アメリカ合衆国とニックネームの由来 その21 The Old Line State

18世紀初頭、スコットランドやアイルランド(Scotland and Ireland)から大挙して移民がメリーランド州(The State of Maryland)にやってきます。その理由は宗教上の迫害を逃れ、自由を求めてきたといわれます。メリーランドの州都はアナポリス(Annapolis) で海軍大学校(Naval Academy)があります。最大の都市はバルチモア(Baltimore)となっています。ワシントンD.C.の隣です。

多くの川がポトマック川(Potmac River)に合流し、チェサピーク湾(Chesapeake)に注いで肥沃な大地を形成しています。そのお陰で農業は州経済の重要部分となっています。キュウリ、スイカ、スイートコーン、トマト、マスクメロン、カボチャ、豆類など生鮮野菜を栽培しています。チェサピーク湾西岸の南部郡は温暖な気候でタバコの栽培地帯でもあります。

州のニックネームの由来です。独立戦争(Revolutionary War)の最中、大陸軍のメリーランド第一連隊(First Regiment)400名がニューヨーク州のロングアイランド戦(Battle of Long Island)で勇敢な戦いをし、イギリス軍の侵攻を食い止めたといわれます。この連隊はその後の戦いでも戦果ををあげ、後に総司令官であったワシントン(George Washington)が「Maryland Line(メリーランド軍)」に「Old Line」という名を与えたとあります。「The Old Line State」とは少々地味なニックネームです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その20 The Pine Tree State

メイン州(The State of Maine) は合衆国の最東端に位置し、東と北がそれぞれカナダのケベック州(Quebec)、ニューブランズウイック州(New Brunswick)に接し、西はニューハンプシャー州(New Hampshire)に隣接しています。州都はオーガスタ(Augusta)。州の公式ニックネームは「The Pine Tree State」となっています。

「Maine」という州名は、フランスの「province in France」から由来したといわれます。1604年頃最初にヨーロッパからやってきたのはフランスの探検家、ピエール・デュガ(Pierre Dugua)、シーウ・ド・モンス (Sieur de Mons)といわれ、セント・クロー島(Saint Croix Island)に上陸します。
1665年にイギリスからの移民が到着し、イギリス総督の名で「Province of Maine」とつけられます。この地帯に住んでいた先住民族はアルゴンキン語(Algonquian)を話すワバナキ族(Wabanaki)です。

海岸線は岩で複雑に入り組み、山稜は低くうねり、森と美しい水流などが内陸に続いています。その景観は多くの避暑客をよんでいます。ロブスター(lobster)やハマグリ(cram)など海産物料理も観光客が押し寄せる理由です。その他、主要な産物は鶏肉、卵、酪農製品、牧畜、りんご、ブルーベリー、メイプルシロップ(maple syrup)などです。ニックネームのThe Pine Tree Stateですが、メイン州の旗に掲げられています。とくに白い松の森林で覆われる州です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その19(2) The Cajun

ルイジアナ州(Louisiana)の話題の二回目です。「クレオール」と並んでルイジアナの顕著な文化や料理が「ケージャン」(Cajun)です。少し時間を戻してみます。

ミシシッピ川以東の大陸では、イギリスとフランスの間で激しでい所有権争いが起こります。フレンチ・インディアン戦争(French and Indian War) です。この戦いは「七年戦争」(Seven Years’ War)ともいわれます。1713年にカナダのノバ・スコシア(Nova Scotia)地方をイギリスが植民地化すると、ノバ・スコシアのアカーディア(Arcardia)地方に住んでいた「Cajuns」と呼ばれていた約4,000名のフランス系住民は追われて南部のルイジアナへ移動します。そしてこの地で綿花、コーン、サトウキビなどを栽培します。使っていた言語はフランス語が母体ですが、それに英語、ドイツ語、黒人の使っていた言葉の訛りが交じり、独特な響きを持つようになります。それがケージャン語(Cajun Language)と呼ばれるようになります。

ケージャン語とともにケージャン料理も知られています。ケージャン移民が持ち込んだアカーディアのフランス料理を基礎としインディアンの料理、西アフリカからの黒人奴隷の料理さらに、クレオール料理の流れをくむのがケージャン料理といわれています。代表的なものに肉または甲殻類、とろみ成分、および「聖なる三位一体」と呼ばれるセロリ、ピーマン、タマネギで構成されるガンボ(Gumbo)、溶かしバターを塗ったレッドフィッシュの切り身にたっぷりのスパイスをまぶしつけ、煙が出るほど熱したブラッケンド・フィッシュ(Blackened Fish)が知られています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その19(1) The Pelican State

フランスの影響を色濃く反映するのがルイジアナ州(State of Louisiana)です。1643年にフランス人ロベール・カブリエ・ド・ラ・サール(Rene-Robert Cavelier de La Salle)が、ミシシッピ川(Mississippi River)の流域を探検し、やがてフランス領と宣言し、ラ・ルイジアーヌ(La Louisiane)と名付けたといわれます。「Louisiana」という地名は、フランス王ルイ14世(Louis XIV)にちなみます。現在の州都はバトンルージュ市(Baton Rouge)。最大の都市はニューオーリンズ市(New Orleans)です。

