アメリカ合衆国とニックネームの由来 その31 The Garden State

ニュージャージー州(State of New Jersey)の州都はトレントン(Trenton)で、最大の都市はニューアーク(New Ark)です。北大西洋岸に位置し、ニューヨークやフィラデルフィア(Philadelphia)大都市圏に近いのが特徴です。もともとイギリスから最初に独立した13州のうちの1つであり、州名はイギリス海峡に位置するチャンネル諸島Channel Islands)のジャージー島(Jersey Island)に由来するといわれます。

最初にニュージャージー地に足を踏み入れたのは故国イングランドを追われ、新大陸にやってきたクエーカー教徒(Quakers)です。教徒たちは1679年に植民地を建設します。1719年、町は周辺の大地主であったウィリアム・トレント(William Trent)で、その名から後にTrentonと命名されたとあります。クエーカー教徒の他に、ニューイングランドの福音主義者達、スコットランドの長老派教会員(Presbyterian)やオランダ改革派教会員(Dutch Reformed Christians)など多様な宗派が入植したのがニュージャージー州です。

北東部はゲイトウェイ地域(Gateway Areas)と呼ばれ、住人の多くがニューヨーク市(City of New York)に通勤しています。ニュージャージー州とニューヨーク市は多くの橋やトンネルで繋がれているからです。なかでもハドソン川(Hudson River)に架かる吊り橋のジョージ・ワシントン・ブリッジ(George Washington Bridge)は一日30万台の車が通る世界で最も忙しい橋といわれます。

発明家トマス・エジソン(Thomas Edison)はニュージャージー州で活躍した発明家です。ウエストオレンジ(West Orange)という街に研究所を有し1,093の特許を取得します。アメリカの産業革命にも影響を与えた稀有の発明家といえましょう。

「Garden State」というニックネームはニューヨークなどの大都市に野菜等を供給する農場を有していることから命名されたといわれます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その30 The Granite State

ニューハンプシャー州(State of New Hampshire)はかつてイギリスの13の植民地の一つでありました。1623年にイギリス人がポーツマス(Portsmouth)近辺に漁業と交易のため入植し、 1641年マサチューセッツ湾植民地に編入し、1679年にイギリス王領植民地となります。

ニューハンプシャーは1776年1月にイギリスと訣別したイギリス領北アメリカ植民地として最初のものとなり、その6か月後には独立宣言を発して、アメリカ合衆国を構成した植民地の1つとなります。州都はコンコード市(Concord)で最大の都市はマンチェスター(Manchester)です。州のモットーは「自由よ、さらば死を。(”Live Free or Die”)」で、自動車のライセンスプレートにも表示されているフレーズです。

州域には花崗岩が広く分布しています。これがニックネームの由来です。氷食を受けた古期アパラチア山系の一部で,約 1,300の湖沼があり,平均海抜高度は約300mという平野がひろがります。

ヨーロッパ人が入ってくる以前、アルゴンキン語族の様々な部族、例えばアベナキ族(Abenaki,)、ペナコック族(Pennacook)などが住んでいいました。1600年から1605年にイングランド人やフランス人の探検家が訪れ、1623年にはイングランド人漁師がオディオーンズポイント(Odiorne’s Point) に入植します。最初の恒久的な開拓地は、現在のドーバー市(Dover)であるヒルトンズポイント(Hills Point)でした。

1905年8月、合衆国大統領セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の仲介により、ポーツマス(Portsmouth)の海軍造船所内で講和会議が開かれ、ポーツマス条約(Treaty of Portsmouth)が同年年9月5日に調印されます。この町の近くに長男の嫁の両親が住んでいたので、ポーツマス市内の小さな博物館で日本の全権大使である小村寿太郎やロシアの大使ウィッテ(Sergei Yuljevich Witte)の写真などを見たことがあります。この博物館にはポーツマス条約の展示物が沢山あります

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その29 The Silver State

1950年代、新聞やラジオで盛んに原爆実験が報道されていました。これが私がネバダ州(The State of Nevada)を知ったきっかけです。ラスベガス市の北西にあるネバダ核実験場(Nevada Test Site)で、地下実験を含める928回も行われたというのです。1954年3月に太平洋上マーシャル諸島(Marshall Islands)ビキニ環礁(Bikini Atoll)での水爆実験で、マグロ漁船の第五福竜丸が死の灰を浴びました。無線長の久保山愛吉氏が亡くなり大きな社会問題となりました。

