中間選挙の投票日が近づくとオールドメディアもニューメディアも、両陣営のがどの沼のような戦いを報道しています。丁々発止の討論があると思うと、互いの罵り合いも繰り広げています。日本の選挙では決して見られない姿です。こうした泥仕合は、一概に文化の違いということに結論づけるのは間違いです。アメリカの開拓の歴史は、移民してきた人々の飽くなき独立の精神に反映されています。選挙における相手への激しい攻撃にもそれが表れています。
フロンティアの開拓は、土地を巡る自分の自由や権利をまもる戦いの連続だったのです。他人のことを考えるよりも、自分がどう生きるかに忙しかったのです。今回の選挙における討論や集会を見ると、自分の主張が正当であり、相手への非難や罵りは、有権者には寛容に受け止められているようです。
なぜこうした泥仕合が許されいるのかです。合衆国憲法において選挙運動でのネガティブキャンペーン、すなわち相手の醜聞、人種・信教、資金について非難することは、修正第14条や表現の自由に違反していないのです。それどころか、アメリカの法体系においては「最も強力に憲法で保護されている表現活動」の一つとみなされています。
国民の知る権利と監視: 候補者の裏の顔、すなわち買収、スキャンダル、信教・思想、巨大な資金源などを公に暴露し批判することは、有権者が真実を知り、適切な代表者を選ぶために不可欠であると考えられています。さらに「言論が攻撃的であるか」「相手を傷つけるか」「過激であるか」は、国家がその言論を規制する理由にはなりません。過激な言論が許容されているのです。
重要なのは、「憲法は政府(国家)を規制するもの」であり、「民間人や政治家同士のお互いの批判を規制するもの」ではないという点です。政府が「相手の宗教やスキャンダルを批判してはならない」と規制することこそが、最高裁によって「修正第14条を通じて修正第1条に違反する(違憲)」と判断されます。イスラム教徒=テロリストであるというイメージ作りも合法なのです。憲法修正第14条は、市民権の保障と法の支配を定めた最も重要な修正条項の一つです。憲法修正第1条は、国家による信教や言論への干渉を禁じる条項です。
買収とか汚職についてです。公職者の不正を暴き批判することは、表現の自由の根幹です。最も基本的な政治批判として是認されています。次にセックススキャンダルです。倫理・適性の判断材料として、候補者の道徳観や誠実さ、脅迫リスクの有無などは有権者の重要な判断材料とされるため、スキャンダルは公表や非難が許容されます。逆に、宗教票の獲得のために愛や団結の政治というイメージも堂々と叫ばれるのです。
投票日が近づくと、それぞれの陣営が資金を投入して、テレビ広告などを増やします。批判も増えます。ですがこうした政治資金の投入やその批判も「表現の自由」の一環として強力に保護されています。政治的資金の投入は表現の自由であるという解釈です。
終わりに、人種・信教 差別的言論でも政府は規制することが許されていません。ヘイトスピーチであっても、政府が法的に禁止・罰することは修正第1条違反となります。しかし、それが度を超すと有権者から政治的ペナルティを受けて、落選となるのです。


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