障害者安楽死計画への反対運動

ナチスによるユダヤ人の絶滅政策は主にポーランド領内で行われたのに対し、「無価値な」個人と見なされていた障害者の殺害はドイツ国内で行われます。障害者はカトリックやプロテスタントの福祉施設に直接介入する形をとったため、広く公に知られることとなります。これに反対した教会指導者たち、主にガーレン司教と、ヴュルテンベルク(Württemberg)のルター派司教テオフィル・ヴルム(Theophil Wurm)は、広範な国民の反対運動を喚起することになります。ナチス政権は1939年に安楽死計画「T4作戦」( Aktion T4:euthanasia)を開始します。この計画は、認知症、知的・精神的障害、精神疾患、てんかん、身体障害のある人々、ダウン症の子どもたち、および同様の症状を持つ人々を標的としていきます。同計画により、1939年9月から1941年8月までの間に7万人以上が組織的に殺害されています。1941年以降も殺害は非公式に続けられ、犠牲者の総数は20万人に上ると推定されています。

 1941年、ドイツ国防軍が依然としてモスクワへ進撃していた時期に、ガーレン司教は、それまで長らく民族主義的な心情を抱いていたにもかかわらず、ゲシュタポの無法行為、教会財産の没収、そしてナチスの安楽死計画を公然と非難します。彼は、ゲシュタポが教会財産を映画館や売春宿として使用するなど、自らの目的のために流用していることも激しく批判していきます。また、ドイツ国内におけるカトリック教徒への不当な扱い、例えば法的手続きを経ない逮捕や投獄、修道院の弾圧、修道会の追放に対しても抗議の声を上げていきます。しかし、彼の説教は単に教会を擁護するにとどまりませんでした。彼は、政権による基本的人権の侵害がドイツにもたらす道徳的危機についても言及し、「生命への権利、身体の不可侵性、そして自由は、いかなる道徳的社会秩序においても不可欠な要素である」と説教で述べるのです。

 さらに、裁判手続きなしに処罰を行う政府は「自らの権威を損ない、市民の良心における主権への敬意を失わせるものである」と説きます。ガーレン司教は、たとえ自らの命を危険にさらすことになろうとも、人の命を奪う行為に抵抗することこそがキリスト教徒の義務であると語りかけます。ヒトラーによる「T4作戦」という安楽死計画の命令書の日付は、ドイツがポーランドに侵攻した1939年9月1日でありました。計画の噂が広まるにつれて抗議の声も高まり、ついに1941年8月、ガーレン司教は同計画を「殺人」であると糾弾する有名な説教を行うのです。1941年8月3日、一連の糾弾演説の中で、ガーレン司教は次のように宣言します。

安楽死計画の執行施設

 「汝、殺すなかれ」。神は、いかなる刑法よりもはるか以前に、この戒めを人の魂に刻み込まれた…。神はこれらの戒めを我々の心に刻み込まれたのである……。それらは我々の社会生活における不変かつ根本的な真理である…。ドイツのどこに、そしてこの場所に、神の教えへの服従があるというのか?第一の戒め、「汝、わがほかに神々を置いてはならない」について言えば、人々は唯一にして真実、かつ永遠なる神の代わりに、自らの気まぐれに従って、崇拝すべき独自の神々――自然、国家、民族、あるいは人種――を創り出してしまったのである」

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