Crawfish, corn, and potatoes spread out for a crawfish boil

ラ・サールの探検に先立ち、1541年5月にスペイン探検家のエルナンド・デ・ソト(Hernando de Soto)の部隊はミシシッピ川に到達したという記録があります。ソトはスペインのインカ帝国(Imperio Inca)征服による莫大な財宝を手にしてスペインに戻り征服の英雄として有名になった人です。スペインとフランスの植民地争いが先住民族を巻き込んで繰り広げられますが、結局フランスがミシシッピ川を植民地化していきます。1803年にはアメリカがフランスより今のルイジアナ一帯を購入していきます。

ルイジアナ州のニックネームは「The Pelican State」でありますが、もう一つ「Creole State」というのがあります。この歴史は興味ありますので紹介します。「クレオール」(Creole)というのは、ルイジアナ州で起こったスペイン系やフランス系、先住民族、そしてアフリカ人が使った独特の言葉であり文化のことです。アメリカがルイジアナを買収する以前から、そこに生まれた人々とその子孫、また彼らと関わりのある土着の言語や文化のことが「クレオール」と呼ばれています。その言葉は混交語ともいわれます。民族よりも伝統的名文化を継承する人々が「クレオール」です。その名残は、フランス風の建物やクレオール料理と呼ばれる伝統料理などに表れているようです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その18 The Bluegrass State

ケンタッキー州(Commonwealth of Kentucky)の州都はフランクフォート(Frankfort)。最大の都市はルイビル(Louisville)となっています。「Kentucky」の意味ですが、イロコイ族(Iroquois)のイロコイ語で「平原」、チェロキー族(Cherokee)で「荒れ地」、「明日の土地」、「どす黒い血の地」と呼ばれていたといわれます。

ケンタッキーはアパラチア(Appalachia)炭田地帯に位置し、ウエスト・ヴァージニア州(West Virginia)とともに全米有数の石炭の産地です。他にタバコの生産は全米第二位ともなっています。

この州は「ブルーグラスの州」(The Bluegrass State)というニックネームがついています。ブルーグラス(bluegrass)はイネ科の多年草で芝生や牧草として使われています。踏みつけられて冬場にも強いのが特徴です。地下茎を伸ばして繁茂し庭やゴルフ場の芝生の他に土砂の流失防止のために斜面や荒地にも植えられています。

ケンタッキーは牧草地を利用したサラブレッド競走馬の飼育で知られ、五月第一土曜日はケンタッキーダービー(Kentucky Derby)がルイビルで開かれます。アメリカンクラシック(American Classics)三冠の第1冠として知られています。

親しみやすい農園歌、郷愁歌を多数作曲したスティーブン・フォスター(Stephen Foster)の作品に「ケンタッキーの我が家」(My Old Kentucky Home)があります。作品には黒人霊歌(Black spirituals)の影響を感じます。この曲はケンタッキー州議会により公式州歌として採用されています。

The sun shines bright in the old Kentucky home,
 Tis summer, the people are gay;
  The corn-top’s ripe and the meadow’s in the bloom
   While the birds make music all the day.

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その17 The Sunflower State

カンザス州(Kansas) 全域がグレートプレーンズ(大平原)の真っ只中にあります。州都はトピカ市(Topeka)であり、州最大の町はウィチタ市(Wichita)、次いでカンザスシティ市(Kansas City)となっています。一度カンザスシティの学校を訪問したことがあります。この市はミズーリ川(Missouri River)とカンザス川(Kansas River)の合流点の西に位置しています。

「ミズーリ」は、この地に先住したインディアンのアルゴンキン語(Algonquian)で、「泥の河」という意味。この川は大量の泥を含むので、別名「Big Muddy」とも呼ばれています。「カンザス」のいわれですが、この地に先住したインディアン部族のカンサ族(Kansa Tribe)に由来しています。もう一つのオマハ族 (Omaha Tribe)も知られています。部族のなかでは「風に立ち向かう者たち」という意味で使われていたとあります。

カンザス発展の歴史ですが、「Wild West」という呼称に表れるように開拓時代の西部地方の土地や家畜を巡る争い、そしてカウボーイ(cow boy)や保安官(shelif)の活躍の歴史です。1872年にはアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道(Atchison, Topeka and Santa Fe Railway)がドッジシティ(Dodge City)まで開通します。家畜輸送を巡る競争が始まります。ドッジシティ(Dodge City)も荒々しいカウボーイの町で、バット・マスターソン(Bat Masterson)やワイアット・アープ(Wyatt Earp)が町の法執行者として活躍したといわれます。後に「OK牧場の決闘」(Gunfight at the O.K. Corral) や「荒野の決闘」(My Darling Clementine)を監督したジョン・フォード(John Ford)の西部劇製作に影響を与えた舞台が「Wild West」というわけです。

カンザスで忘れてはならないのが、「オズの魔法使い」(The Wizard of Oz)です。カンザスの農場に住む少女ドロシー・ゲイル(Dorothy Gale)は「虹の彼方のどこかに」(Somewhere Over The Rainbow)を歌います。ドロシーと愛犬のTotoは、あるとき大平原でサイクロン(cyclone)に襲われます。そして「Land of Oz」へと飛ばされてしまう話で幕が開きます。

お終いになりましたが、カンザスのニックネームは「The Sunflower State」です。他に「The Wheat State」、「The Cyclone State」、「The Jayhawker State」というのもあります。「Jayhawker」とは黒人奴隷商人を襲い奴隷を解放したゲリラのことです。その後、カンザス州民を指す言葉となりました。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その16 The Hawkeye State

