Last Updated on 2025年2月26日 by 成田滋
桶狭間の戦の経緯には、諸説があって興味をそそられます。桶狭間には、蜂須賀小六と当時、後に木下藤吉郎と呼ばれた豊臣秀吉が登場します。駿河や遠江の守護大名で「海道一の弓取り」と武門中の武門である今川義元、そして織田信長ももちろん登場します。
記録によりますと、義元本陣を攻撃する直前に豪雨となり、織田軍にとっては僥倖な状況となったようです。信長は視界が悪い中、今川勢に悟られないよう味方の善照寺砦に兵を集め、本人は2,000騎連れて中島砦に向います。そこから釜ヶ谷に到達し雨が止むのを待ちました。釜ヶ谷は、義元の本陣であるおけはざま山のすぐ北側にあります。そこから義元の本陣を急襲します。
以下の碁談義は、井川香四郎作の小説「飯盛り侍ーすっぽん天下」に登場する織田勢の会話です。
小六は与力という下級武士でしたが、11歳年下の秀吉を家来として、軍政方面で信長を補佐していました。ある護岸の普請に秀吉がかり出されていたとき、野武士のような侍が土手を歩いてきます。秀吉はその侍を小六の部下だと思ったようです。その頃、秀吉はサルと呼ばれていました。その侍に向かって秀吉は領主である信長の悪口を言い始めます。
サル:「うつけの殿様はこのままでは美濃勢に攻められ、背後からは今川の軍勢に突かれてしまうにきまっとるに」
野武士:「どうすればよい」
サル:「いくら俺でもそうペラペラ喋らんでよ、、だがまあ、碁でいえばオイオトシってとこだなも」
サル:「それも気がつかぬとは、信長さまは大うつけもいいところだ」 (うつけ〔空〕とは大馬鹿、愚かという意味)
野武士:「オイオトシとな、、、おまえ、碁をやるのか」
サル:「叔父は百姓だけんども、織田家の茶坊主をしとったで、教わったんよ。俺のほうが筋がいいから、すぐに勝つようになったで」
数日後、小六の元に信長の使者がきて、サルを連れて来いといいつけます。
小六:「おまえ、悪口を言ってたというが、、、やむを得ぬ。俺も同行して万一の場合は一緒に首を打たれてやる」 サルと小六は信長のもとに赴きます。
信長:「サルと申すか」
現れた信長をみてサルはびっくり仰天します。先日普請場で会った野武士だったからです。
サル:「ハハア、、、」
信長:「サルとヤラ、この前、話しておったオイオトシとはどういう意味じゃ」
秀吉は、幾つもの捨て石を作り、大軍をそちらに誘い込みつつ、その間隙をぬって孤立した兵を奇襲で倒す方法が、小より大を制することの基本だと訴えます。
信長:「そんな事、おぬしに言われずとも分かっている、それをどうやってやるのか、下手な答えでは首が飛ぶぞ」
サル:「ハ、ハイ、、、、」
秀吉は領地図を出して貰って、それを見ながら具体的な城造りについて必死に説明します。
サル:「お侍は地図を平面でみますが、おらあ農民は鳥の目、魚の目、蟻の目、、、、幾つもの目で見ます」
人間はせいぜい高低差だけを気にして陣取りをする。それよりももっと上空を意識すると、その陣営の背後や横が以外と隙だらけたとわかる。さらに山間地ならば沢、平野ならば葦原のような湿地から攻めることで、敵の意表を突くことができる、蟻の巣のように地中から隧道を掘って攻めることもできる、などと説明します。これらは秀吉が土木が大事だと考えた原点だったのです。後に秀吉の土木的な作戦は、播磨は三木城の「干し殺し」、鳥取城の「餓え殺し」、備中高松城の「水攻め」などに現れます。
信長:「鳥の目、魚の目、蟻の目、な、、」
信長は納得したようで、小六に「この者、置いて帰れ、俺が貰うた」
こうして信長の家来となり、木下藤吉郎と名乗るようになります。やがて、義元が大軍を率いて尾張に侵攻してきます。
信長:「人間はいつか必ず死ぬ運命にある。この戦か、次の戦か、それは天のみが知るだ。サル、勝てるか?」
サル:「分かりません。その先の事も分かりません」
信長:「いいかサル、負ける戦はせぬ。それが俺の信条じゃ。お前の論じたオイオトシとやら、今こそ見せて貰おうか!」
