アメリカ合衆国建国と植民地時代の歴史  その9 ロジャー・ウィリアムズとロードアイランド

Last Updated on 2024年12月29日 by 成田滋

東海岸(East Coast)とはアメリカの大西洋岸のことです。マサチューセッツ湾植民地の権威主義的な傾向にもかかわらず、そこでは恐らく他の植民地では見られないようなコミュニティの精神が醸成していきました。マサチューセッツ州の住民が清教徒の道徳の真の原則から逸脱していることを隣人に知らしめたように、その精神が、隣人のニーズに添ったものであるように訴えていきました。マサチューセッツ州での生活は、それまでの正統派主義に反対する人々にとっては困難でしたが、社会でゆき渡ってきたコンセンサスの中で生活する人々の賛同や共同体の感覚が次第に浸透していきます。

Rhode Island

 同時に多くのニューイングランド人はマサチューセッツの支配層によって押しつけられる正統派主義の中で生きることを拒否し、コネチカット(Connecticut)とロードアイランド(Rhode Island) が彼らの不満のはけ口として開拓されていきます。 1633年にマサチューセッツ湾に到着したトーマス・フッカー牧師(Rev. Thomas Hooker)は、すぐに教会員の入国に関する植民地の制限政策と植民地の指導者の寡頭的権力が望ましくないと考えます。マサチューセッツの宗教的および政治的施策に対する嫌悪感と新しい土地を開拓したいという願望に動機付けられて、フッカーと彼の仲間は1635年にコネチカット渓谷 (Connecticut Valley)に移動し始めます。そうして1636年までに、ハートフォード(Hartford)、ウィンザー(Windsor)、とウェザーズフォード(Wethersford)の街が造られていきます。 1638年にニューヘブン(New Haven)に別の植民地が設立され、1662年にコネチカットとロードアイランドが1つの憲章の下で合併していきます。

 ロードアイランドの創設に密接に関わったロジャー・ウィリアムズ(Roger Williams)は、植民地で確立されていた正統派主義に服従しないため、マサチューセッツから追放されます。アン・ハッチンソン(Anne Hutchinson)という女性の聖職者もそうでした。ウィリアムズやハッチンソンの見解は、いくつかの重要な点でマサチューセッツの支配層の見解と相対立していました。信仰を告白し、それにより教会の会員になる資格があるという厳格な教義は、最終的に誰もが教会の会員となるということを認めませんでした。

Roger Williams

 ウィリアムズはやがて教会がその会衆の純粋さを保証できないことを認識することになり、彼は純粋さを基準とした会員の認定をやめ、代わりにコミュニティのほぼすべての人教会の会員資格を認めるようにしました。さらに、ウィリアムズは明らかにイギリス国教会からの分離・独立の立場をとり、ピューリタン教会はイングランド国教会内にとどまっている限り、純粋さを達成することはできないと説教します。最も重要なことは、ウィリアムズやハッチンソンは、マサチューセッツの指導者が先住民族から土地を購入せずに、土地を占領することに公然と異議を唱えたことです。

 しかし、ウィリアムズらの主張は受け容れられず、彼は1636年に自ら信じる摂理(Providence)のためにマサチューセッツ湾から撤退することを余儀なくされます。1639年、マサチューセッツの正統派主義の反対者であるウィリアム・コディントン(William Coddington)は、ニューポート (Newport.)に会衆を定住させます。4年後、牧師のサミュエル・ゴートン(Samuel Gorton)も、支配的な寡頭制に異議を唱えたためにマサチューセッツ湾から追放され、シャウーメット(Shawomet)、後にワーウィック(Warwick)と改名される地帯に移住します。1644年、これら3つのコミュニティは、ポーツマスの4番目のコミュニティとして1つの憲章の下で合流し、ナラガンセット湾(Narragansett Bay)のプロビデンス・プランテーション(Providence Plantation)と呼ばれる入植地を形成していきます。

Narragansett Bay

 ニューハンプシャー(New Hampshire)とメイン (Maine)の初期の入植者もマサチューセッツ湾の政府によって支配されていました。ニューハンプシャーは1692年にマサチューセッツから完全に分離されますが、1741年になって初めて独自の王立知事が任命されました。メイン州は1820年までマサチューセッツ州の管轄下に入ります。ロードアイランド州はアメリカでもっとも小さい州で鳥取県より少し小さく、その愛称「リトルローディ」(Little Rhody)は、「良いものの包みは小さい」という諺を表しています。

注釈:ロードアイランド州は静かな海岸線や田園地方でも知られ、州都プロビデンスにはアメリカ名門8大学の総称アイヴィーリーグ(Ivy League)の一つであるブラウン大学(Brown University)があります。

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