「本当の大平原(prairie)というのは、一日中車で走っても景色が全く変わらないようなところをいうのだ」という話を聞いたことがあります。その後、私が実際にそんな体験をしたのはアイオワ州(The State of Iowa)でのことでした。サウスダコタ(South Dakota)の知人に会いに行く途中のことです。マディソンからインターステイト90(Interstate 90)を走りアイオワ州に入ると大平原です。車の窓から見えるのは、間近にせまってくるぼうぼうに繁ったコーンばかりなのです。それがお昼を過ぎ、やがて日が西に傾きかけても全く同じ景色なのです。空から見ても見渡す限りの畑です。

アメリカの「ハートランド」(Heart Landー中心地)といわれるのがアイオワです。アメリカの地図をみても中心に位置します。さらに大穀倉地帯なのです。いつでしたか、アイオワ州の農家一軒で10,000人の食料を生産していると聞いたことがあります。主要な農産物は豚、トウモロコシ、大豆、エンバク、牛、卵及び酪農製品です。エタノールとトウモロコシの生産では国内最大の州であり、大豆でも二位を保っています。それが「世界の食糧の首都」と呼ばれている理由です。アイオワ州の90%の土地で大規模農業が営まれています。

こんな長閑な州なのですが、合衆国の政治で重要な役割というか影響力を持つのがアイオワ州です。大統領選挙の前哨戦である大統領候補指名党員選挙を、全国に先駆けて行うことが定められているのです。したがって、アイオワ州は大統領選挙の緒戦といわれ、全米で注目されるのです。「アイオワを制する者が大統領選挙を制する」とも言われています。その例は、アイオワ州党員選挙にて敗北した候補者が大統領に就任した例は少ないことに表れています。その例外ですが、2016年2月の候補指名選挙ではD.トランプは得票率は24.3%で二位となりましたが、その後の活動で共和党候補として指名されたのはご承知のとおりです。

アイオワ州のニックネームは「The Hawkeye State」。この由来は、ソーク族(Sauk)の酋長ブラック・ホーク(Black Hawk)にちなみます。もう一つは、アイオワの都市バーリントン(Burlington)で新聞経営をしていたエドワード(James Edward)がそれまでの新聞名、「The Iowa Patriot」をブラック・ホークにちなんで「The Hawk-Eye」に改名したという説です。エドワードはブラック・ホークと知己を持っていたといわれます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その14 The Prairie State

アメリカの穀倉地帯といえばミッドウエスト(Midwest)と呼ばれる中西部。その中心に位置するのがイリノイ州(State of Illinois)です。州都はスプリングフィールド(Springfield)で、最大の都市はシカゴ(Chicago)です。この州からはリンカーン(Abraham Lincoln)、グラント(Ulysses Grant)、レーガン(Ronald Reagan)、オバマ(Barack Obama)らの大統領を生んだ州としても知られています。

1837年に創設され今や世界最大の農業機械メーカーであるジョン・ディア(John Deere) がイリノイにあります。籾殻をとる鉄製鋤を発明したことで州中部の肥沃な平原(Prairie)を世界で最も生産力があり貴重な農地に変えたといわれます。さらに鉄道が開通しドイツやスウェーデンからの移民農業者を惹きつけ発展します。州のニックネームは「The Prairie State」となっています。

イリノイのもう一つのニックネームは「The Land of Lincoln」です。リンカーンは弁護士、イリノイ州議員、上院議員で活躍し1861年3月に第16代合衆国大統領に就任ます。「Land of Lincoln」にはリンカーンが残した遺産の重要さを強調しています。このフレーズは車のライセンスプレートにも表示されています。

イリノイ-Illinoisは、同州に先住していたインディアン部族のイリニ族(Illini) にフランス人宣教師や探検家がつけた名前を現代風に綴ったものといわれます。北米に広く居住していたインディアンのアルゴンキン族(Algonquian)の言葉で「Illini」は「完全な人」という意味があるという説もあります。

アメリカ全体に影響を与える事件の舞台がイリノイでもありました。1832年に合衆国北西部のインディアン部族から領土を奪い、植民地とするために起こしたブラック・ホーク戦争(Black Hawk War)がありました。これはインディアン戦争ともいわれます。1886年5月にシカゴで起こったヘイマーケット事件(Haymarket affair)は、8時間労働制を求める労働者のストライキとデモです。1929年2月には、聖バレンタインデーの虐殺(St. Valentine’s Day Massacre)という血で血を洗うギャングの抗争が起こります。アル・カポネ(Al Capone)がその中心にいたといわれます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その13 The Gem State

ひょんなことから合衆国の州を覚えることになったのがアイダホ州(State of Idaho) です。本土復帰前の1971年、沖縄に行ったとき那覇市内の公設市場で巨大なポテト(ジャガイモ)を目にしました。ポテトの入った袋には「Idaho」とありました。私がこの州を知ったきっかけです。ゴーヤも始めて食べたのを思い出します。夏の沖縄は野菜が不足がちですがゴーヤやポテトがそれを補っています。ゴーヤチャンプルは美味しいです。

本題のアイダホ州ですが、州の大部分は山岳地帯であり、東海岸のニューイングランド(New England)の面積よりも広いといわれます。州都はボイジ(Boise)。農業と共に林業、鉱業が盛んです。全米でジャガイモの13%近くを生産する重要な農業州です。その他の産物は、大豆、レンズマメ、小麦及び大麦です。他に酪農製品も豊かです。近年は自然を活かした観光業なども州の大きな収入源になっています。