ネバダ州とは、近くにあるシエラネバダ山脈(Sierra Nevada)からつけられます。「Sierra Nevada」とはスペイン語で「雪に覆われた山脈」を意味するといわれます。辞書には「Sierra」とはのこぎり状の山脈とあります。ネバダ州都はカーソンシティ市(Carson City)です。

最大の都市はラスベガス(Las Vegas)となっています。「Vega」とはスペイン語で「沖積平野 」を意味するとありますが、ラスベガスが不毛の地のように感じるのですが、、、主産業は合法化されたカジノ(casino)を代表とする娯楽産業と鉱業となっています。

ネバダ州のニックネームは「銀の州」(The Silver State)とあるように、昔からこの州は鉱業で発展した経緯があります。1859年に同州のバージニア・シティー(Virginia City)で最初の銀鉱石の大規模埋蔵が確認されると大勢の人々が発掘に従事します。坑夫の大半はコーンウォール人(Cornish)かアイルランド人(Irish)であったといわれます。

ネバダ州のニックネームは、ほかに「戦闘が生んだ州」(Battle Born State)があります。1864年の南北戦争でネバダ州は北軍と呼ばれた「連合軍」(Union)に加わったことからBattle Born Stateという名がつけられたようです。もう一つのニックネームとして不毛地に育つ植物「セージブラシュ」(Sagebrush)にちなんで「セージブラシュの州」(The Sagebrush State)というのもあります。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その28  The Cornhusker State

ネブラスカ州(The State of Nebraska)は広大な農牧地を抱え、牛肉・豚肉・トウモロコシ・大豆の生産で国内最大の州といわれます。ネブラスカ州は2つの主要な地域から成っています。「大平原」(Great Plains)、もう一つは氷河によって削り取られた平原地形です。後者の地形はウィスコンシン州やミネソタ州、アイオワ州にもあり、農業や酪農を支えています。

ネブラスカ州のニックネームは「The Cornhusker State」。「Cornhusker」とは「とうもろこしの皮をはぎとる人」とか「皮はぎ機械」を意味します。文字通りとうもろこしの一大生産地となっています。

初代の植民は主にドイツ系とか東ヨーロッパの人々だったといわれます。砂漠に囲まれた平原にやってじゅて木や林の乏しい草原に家を建てます。やがて、植林に着手し、暴風林、そして果樹などを栽培するようになります。そのような歴史から、1860年代の州のニックネームに「Tree Planter’s State」という名がつけられるようになります。

私の親しかったネブラスカ大学リンカーン校(University of Nebraska-Lincoln)で教授をしていたDelwyn Harnisch氏はドイツ系の方で、小さい頃はネブラスカの大平原にあった小さな学校の複式学級で学んだといっていました。州内には今も人口が数百人の町や村が多数点在しています。Harnisch氏は2016年5月に昇天しました。

 

 

 

 

Dr. Delwyn Harnisch in memory

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その27 The Treasure State

モンタナ州(The State of Montana)は、私のウィスコンシン大学時代の指導教授 Dr. LeRoy Aserlindが眠るところです。6年余りにわたってお世話になりました。引退後はモンタナ州のリビングストン(Livingstone)という小さな町で夏はハイキング、冬はスキーを堪能されたようでした。州都はヘレナ (Helena)です。

「Montana」はスペイン語で山とか山の国を意味する 「Montana」に由来します。モンタナ州のニックネームは「Treasure State」といわれます。豊かな鉱物資源に恵まれています。入植したスペイン人はこの州を「Oro y Plata」ー金と銀と呼んでいたそうです。 アメリカ西部の多くの都市がそうであるようにヘレナも19世紀後半のゴールドラッシュ(Gold Rush)によって人が集まって発展してきた町です。多くの鉱物資源に恵まれて、このニックネームがついたのだろうと察します。モンタナ州は別称として「Big Sky Country」ともいわれます。こちらのほうがモンタナ州を形容するのに相応しいと思われます。

モンタナ選出の上院議員マイケル・マンスフィールド (Michael “Mike” Mansfield)氏のことです。愛称はマイク。1977年に引退するまでの24年間にわたって上院議員を務めます。その間1961年から1977年までの16年間、多数党である民主党上院院内総務(Senate Majority Leader)を務めます。この任期はアメリカ史上最長という記録です。1977年には、当時の大統領ジミー・カータ(Jame Carter)により駐日大使に任命されます。共和党のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)が大統領に就任しても大使を続けます。1989年までの12年間という大使在任記録も珍しいです。大統領からの信頼が厚かったことを示しています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その26  The Show-Me State

