2014年9月27日のこの欄で「公認心理師法案に関してーー注意を喚起したい」という拙文を掲載しました。要は「公認心理師って一体全体なんなのか、その専門性とは何か、保護者や子どもその他クライアントのことを念頭に置いているのか、 認定団体は自己保身的ではないか、」という疑問を提起しました。http://naritas.jp/wp1/?p=539
この法案が廃案となりました。今回の衆議院解散によるせいといわれます。他にも廃案になった理由は考えられます。以下で説明しますが、この他のほうが大事です。私は「廃案でよかったのだ」という思いです。こんなことを言う私を含め、法案に疑問を呈する者は、日本LD学会幹部から「角を矯めて牛を殺すような発言がある」と批判されてきました。
「角を矯めて牛を殺す」という故事は、「わずかな欠点を直そうとして、全体を駄目にする」という意味だそうです。私はこの法案を読んだときに、「全体が駄目だから小さな欠点を直そうとして良くならない」と思いました。公認心理師そのものの趣旨と法案自体に矛盾があったのです。
まずは、心理師の国家資格化「運動」には、当事者である子供や保護者の視点が欠けていたことです。これが最大の「角を矯める」ことにつながりました。この法案は、公認心理師を待望した人々の職業としての地位の向上、生業としての安定した収入といったことを目指す自己保身的な内容だったのです。法案を推進してきた諸学会の責任は大きいといわざるを得ません。
次に、医師と遜色ない立場の地位や身分に相応する待遇を公認心理師に、と叫んでいた人が大勢いたことです。でもこうした期待は所詮「犬の遠吠え」なのです。「学士号の者も心理師になれる」のではすでに「資格の質で勝負あった」のです。専門性も実力も医師と較べようがないのです。心理師はPh.D.を所有しないとM.D.とは肩を並べることが土台無理なのです。
臨床心理士の資格は信頼性が高く、心理士系の資格の中では就職に有利と言われている資格です。臨床心理士では、認定心理士とは異なり、心理学に関し学んでいる学術のレベルが違い、クライアントに提供できる技能の質が違っています。もし公認心理師が生まれるとすると、臨床心理士も特別支援教育士も下位の資格に成り下がるのです。実力は違う、と主張しても国家公認資格というのは一人歩きするのです。
蛇足ですが大事なこと、それは公認心理師法案の廃案によって、資格取得のための講習会の旅費、認定料、資格更新の受講料などの心配がなくなったことです。