アメリカ合衆国建国と植民地時代の歴史  その20 割譲と領土の拡大

Last Updated on 2025年2月4日 by 成田滋

合衆国の形成期には、人口増加、居住地域の増大、領土の拡大がほぼ並行して進みます。1790年の第一回国勢調査では約223万キロの領土となり、1863年にルイジアナ州(Louisiana)を買収しほぼ2倍の国土となります。さらに1819年にはフロリダ(Florida)を買収し、1830年のインディアン移住法(Indian Removal Act)によりインディアンを強制的に西部に移住させると、1836年のメキシコ領テキサス(Texas)でのテキサス共和国樹立し1845年のアメリカへの併合を決めます。

イギリスとアメリカによって共同で占有されていたオレゴン・カントリー(Oregon Country)の割譲による1846年のオレゴン条約(Oregon Treaty)の締結、および米墨戦争によるメキシコ割譲により、領土は西海岸にまで達します。1845年にテキサス、翌年のオレゴンの併合に続き、1848年にはカリフォルニア(California)、ネヴァダ(Nevada)、ユタ(Utah)、アリゾナ(Arizona)の大部分、コロラドの一部、ワイオミング(Wyoming)、ニューメキシコ(New Mexico)を含む北アメリカ大陸の南西部がメキシコから割譲されて、領土は大陸の三分の二に増大します。

テキサス共和国の誕生

 1853年、メキシコ担当大臣ジェームズ・ガズデン(James Gadsden)によるアリゾナ州南部およびニューメキシコ州購入で大陸部の領土拡張は完了します。1790年には、393万人の住民のほとんどが大西洋岸に居住し、植民は東部海岸から内陸に向かって400キロくらいまで進みます。その一部はさらに西方のオハイオ、カナダ、ミシシッピ川(Mississippi )水系オハイオ川の支流のひとつであるカンバーランド川(Cumberland River)まで広がっていきます。ニューヨーク州のエルマイラ(Elmira)、ビンガムトン(Binghamton)に人々が居住し始め、ミシガン州デトロイト、マキナック(Mackinac)、ウィスコンシン州グリーンベイ(Green Bay)、プレーリー・ド・シン(Prairie du Chien)、インディアナ州ビンセンス(Vincennes)にも開拓地が置かれます。後にアラスカとハワイも1959年に州に昇格します。

 アメリカの領土拡大政策は成功していきます。1867年にアメリカがロシア帝国から720万ドルでアラスカ(Alaska)を購入したのもその一例です。当時アメリカでは「巨大な保冷庫を購入した」という非難が起こったようです。しかし、後日油田の発見や軍事的な重要性が認識されてアメリカは安い買い物をしたのです。領土は国家主権の基礎にあるものです。我が国の北方四島の返還交渉やウクライナのロシアへの抵抗がそれを例証しています。

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アメリカ合衆国建国と植民地時代の歴史  その20 割譲と領土の拡大」への1件のフィードバック

  1. 720万ドルでアラスカ(Alaska)を購入したのは、もの凄い安い買い物といわれます。領土を売り渡すということの結末を知らないとこのようなことになります。

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