からし種一粒程でもあれば

頂いたクリスマスカードや年賀状を見ながら、過ぎた2018年を考えています。あまり誇りにならないことをやってきたような反省があります。ちょとばかり他の人より学問をする時間が長かったとか、外国語が少しはできるとか、たいしたことのない論文を恥も外聞もなく書いてきたこと、、、。ある人が私に、「もっと優れた研究をするにはどうしたよいでしょうか、教えてください」と懇願してきたとしましょう。実に困ってしまう問いです。「からし種一粒の程でも向上心があれば十分だ、」といってやりたい気持ちになります。

外国では、小さなものが成長して大きな成果を生むことの例として、「からし種」(mastard seed)がよく用いられます。韓国の故事では、山椒の代わりに唐辛子を使います。「唐辛子は小さくても辛い」”작은 고추가 맵다”といいます。「体は小さくても気性や能力が優れている」という意味です。からし種や唐辛子は極めて小さいですが、味は明確で刺激は強烈です。いくら水を飲んでも口中が焼けるような熱さのときもあります。侮ってはならないのです。

誰しも才能や気質は潜在的に持っています。それをいかに開発していくか、そしてそれを発揮していくかです。「からし種」一粒程でもあれば、それで十分だということは、才能や気質は人に見せたり誇ったりすべきものではないということです。からし種をたくさん撒き散らすように、尊大な態度の人々が大勢います。周りがげんなりすることに気がつかない人々です。

どんな小さい素質や可能性でも辛抱強く育て、途中で諦めなければ必ず実を結ぶと信じることが大切です。からし種一粒でいいのです。このからし種の喩えはマタイによる福音書17章20節にあります。

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