琉球・沖縄の独自性を沖縄の人々に再認識させようとした運動の思想が独立論です。琉球王国時代の豊かな文化や芸術、土着の宗教や言語などに独立論の起源があると考えられます。南方との交易によって琉球にはいろいろな文化がもたらされました。特に最大の交易相手だった中国からは強い影響を受けました。琉歌や組踊りも独特です。他方で書き言葉は主に漢字かな交りの和文を用いていました。しかし、本土復帰と琉球の独立は相反する精神の葛藤であることがやがて鮮明化していきます。
琉球の独自性は、地元の学者やジャーナリストによって研究されていきます。「沖縄学の父」と呼ばれた伊波普猷(いはふゆう)の沖縄研究は、沖縄の言語学、民俗学、文化人類学、歴史学、宗教学など多岐に渡ります。伊波の後継者といわれたのが外間守善で、生涯を琉球文学や文化研究に捧げます。比嘉春潮もまた沖縄史の研究者であり沖縄の独立を主張した社会運動家でした。仲宗根政善はひめゆり学徒隊の引率教官で、戦後は琉球方言の研究や沖縄の教育行政にあたります。「琉球王朝史」の著者で民俗学者であった川平朝申も琉球・沖縄の独自性を叫んでいた一人です。
川平を含む勇気ある祈りを唱えた平良牧師ら多くの知識人は、当初は米国の施政権下からの脱却を目指していました。本土復帰が決まるとことによって琉球は沖縄県となり、日本への統合が始まります。最終的に「沖縄」が選ばれたのは、中国由来の地名である「琉球」を県名にすることを嫌ったためではないかと考えられています。復帰とともに、本土からヒト、モノ、カネ、そして制度が怒とうのように押し寄せ、日本政府という権力の凄さ、恐ろしさが県民によって理解され始めます。それと同時に沖縄民族(ウチナンチュ)の独自性や精神、文化が揺らぐことの危機意識が高まり、「反復帰」の声が地元の新聞論調にみられるようになります。
復帰後、「本土復帰は幻想ではなかったのか」と反芻するような声が起こります。だが時は既に遅し。「反復帰」の精神は運動として高まることはありませんでした。沖縄の一部の人々でありましたが、唯一日本からの独立という途方もない発想をした沖縄人に、私は今も畏敬の念を抱く一人であります。



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