Wikipediaによりますと「Idaho」という名前は平原アパッチ族(Apache)の「敵」を意味する 「ídaahe」から由来するといわれます。コマンチェ族(Comanche)はこの言葉をアイダホ準州を呼ぶときに使ったともいわれています。別な説ですが「Idaho」はショショーニ族(Shoshone)が使った感嘆詞の一つとされます。彼らの発音は「Ee-dah-how」であり、「注意せよ!太陽が山から降りてくる!」と意味とされています。

最初のヨーロッパ人の入植は1860年といわれます。大分遅い感じがします。フランクリン(Flankline)という街に集落をつくり農業に従事したのがモルモン教徒(Mormonism)です。その年、金が発見されます。入植者が増加し、南部にあるスネーク川平原(Snake River Plain)は潅漑が進んだ大農業地帯となっています。

アイダホのニックネームは「The Gem State」。宝石の州というわけです。金、銀、銅、鉛、コバルト、ジャスパー、トパーズ、オパール、ヒスイ、金剛石などが産出するのでこの名がつけられました。残念ながら私はこの州を訪れたことがありません。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その12 The Aloha State

ハワイ(Hawaii)がヨーロッパに知られたのは、1778年にイギリスの海軍士官であったジェームズ・クック(Captain James Cook)がハワイ島を訪れた航海だと伝えられています。

ハワイで最大の島はハワイ島(Island of Hawaii)です。この島を紹介することにします。ハワイ諸島で最大の島であることから「Big Island」という愛称で知られています。今も噴火を続ける4,100Mのマウアロア山(Mauna Loa)があり、一体は国立ハワイ火山公園(Hawaii Volcanoes National Park)となっています。壮大な火山地帯をハイキングできます。4,200Mのマウナケア山(Mauna Kea)の頂上付近には、世界11ヶ国の研究機関が合計13基の天文台を建設しています。三鷹にある国立天文台が設置したすばる電波望遠鏡もあります。

次ぎにマウイ島(Island of Maui)も観光はハイキングを存分に楽しめます。女性の頭と胸部の形をした島です。島中央部には、ハレアカラ山(Haleakala)があり、周囲32キロのカルデラで知られています。月面のクレーターのようで多くのハイカーを呼んでいます。島中西部の港町ラハイナ (Lahaina)は、かつてハワイ王朝(Kingdom of Hawaii)の首都だった古都でもあります。

ハワイと日本との関係は大変興味あることです。 日本人のハワイへの移民は1868年を嚆矢としています。1884年から5年間で65,000人が移住し農業に従事します。多くの移民は沖縄出身で、サトウキビ、パイナップル、さらに珈琲の栽培にも及びます。

ハワイで忘れてはならないのが、第442連隊戦闘団(442nd Regimental Combat Team)の活躍です。主にハワイの日系アメリカ人で編成され、ヨーロッパ戦線に投入されます。この部隊のモットーは「当たって砕けろ!」「Go for broke!」というのです。

まだまだハワイについては沢山のエピソードなどがありますが、ハワイのニックネームは1959年に制定された「The Aloha State」です。Alohaの響きは軽やかで、「おはよう、こんにちは、ようこそ、お元気ですか、さようなら」などいろいろに使われます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その11 The Peach State

ジョージア(State of Georgia)は想い出の州です。私と家族が建国二百年(Bicentennial)の翌年、1977年6月に始めてアメリカに渡ったとき、三か月ではありましたが暮らしたところです。ステイトボロ(Stateboro)という小さな街です。国際ローターリー財団から奨学金を得て、英語の研修でこの街にあるGeorgia Southern Collegeで学びました。

財団はこの小さなリベラルアーツの大学を50名の奨学生の研修場所として指定したのです。当時の大統領はジョージア出身の民主党員であったジミー・カーター(James Earl “Jimmy” Carter)でした。まだ建国二百年の余波が感じられた頃です。

温暖な州で、午後3時頃になると決まって雷雨(thunderstorm)がやってきました。ラグビーボールのようなスイカやメロン、そして桃(peach)がトラックで売りに来ます。 後にこの州のニックネームが「桃の州, The Peach State」であることを知りました。「南部のおもてなし」(Southern Hospitality)は母音を強調する喋り方でスローな話し方に表れ、独特な長閑さを感じたものです。

ジョージアの桃の話題です。日本の桃のようにヤワではありません。選果工場ではリンゴのように機械で洗浄され選別され箱詰めされて出荷されます。一口かじるとかなりの歯ごたえがあります。スーパーマーケットでは山のように積まれて売られています。州を代表する果物と指定されています。

ジョージアのもう一つのニックネームは「The Goober State」です。Gooberとはなんのことはない「ピーナツ(peanut)」の古めかしい言葉です。ピーナツはジョージア州の公式な農産物となっています。

ステイトボロから東に一時間走るとサバンナ市(Savannah)があります。昔は綿花の輸出港であり、奴隷貿易の拠点でありました。歴史的な町並みや建築物が再生され、観光都市としても栄えています。ステイトボロから北西に向かうとオーガスタ(Augusta)があります。マスターズ・トーナメント(Masters Tournament)が開催される街でもあります。毎年4月2週目の日曜日が最終日です。ジャック・ニクラス(Jack Nicklaus)は最多優勝の六回、US Openで四回優勝し、「帝王(the great)」の名に相応しい活躍をしました。The World Golf Hall of Fame & Museumには次のようなニクラスを讃えるフレーズがあります。

Nicklaus completed the ultimate champion’s profile by being a gracious loser. He finished second 19 times in majors, but always gave credit to the winner. Win or lose, Jack Nicklaus was the greatest.