ミズリー州(State of Missouri)といえば、1945年9月、東京湾での日本の降伏調印式場となったの戦艦ミズリー号を思い出す州です。今も、真珠湾で現役(commisoned)として観光客を迎えています。州のニックネームは少々変わっています。「Show-Me State」というのです。ライセンスプレートにもこのフレーズが印字されています。

このニックネームにはいくつかの説がありますが、最もらしいのは、ミズリー州選出の上院議員だったヴァンディーア(Willard Duncan Vandiver)がフィラデルフィアで演説したときに使ったフレーズからきているという説です。
“I come from a state that raises corn and cotton and cockleburs and Democrats, and frothy eloquence neither convinces nor satisfies me. I am from Missouri. You have got to show me.”

「私はコーンや綿花、籾、そして民主党を育てるミズリーからやってきた。詭弁によって確信することも満足することもない。正真正銘、ミズリーからきたのだ。」

”ミズリーの人々はだまされることもなく保守的でもない。確かな理由がなければ信じない人々なのだ”と宣言しています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その25 The Magnolia State

ミシシッピ州(Mississippi)はメキシコ湾に臨む温暖湿潤気候が特徴で、州都で最大都市はジャクソン(Jackson)です。「The Magnolia State」とあるように、木蓮(Magnolia)で有名でコブシの香りが芳醇なことで知られる花です。17世紀から18世紀のフランスの植物学者、ピエール・マニョル (Pierre Magnol)から名付けられたといわれます。木蓮の木は恐竜が生きていた頃にも存在していたとされ、以来変わらずに美しい花を咲かせていることから「持続性」という花言葉が付けられました。「崇高」とか「気品」といった形容詞もつけられている花です。

旧石器時代の北米大陸に定住していた原始的な古代インディアンのパレオ・インディアン(Paleo-Indians)が住んで農耕を営んでいたのがミシシッピといわれます。現インディアンのチカソー族(Chickkasaw)やチョクトー族(Choctaw)、オジブワ族(Ojibwa)の祖先というわけです。「Mississippi」とはオジブワ部族語で「大きな川」という意味だそうです

この地域に入った最初のヨーロッパ人探検家はスペイン人のヘルナンド・デ・ソト(Hernando de Soto)です。彼はインカ帝国を滅ぼした探検家としても知られています。1504年には、ミシシッピはスペイン、フランス、イギリスの各植民地政府が支配します。さらに労働力としてアフリカ人奴隷を輸入していきます。フランスとスペインの統治下では、自由有色人階級が発展し、その大半はヨーロッパ人と奴隷化された女性とその子供達の多人種の子孫といわれます。

ミシシッピ川は12月から6月にかけて北部州の雪解け水が増加し洪水を起こしてきました。こうしてミシシッピ川の支流流域を含めたデルタ地帯に肥沃な洪積平野を作り上げ、綿花の栽培が盛んになりました。しかし、洪水やハリケーン、綿花の価格低下、労働力の流失などにより税収が減り、今は連邦政府補助金に頼る状況が続いています。

ミシシッピ州はブラックベルト(Black Belt)に属し、黒人多数派の時代が南北戦争前から1930年代まで続きます。今でもアフリカ系アメリカ人は人口の約37%を構成しています。南北戦争後は、40万人近いアフリカ系アメリカ人が北部や中西部および西部へ新たな機会を求めて移住したとあります。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その24 The North Star State

ミネソタ州(State of Minnesota)の名前の由来ですが、先住民族であったダコタ族(Dakota)語で「Mní sota」と呼ばれ、澄んだ青い水(clear blue water)」といわれてきました。ニックネームは「North Star State」。その他にも「Land of 10,000 Lakes」とか「Gopher State」、「Bread and Butter State」とあります。

州都はセントポール市(St. Paul)で隣あわせのミネアポリス市(Minneapolis)が最大の都市です。「双子の都市ーTwin-Cities」と呼ばれています。住民の大半はドイツやスカンジナビア半島(Scandinavia)から移民してきた人々の子孫といわれます。前者は37.9%、後者は32.1%に及びます。アイルランド系は11.7%となっています。その理由はミネソタ州は大陸性気候で、寒冷な冬と暑い夏といったように北ヨーロッパと似ていることがあります。

