オールドメディアやSNSで大きく取り上げられた沖縄県知事の選挙では、古謝玄大氏が当選し15代の知事に就任します。沖縄の本土復帰以来の県政は誰が担ったきたか、その推移を振り返るとジェットコースターのように揺れてきた複雑な革新と保守との角逐があります。整理すると次のようになります。
革新(屋良朝苗・平良幸市) → 保守(西銘順治) → 革新(大田昌秀) → 保守(稲嶺惠一・仲井眞弘多) → オール沖縄/革新寄リ(翁長雄志・玉城デニー)と、時代ごとに基地問題へのスタンスや国とのアプローチの違いから振り子のように変遷してきた経緯があります。
以上の流れを大きく見るとかなり興味深いのは、沖縄県政が「革新系」と「保守系」の間を行き来してきたことです。特に大きな転換点は2014年の翁長雄志氏の当選です。翁長氏はもともと自民党系の政治家でしたが、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する勢力を結集した「オール沖縄」を掲げて当選しました。なお、屋良朝苗氏については少し注意が必要です。1972年5月15日の復帰時に初代知事に就任し、同年6月25日の復帰後初の知事選でも当選しています。そのため、沖縄県の資料では「初代」として一括して扱われる場合と、選挙ごとの代数で数える場合があります。そして玉城デニー氏は2018年に初当選し、2022年にも再選されています。
歴代の沖縄県知事の立場は、「基地賛成 vs 基地反対」という二択ではありません。むしろ、次のような課題で論争が続いています。
・米軍基地そのものをどう考えるか
・普天間をどうするか
・普天間返還のために県内移設を認めるか
・認めるとして、どのような条件を付けるか
・辺野古の現在の計画を認めるか
政府側から見ると、1996年のSACO合意以降の基本的な考え方を堅持しています。SACO合意とは、1996年12月2日に日米両政府が設置した「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」がまとめた、普天間飛行場を含む沖縄の米軍基地の返還や負担軽減に関する最終報告のことです。その眼目は「普天間の危険性を除去しながら、海兵隊の抑止力を維持するため、代替施設を辺野古に設ける」というものです。防衛省は現在もこの考え方を維持して建設を進めています。
玉城デニー知事らは、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設および新基地建設に対して、一貫して次のように明確に反対してきました。
・普天間飛行場の早期運用停止・閉鎖・撤去
・辺野古新基地建設への反対と県民の民意尊重
・埋め立て承認変更申請の不承認・法廷闘争
この「政府側の論理」と「沖縄県側の論理」の食い違いこそが、30年近く辺野古問題が解決しない核心です。「なぜ1996年には『県外移設』ではなく『県内移設』になったのか」「なぜ辺野古になったのか」「沖縄県はなぜ2013年に一度承認したのか」を、日米両政府・沖縄県・名護市それぞれの思惑を対比させて時系列で追うと、沖縄県の抱える問題がかなり明確になります。革新も保守も「沖縄に寄り添う」という白けたスローガンに明け暮れてした選挙でした。



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