アメリカ合衆国とニックネームの由来 Intermission 「親睦会とパトラック」

今は、都市では高低層マンションで生活するのが当たり前となりました。若い人は駅に近い所を選び、高齢者は持ち家の維持や買い物が大変なのでマンションに移りがちになります。このような住環境の変化によって、「向こう三軒両隣」というフレーズは聞かれなくなりました。住民の横の繋がりは疎遠になりがちになっています。

私は昨年、長屋のように40世帯が暮らす自分のアパートで始めて親睦会をお世話しました。この集まりのために幹事のわたしたちがしたことは管理会社から飲み物を提供してもらうこと、組合の管理費から数万円を支出して焼き肉の材料の買い出しをしたり、住居内の全ての子供へお土産を用意することでした。町内会の自主防災組織からは椅子と長テーブルを借りました。

親睦会に参加する世帯は6人分の一品を持参するというものでした。20世帯が参加したので20の料理を楽しむことになりました。いわばバフェスタイルの親睦会です。このような持ち寄りの食事会はパトラック(potluck)と呼ばれます。ポトラックは準備が楽でしかも住民が膳を持ち寄ることで会話がはずむのです。potluckには「あり合わせのもの」という意味もあります。

佐伯泰英の小説「酔いどれ小籐次」にもポトラックの光景が登場します。短く紹介しましょう。江戸は鎌倉河岸の大店から角樽と初鰹が新兵衛長屋に住む主人公の小籐次に届けられます。小籐次が大きな働きをしたそのお礼です。小籐次が近所にお裾分けをしようと鰹をさばいていると、長屋の住人勝五郎が声をかけます。

勝五郎 「酔いどれの旦那、井戸端に長屋中の膳を持ち出して、全員で涼みながら酒を飲むってのはどうだ」
小籐次 「悪くない趣向じゃな、」

新兵衛長屋の空き地に筵が敷かれると、住人が夕餉に用意していた膳を銘々抱えて筵の上に並べ、あちこらこちらに行灯が置かれて蚊遣りが焚かれます。

長屋の住人 「お祭りの縁日のようだな」

そこにすっかり惚けて子供にかえった住人の一人、新兵衛が娘のお麻に連れられてきます。

お麻 「お父っちゃん、鰹よ!
新兵衛 「ととか、ととじゃな、、、、このととうまい、」

無垢の赤子のような新兵衛も長屋のみんなに囲まれて初鰹と酒の相伴に預かるのです。「とと」とは幼児語で魚のことです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その10 The Sunshine State

日本でも馴染みのある州の一つがフロリダ州です。ニックネームは「The Sunshine State」。一般のアメリカ人にとっても一種、憧れの地です。引退した多くの人々が余生をおくりたいと願う州でもあります。オーランド(Orlando)にあるディスニー・ワールド(Disney World)、ケネディ宇宙センター、デイトナ・ビーチ(Datona Beach)などが有名です。ところが、大西洋とメキシコ湾(Gulf of Mexico)に面するフロリダはしばしばハリケーン(hurricane)にも襲われるところです。

ここ20年位に州を襲ったハリケーンのことです。2004年にフロリダ州は4つの記録的なハリケーンに襲われます。8月のハリケーン・チャーリー(Hurricane Charlie)、9月のハリケーン・フランシス(Hurricane Francis)、同じく9月のハリケーン・アイバン(Hurricane Ivan)および9月25日から26日のハリケーン・ジャンヌ(Hurricane Jeanne)です。この4つのハリケーンによる被災額は450億ドルちといわれました。

さらに、2005年7月のハリケーン・デニス(Hurricane Dennis)は11か月の間で5番目のものとなり、8月のハリケーン・カトリーナ(Hurricane Katrina)はルイジアナ州全域とフロリダ州南部を通過し、9月のハリケーン・リタ(Hurricane Rita)はフロリダ全体を襲います。10月のハリケーン・ウィルマ)Hurricane Wilma)は、被害届出窓口を5年間設けたというほど甚大な被害を及ぼします。観測史上最も強烈なハリケーンの一つとして、フロリダ州の歴史でも2番目に損害額の大きなハリケーンになります。なお、アメリカでは従来はハリケーンに女性の名をつけていましたが、最近では男性名と交互に用いるようになっています。

フロリダの経済は前述しましたが、観光産業、農業、交通産業などです。オレンジ、トマト、いちご、サトウキビが主要な作物となっています。フロリダには先住民族としてティムクワン族(Timucuan)やセミノール族 (Seminole)がジョージア(Georgia)やアラバマ(Alabama)から移住し、湿地帯に定住しています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その9 The First State

アメリカ建国に関わった13の植民地のうちで、合衆国憲法を1787年12月に最初に批准したのがデラウェア州(The State of Delaware)です。それでこの州のニックネームは「First State」として知られています。その面積はロードアイランド州に次いで全米で二番目に小さい州です。

