現代の右翼ポピュリズム政党(AfDなど)の台頭と排外主義
・民主主義的な手続きを形骸化させる政治の手法

 これらをテーマに選び、「過去のナチズムの台頭プロセス」と「現代の社会問題」を比較分析させます。歴史を鏡として、現代の危機に気づく目を養うことこそが、ドイツの歴史教育のゴールです。

ドイツ歴史教育の格言:
 ドイツの学校で共有される共通の認識に、「過去に責任はないが、未来に対する責任はある(Für die Vergangenheit keine Schuld, aber für die Zukunft die Verantwortung)」という言葉があります。過去の罪を今の子どもたちが背負う必要はないが、それを二度と繰り返さないための民主主義の番人になる責任がある、という考え方が教育の根底に流れています。

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