最近、NHKが制作した「坂の上の雲」が再放送されています。司馬遼太郎の歴史小説も素晴らしいのですが、ビデオからも日露戦争の緊張が伝わってきます。この戦争は日本の命運を賭けた一大事件ともいえるものです。なぜ日本がヨーロッパの大国ロシアを相手に戦いを挑んだのかです。当時、日本には戦争を遂行するだけの国力や財があったのかを知りたくなります。調べていくとそこには国債の発行を巡るユダヤ人と日本との関わりがあったことがわかります。
アジアにおける帝国主義は、とりわけ日本とロシアの関係に緊張をもたらします。当時日本は、日清戦争によって朝鮮半島と遼東半島などを支配していました。帝政ロシア=ツァーリは満州や朝鮮への進出を企て、日本の権益とぶつかることが懸念されており、ロシアとの戦争を予想していました。しかし、欧米列強にくらべ日本は経済力でも軍事力でも大きく立ち遅れていました。そのためには戦時国債として1,000万ポンドを調達する必要がありました。当時、国債を国内で引き受ける力はなく、外国に引き受けを求めたのです。
日銀副総裁であった高橋是清が外債募集のためアメリカに渡ります。ですが、どこも公債を引き受けるところがありません。次に日英同盟が結ばれていたイギリスにわたり、そこでユダヤ系のアメリカ人銀行家であったジェイコブ・シフ(Jacob Schiff)に会います。クーン・ローブ商会 (Kuhn Loeb & Co.) の上席パートナーであるシフが5000万ポンドの戦時国債引き受けることを申し出てくれます。さらにシフらの支援を受けて、残り500万ポンドの国債もイギリスの金融機関から引き受けて貰うことになりました。こうして日本は戦時国債を発行することができました。なおシフは全米ユダヤ人協会の会長職にありました。
シフらが2億ドルの融資を通じて日本を強力に資金援助したことで、日本の勝利とロシア革命による帝政ロシア崩壊のきっかけをつくったといわれます。以後日本は3回にわたって7,200万ポンドの公債を募集、シフはドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)などに呼びかけ、融資が実現します。結果として日本は勝利を収め、シフは一部の人間から「ユダヤの世界支配論」を地で行く存在と見なされるようになったといわれます。シフは、もし帝政ロシアが敗北すれば、革命にしろ改革にしろ、ロシアはよい方向に進むであろうと考えていたようです。ともあれ戦費調達の成功は、高橋是清の財政政策の手腕によるものだったといわれます。
シフは第一次世界大戦の前後を通じて世界のほとんどの国々に融資をしてきたといわれます。さらにシフは1917年にレーニン(Vladimir Lenin)、トロツキー(Leon Trotsky)に対してツァーリ打倒のための資金を提供してロシア革命を支援したともいわれます。ついでですがトロツキーはユダヤ系ロシア人でした。
Wikipediaによれば、シフの日本に対する融資の理由は、ロシアでのユダヤ人迫害といわれるポグロム(pogrom)に示されるツァーリによる反ユダヤ主義(Anti-semitism)に対する批判であったようです。特に1903年、今のモルドバ(Republica Moldova)の首都であるキシナウ(Kishinev)で発生した大規模なキシナウ・ポグロム(Kishinev pogrom)にシフは唾棄し痛烈な非難を向けたといわれます。
日本を帝国主義列強の一つに押し上げた日清・日露戦争期に、国債は大きな役割を果たしました。特に日露戦争では軍費を賄うために83%が公債・借入金で調達され,約15億8000万円の公債が発行されたといわれます。そのうち約8億円は英国通貨ポンドでの公債となり、こうした外資導入は日本の命運を左右する重要な契機となりました。日露戦争が終わり、1905年のポーツマス条約の締結によって南樺太が日本に割譲されます。これにより国策によって大勢の移住者に混じって筆者の父方の成田家、母方の吉田家も南樺太へ移住します。そんなわけで私は樺太生まれです。
(投稿日時 2024年10月18日)