デラウェア州のもともとの住民はレナペ族(Lenape)ですが、ヨーロッパから植民してきた人々からデラウェア族と呼ばれていたようです。イギリス植民地総督デラウェア(De La Warr)にちなむという説もあります。州都はドーバー(Dover)です。1683年にクエーカー(Quaker)教徒のウィリアム・ペン(William Penn)らの信徒とともに建設した町であり、クエーカー教徒の大規模なコミュニティが存在していたといわれます。州都はドーバー(Dover)です。クエーカーはキリスト友会(Society of Friends)ともいわれ、「信仰的証し」を主要な信念としています。証しには平和や男女・民族の平等、質素な生活、誠実な個人を強調します。

デラウェア州の会社法は極めて著名です。他州に比べ、会社の設立や解散が容易で、多くの判例があるため裁判が予測可能などといった特徴を持ちます。ニューヨーク証券取引所(New York Stock Exchange)で上場している会社の半数以上、フォーチュン500(Fortune 500)に載る会社の63%がデラウェア州の会社法に準拠して設立されていると言われています。例えば、2015年12月にダウ・ケミカル (Dow Chemical )との合併を発表し世界最大の化学製造会社となったデュポン・ヌムール(Pont de Nemours)など機械、繊維、食品加工などの生産業の集積が見られます。その他、IBM、AIU保険会社など多くの有名企業が本社をここにおいています。デラウェアは租税回避地(tax haven)なのです。

州鳥はニワトリ(Blue hen chicken)でブロイラーの生産が盛んです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その8 The Constitution State

合衆国北東部はニューイングランド地方(New England) と呼ばれています。コネティカット州(State of Connecticut) はその南部に位置する小さな州です。州都はハートフォード (Hartford)。もともとはオランダ人が最初に入植した地といわれます。

「コネチカット」という地名は、テームズ川(Thames River)流域で居住していた先住民族のモヘガン族(Mohegan) の言葉で、「長い川が流れる土地(Quinnehtukqut–long tidal river)」から由来するといわれます。

州の正式なニックネームが作られたのは1959年の議会です。イギリスからの独立を目指し、憲法草案は1638年の「The Fundamental Orders」と呼ばれたコネティカットの立法を基にして作られたといわれます。独立の138年前です。それでニックネームを「The Constitution State」としたというわけです。

コネチカット州の別のニックネームとして「The Nutmeg State」というのがあります「Nutmeg」とは「ナツメグ」のことです。 種子を粉末にして香辛料として使われています。植民地時代から、船員は長い航海のときに、現地より香辛料を運んできたといわれます。胡椒もそうです。「ナツメグ」はコネチカットでも移民によって栽培されヨーロッパに輸出されていたことがわかります。そうした歴史が新しいニックネームを生み出したといわれます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その7 The Centennial State

コロラド州は「The Centennial State」というニックネームを持っています。アメリカの独立宣言が発布された1776年から100年経った1876年に州として昇格します。それを記念してつけられたのです。「Centennial」とは百年を意味します。「Bicentennial」は二百年。1976年は建国を盛大に祝った年でした。

「Colorado」とはスペイン語で「赤茶けた」という意味です。スペイン人の開拓者がRío Colorado(コロラド川)を「ruddy」、「赤ずんだ川」と呼んでからだそうです。

州の北西端には恐竜の発掘地である国立恐竜モニュメント(Dinosaurs National Monument)があります。州の東には大平原(Great Plain)が広がり、肉牛、羊、鶏の飼育が盛んでトウモロコシ、小麦、牧草、果樹の大規模栽培も行われています。中央から西部にかけて、ロッキー山脈(Rocky Mountains)が南北に走っています。

州都および人口最大都市は、ロッキー山脈の東側にあるデンバー(Denver)です。デンバーの高度は、約1,600メートルとなっているので「Mile-High City」と呼ばれています

コロラド州のニックネームとして、「Colorful Colorado」というのもあります。州全体が美しい景色に彩られているからです。山は勿論、川や平原の美は観光客を魅了してやみません。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その6 The Golden State

日本人にとって最も親しみのある州の一つがカリフォルニア(State of California)です。1846年に勃発したアメリカ-メキシコ戦争 (Mexican-American War)の後、1848年にメキシコはこの地域をアメリカに譲渡します。この戦争によって、さらにメキシコは、ネバダ(Nevada)、ユタ(Utah)と、アリゾナ(Arizona)、ニューメキシコ(New Mexico)、ワイオミング(Wyoming)、コロラド(Colorado)の大半の管理権をアメリカに与えます。アメリカはこれに対し1,500万ドルと債務放棄325万ドルを支払います。こうした措置によってメキシコは国土の 1/3 を失うことになります。

  1848年にカリフォルニアやアイダホ(Idaho)で金が発見されると、ゴールドラッシュ(Gold Rush)が始まります。1848年から1952年にかけて約25万人が押し寄せたという統計があります。さらに1882年頃からは中国人や日本人の移住が始まります。従事したのは主に農業です。日本人は主にロスアンジェルス郡(Los Angeles County)、オレンジ郡(Orange County)、サンタクララ郡(Santa Clara County)に移住します。

1913年頃になりますとカリフォルニア州は、排日土地法を制定し日系1世は土地所有が制限されます。さらに公立学校への日本人学童の入学が拒否され日本人排斥運動が起こります。石川好の「カリフォルニア・ストーリー」や「ストロベリー・ロード」などのノンフィクション小説では人種差別にまつわる日米移民史や日米関係が記されています。