ミネソタ州は1976年以来一貫して大統領選挙では民主党候補を選んでいます。この事実はどの州の実績よりも長いことで知られています。第38代合衆国副大統領ヒュバート・ハンフリ(Hubert Humphrey)や第42代合衆国副大統領で駐日合衆国大使を歴任したウォルタ・モンデール(Walter Mondale)はミネソタの出身です。

ミネソタ州に基盤を置く企業として穀物会社カーギル(Cargill)があります。穀物メジャーで、現在は精肉、製塩など食品全般及び金融商品や工業品にビジネスを広げています。世界の穀物取引を事実上支配しているともいわれています。穀物を支配するのは、国防と同じように世界を支配するのです。カーギルは独自の衛星を有し、世界中の農産物の生育状況のデータを収集しています。そのため、穀物の先物取引などで優位に立つことができるのです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その23 The Wolverine State

ミシガン州(Michigan)のニックネームは「The Wolverine State」。「Wolverine」とは 北米やユーラシアの寒いところに住むイタチ科の「クズリ」という動物です。どう猛で破壊的な性格があるといわれます。「Wolverine」はミシガン大学(University of Michigan)のマスコットにもなっています。なぜか各州は動物の名前をニックネームにするところが多いようです。ライセンスプレートには「Great Lake State」と印字されています。

ミシガンは北はカナダと国境を接しミシガン湖(Lake Michigan)、スペリア湖(Lake Superior)、ヒューロン湖(Lake Huron)、エリー湖(Lake Erie)を抱え、西はウィスコンシン州、南はインディアナ州とオハイオ州に接しています。四つの湖に囲まれるという地の利が自動車産業を支えてきたのがミシガン州です。ゼネラルモーターズ(GM)、フォード(Ford)、クライスラー(Chrysler)のビッグスリーの本社がデトロイト(Detroit)とその近郊にあります。州都はランシング(Lansing)。デトロイト国際空港は6本の滑走路を有し、デルタ(Delta)航空のハブ空港となっています。

ミシガンは四つの湖に囲まれた湖岸線に囲まれ「Water Wonderland」とも呼ばれています。約11,000の湖沼や多くの河川を抱えるのは、かつての氷河が退行した後にできた地形だからです。北部は広大な森林地帯となり林業が盛んです。加えて農業もミシガンの産業です。主要な農産物ですが、とうもろこし、大豆、温室栽培、牛肉、じゃがいも、チェリー、ブルーベリー、リンゴ、いちご、梨などの果物の産地として知られています。

経済の中心はなっといってもデトロイトです。自動車産業の他にも多くの企業があります。例えば穀物のケロッグ(Kellogg)、ダウ・ケミカル(Dow Chemical )、ワールプール(Whirlpool)、アムウェイ(Amway)などの本社もここにあります。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その22 The Bay State

マサチューセッツ州は、「Commonwealth of Massachusetts」と呼ばれます。この州には、長男夫婦と2人の孫が住んでいます。毎年必ず訪れるのが楽しみなところです。州都ボストン(Boston)から車で1時間のところにコロニアルスタイル(colonial style)の築後70年という家で暮らしています。

ボストンの東南1時間のところにプリマス(Plymoth)という港町があります。ここにMayflowerII号のレプリカが停泊しています。Mayflowerは1620年頃にヨーロッパからこのあたりに着いたことが記されています。そこから続く岬はケープコッド(Cape Cod)でボストンの避暑地となっています。「Cod」とはスケソウ鱈のことです。

最初の移民の多くは聖教徒(Pilgrims)といわれています。MayflowerII号から下りた聖教徒が開拓したところが今も大切に保存されています。この居留地は「Plimoth Plantation(プリマス開拓地)」と呼ばれて州の歴史的な公園となっています。Plantationに入りますと、そこは1600年代という設定です。そこで働く人は百姓、鍛冶屋、パン屋さんなどいろいろ。当時の服装、言葉、仕草で観光客に対応します。働く人々の演技が秀逸で、観光客はこうした人々とのちんぷんかんぷんの対話から「ここは1620年頃なのだな、、、」とようやく合点がいきます。

マサチューセッツ州のニックネームは「The Bay State」。その他にも「The Codfish State」、「The Pilgrim State」というのもあります。ライセンスプレートには「Spirit of America」というフレーズが印字されています。これは、建国の精神を意味します。1680年ころから、マサチューセッツはイギリスの植民地となります。1760年代になると、マサチューセッツ憲法として権利の宣言と政府の樹立を訴え、イギリスの支配に反旗を翻します。やがて独立戦争が始まるのです。この自治と独立の精神が「Spirit of America」というフレーズです。