本題のニックネームですが、ゴールドラッシュに始まる人口の増大や農業や鉱業の発展は「The Golden State」を揺るぎないものとしています。州の色は金色、州の鉱石はもちろん金となっています。カリフォルニアの経済は、国と比較したほうがよいほど巨大です。個人所得は合衆国全体を上回り、1965年には工業製品の輸出ではニューヨーク州にとってかわります。航空機、農業、ワイン醸造、映画などの娯楽産業の発展はよく知られているところです。一つの大きな国家のような体をなすのがカリフォルニアです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その5 The Grand Canyon State

アリゾナといえば大峡谷(Grand Canyon)で知られています。コロラド川(Colorado River)が600万年をかけて削りとった峡谷です。南北に363キロ、東西に6キロから29キロの幅で深さは1.6キロという大地溝帯です。20億年といわれる地球の歴史を雄弁に物語っているようです。毎年500万人の観光客を魅了してやみません。

アリゾナの州都フェニックス(Phoenix)から北へ車で2時間くらいの所にあるセドーナ(Sedona)を訪れたことがあります。セドナは、素晴らしい景観で有名なオーク・クリーク・キャニオン(Oak Creek Canyon) の入り口にあたり、乾燥した砂漠地帯の多いアリゾナ州の中で木々が生い茂る水辺の景色を楽しむこともできます。オーク・クリーク・キャニオンを通り抜ける約20 kmの州道はアリゾナ州最初の「シーニック・ハイウェイ(scenic highway–美しき景観のハイウェイ)」として認定されています。

あたりは赤茶けた岩山が取り囲み、レッドロックの山道を登って行き着くとネイティブ・アメリカンのハバスパイ族(Havaspai)の遺跡が点在しています。彼らはオーク・クリーク・キャニオンで灌漑農耕に従事していた先住民族です。エネルギーや波動を受けとれるところとして先祖から聖地として崇めてきた所です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その4 The Natural State

アーカンソー州(State of Arkansas)はアメリカ内陸高原を構成するオザク高原(Ozark Mountains)やウォシタ山地 (Ouachita Mountains))のある山岳地帯から、東部のミシシッピ川(Mississippi River)やアーカンソー・デルタ(Arkansas Delta)のある低地帯まで多様な地形を有しています。州都でかつ人口最大の都市は、州中央部に位置するリトルロック市(Little Rock)です。元大統領ビル・クリントン(William “Bill” Clinton)の出身地です。州名の由来ですが、スー族(Sioux)の言葉で「南風の人々」を意味する「アカカズ」(akakaze)からきたという説です。

アーカンソー州で使われる言葉に「オザク(Ozark)があります。 Ozarkという言葉は、Encyclopædia Britannicaによれば、フランス人狩猟業者の拠点であった「Aux Arc」から由来したといわれます。その後「Ozark」は高原に住む人々の特徴ある文化、建築および方言にも呼称として使われています。1700年代にフランス人開拓者に続いて、19世紀以来、多くのスコットランド=アイルランド系(Scottish-Irish)の子孫がこの地域に居住してきます。

この地域の人々は周辺の州の人々よりも互いに共通点が多といわれます。 Ozarkの文化はアパラチア山脈(Appalachian Mountains)や「ディープサウス(Deep South)」あるいはアップランド・サウス(Upland South)の文化に似ているといわれます。 Ozarkの宗教は保守的であり、あるいは個人主義的なアッセンブリーズ・オブ・ゴッド(Assemblies of God)、南部バプテスト連盟(Southern Baptist)、および他のプロテスタント系ペンテコステ運動(Pentecost)が活発だといわれます。通常こうした宗教の考え方は純福音主義(Full Gospel) と呼ばれます。

アーカンソー州のニックネームは「The Natural State」。自然あふれる州といわれます。湖、河川、森に恵まれ、各種の野生動物が5つの国立公園、3つの国立森林公園、52もある州立公園に生息しています。Ozark Mountainsは最初の国立自然保護地域として知られています。

「The Natural State」についてのエピソードがあります。リトルロック市の郊外に世界最大のスーパーマーケットチェーンであり、売上額で世界最大の企業であるウォルマート(Wal-Mart)があります。世界15か国に進出し、日本では西友を子会社化しています。ウォルマートのもう一つの顔は、自然保護地域のために多額の寄附をしていることです。ウォルマートが有する土地の大きさに対して寄附するという行為です。その規模は、コネチカット州(Conneticutte)、ロードアイランド州(Rohde Island)、デラウエア州(Delaware)の大きさに匹敵するといわれます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その3 The Last Frontier

1960年代まで、アメリカやヨーロッパに行くときは給油するためにアラスカ(Alaska)の アンカレッジ空港(Anchorage)に立ち寄ったものです。航空機の発達により現在はシベリア経由に変更され、アンカレッジ経由の北回りヨーロッパ線は1991年で廃止されます。アラスカの州都はジュノー(Juneau)です。

Alaskaという地名の由来です。アラスカとカムチャツカ(Kamchatka)の間にあるアリューシャン列島(Aleutian Islands)の先住民族、アレウト族(Aleut)、イヌイット(Inuit)、あるいはエスキモー(Eskimo)が使っていた「半島」を意味する「Alakshak」からきているという説です。

1867年3月にアメリカは、ロシア帝国よりアラスカを購入します。当時アラスカ購入の交渉にあたったのは、国務長官であったウィリアム・スワード(William H. Seward)です。720万ドル、今でいう8億円をロシアに支払ったといわれます。アラスカの購入は、議会ではスワードの愚行(Secretary Seward’s folly)と揶揄されたのですが、その後、豊富な天然資源が見つかったり、旧ソ連に対する国防上重要な役割を果たすことが証明され、スワードの業績は高く評価されるようになります。スワードはその後もハワイ(Hawaii)やサモア(Samoa)、グアム(Guam)、プエルトリコ(Puerto Rico)、パナマ(Panama)、フィリピン(Philippines)などの併合を提案していきます。

アラスカは他の地域から遠く離れ、気候や地理が厳しく、合衆国領となってからも開発や人の移住が進みませんでした。そのような理由で、公式なニックネームは「最後のフロンティア(The Last Frontier)」となっています。「The Great Land」とか「The Land of the Midnight Sun」という呼び名もあります。

漁業では鮭が主要な漁獲物で、オヒョウ、鰊、銀だら、蟹なども豊富に獲れます。大きな鮭缶工場もあります。鉱業では石油、天然ガス、銀、銅などで知られ、石油の産出はテキサス州に次いで二番目となっています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その2 The Cotton State

合衆国の州につけられたニックネームをアルファベット順に紹介することにします。アラバマ州(Alabama) といえばなにを想い浮かべるでしょうか。「公民権運動(Civil Right)」、と答えられる人は相当なアメリカ通です。アラバマ州都はモンゴメリー(Montgomery)。その他の大きな都市と言えばハンツビル(Huntsville)です。NASAの中枢的存在であるマーシャル宇宙飛行センター(Marshall Space Flight Center)で知られています。

Alabamaという名称の由来は、チョクトー族(Choctaw)が使っていたAlabayamule(茂みを切り開く)からきています。州の大半はアラバマ川流域で、北端部にはテネシー川(Tennessee River)が、東端部はチャタフーチ川(Chatahoochee River)が流れています。

温湿暖気候に恵まれ、松などの森林が多く生育しています。南部の中心に位置するので「Heart of Dixie」とも呼ばれています。Dixieとは「南」とか「南部」という意味です。そうです。Dixie Land Jazzの生まれた所です。

州都のモンゴメリーはかつて南北戦争(Civil War)当時、南部連合(Confederate States)の首都でありました。黒人の比率が高く、州全体の26%を占めています。かつてアラバマの中央部は綿花地帯(Cotton Belt)と呼ばれました。そのようなわけで州のニックネームは 「The Cotton State」。ただし、このニックネームは州公認ではありません。その他のニックネームとして「The Yellowhammer State」というのもあります。「Yellowhammer」とはキアオジというホオジロ科の鳥で、文字通り黄色い羽で知られています。南北戦争当時、兵士達の軍服には黄色い線が入っていたといわれます。

もう一つのニックネームに「Stars Fell on Alabama」というのがあります。これは1833年11月12日から13日にかけて巨大な流星群がアラバマ州で目撃されたからです。2002年のライセンスプレートにもこのフレーズが印字されます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その1 「合州国」

誠に些細なことから始めます。私の小さな誇りは沢山のアメリカの学校を見て回わり、そのお陰で沢山の友人や知人ができたことです。今もクリスマスカードを交換したり、時折メールやフェイスブックで消息を確かめ合っています。中には、お互いに齢を重ねているので、いざ会うとなると果たしてその面影を思い出せるかどうか少々心配ともなります。

三人の子供も結婚し、子育てに仕事に忙しくしています。長男はマサチューセッツ(Commonwealth of Massachusetts)州都のボストン(Boston)の近くで二人の息子を育てています。長女と次女はウィスコンシン(State of Wisconsin)州都のマディソン(Madison)で、それぞれ二人の娘と一人の息子を育てています。そのような訳でアメリカに友人や知人、そして親戚ができたのです。

出張や私的な旅行で沢山の州を訪ねることができました。州といってもほんの一部の町や村を訪れただけです。とても一つひとつの州を理解したとはいえません。手許にアメリカでの生活で手に入れた古いライセンスプレート(license plate)があります。私の趣味の一つはプレートの蒐集です。アメリカでは、プレートの期限が切れるとそれを所有してよいのです。それを一枚一枚手に取ると、各州の特徴や売りがわかります。州のニックネームがついているのが多くデザインも結構凝っているのが面白いところです。

アメリカはその名のとおり州が集まる合衆国です。「合州国」という名称のほうがわかりやすいようです。州は自分の憲法を持ち、最高裁判所があり、連邦政府が出す大統領令に異議を唱えることができます。最近では3月6日にイスラム教徒が大多数を占める7カ国の市民を対象にした入国禁止令に大統領が署名しました。それに対してニューヨーク(New York)やマサチューセッツ、カリフォルニア(California)、ミシガン(Michigan)、ヴァジニア(Virginia)、ハワイ(Hawaii)、ワシントン(Washington)などの州が異議をとなえました。州は、このように自治権を有し、あたかも国のような統治形態をとっているのです。教育行政ももちろん州に責任があります。それだけに、「アメリカの教育は、、、」といった問いに答えるのは至難の業となります。連邦政府の役割とは軍事、外交、そして通貨制度です。

これから数ヶ月にわたり、アメリカ「合州国」のニックネームを辿り、そのいわれや州の歴史を振り返ることにします。