心に残る一冊 その92 作家山本周五郎 その一 庶民の作家

山本周五郎の作品を読んでいくと、彼の生い立ちや家族関係、育った土地とそこにおける人間関係がどのようであったかということに興味が湧いてきます。こうした事情を知ることで、山本の作家としての矜持とか誇り、作品に流れるテーマも理解できそうな気がしてきます。「山本周五郎を読み直す」や「山本周五郎庶民の空間」、「人間山本周五郎」といった本などを参照しながら、彼の作家の人となりを数回にわたって探っていくことにします。

山本周五郎の本名は清水三十六。「さとむ」と呼ばれたそうです。明治三十六年、山梨県北都留郡初狩村に清水家の長男として生まれます。祖父清水伊三郎がどうしても周五郎を引き取ることを許さなかったあります。事情はわかりません。そのため伊三郎の姉、斉藤まつの家で出生したようです。父の逸太郎は妻を失った後、若い女を二度嫁にもらいます。しかし、二人とも男を追って去ります。やってきた後妻のてるえは家事一切をよくこなし、病床の逸太郎や子どもの面倒をみます。

初狩の生活では家運が傾き、同家所有の長屋に移転します。祖父母、叔父、叔母、逸太郎夫婦に周五郎を加えた八人家族の清水家は狭い生活で、そのため大月に転居したようです。父逸太郎の葬儀のとき、山本はなぜか立ち会っていません。そのため親族から非難が集中したようです。この一件を機に山本は故郷の山梨には来なくなります。とはいえ倒れた父に毎月二十円を送金し、韮山に墓地の墓石には清水逸太郎建立と刻印したと記録されています。その費用を負担したのが山本だったといわれます。血縁や地縁を問い直そうという作品を数々書き上げていく理由がこのあたりにありそうです。

昭和六年に大森は馬込の借家に入居するまで、山本はおおむね窮屈な居住事情の中で暮らします。それが作品に投影されているようです。山本周五郎は庶民の作家だと云われる所以です。日の当たらぬ吹き溜まりに身を寄せ合い、「一日いちにち、まっとうな暮らしをしようとする最大多数の人々に、親近感を抱き続けた出発点が借家であり長屋生活であった」と山本の研究家木村久邇典が書いています。

心に残る一冊 その91  「お美津簪」 正吉の最期

「お美津簪」の続きです。
長崎の母の許に行くための船賃を稼ぐために、初めて犯す罪で押し入った家がたまたま筑紫屋茂兵衛の家でした。かつて丁稚奉公をしていた店です。茂兵衛に見つかって捕まります。
「この手で縄をかけてやるのも穢らわしい、早くここから出て失せろ!」
「この茂兵衛はなあ、今まで貴様のことを、もしや真人間になって帰る日もあろうかと、自分の倅を一人亡くしたよりも辛い気持ちで待っていたのだぞ、、」
「可哀相なのはお美津だ、お美津は貴様のことが忘れることができず、いまは半病人のようになっている」

正吉は畳に伏したまま、ごぼごぼと咳をすると口から血潮がほとぼります。茂兵衛は正吉から長崎行きの船賃欲しさにたまたま忍び込んだこと、お袋に一目会って死のうとしていることを白状します。
「なにも仰有らずお見逃しくださいまし、」

それをきいた茂兵衛は戸棚から金子を持ってきて正吉に渡すのです。
「これは貴様に遣るのではない、長崎で待つお袋さんに遣るのだ、お美津は今夜長唄の稽古があって出掛けている、もうそろそろ帰る時分だが、お美津に貴様のその姿を見せたくない」

筑紫屋を追い出された正吉は、廻船を待つために居酒屋に入ります。そのとき、「助けて!助けて!」という女の声をききます。無頼者態の男が二人、一人の娘の手を取り奥に引き込もうとしています。正吉は土間に落ちている花簪をひょいと拾います。正吉は刺身包丁をつかみながら二人の男に体ごと突っ込みます。一人がだあっーーと倒れます。残りの一人が短刀を抜き正吉の腹へ一突き。
「だ、、誰かきてくれ、、、」
正吉は傷に耐えながらよろよろしています。
「助けて、助けてください、、」そのとたん娘が「あ、、おまえは正さん」
「えっ」
正吉は眼を見はります。
「あたしを忘れたの正さん」
「あっ、、、ここは危ない、早く表へ、」

お美津を抱き起こして二人は走ります。お美津は長唄の稽古の帰りに襲われたことを話します。
「ここからは家も近い、お美津さま、あなたは早く帰ってください!」
「あたしはいや、おまえと一緒でなければお美津は生きる甲斐がないのよ、正さん、あたしがどんなに待っていたか、おまえは知らないでしょう」
「お帰りなさい、家へお帰りなさい、お美津さま!」
「正吉は長崎へ帰ります、そして真人間になって昔の正吉に生まれ変わってきます」

すがるお美津の手を振り切って正吉はよろめきながら走ります。懐には土間で拾った花簪を確りと握っています。その明くる朝、江戸橋の船着き場に一人の男の屍体がころがっているのが発見されます。

心に残る一冊 その90  「お美津簪」

山本周五郎の作品の一つ「お美津簪」の紹介です。かんざしー「簪」という語は難しい綴りです。

初めて父に連れられて長崎から江戸にやってきたのが正吉です。同郷の筑紫屋茂兵衛の店に奉公にだされます。茂兵衛には男の子がなく、お綱とお美津の二人の娘がいます。

正吉は気質が良く、人品も優れていて人並み以上の敏才の持ち主です。茂兵衛はお綱を婿として跡目を継がせようと考えていました。正吉とお美津は私かに恋を語る仲となります。そしてあるとき、正吉とお美津が土蔵の中で逢い引きをしているのを見つかります。正吉は一年間、小僧として使い走りに落とされます。

正吉はそれ以来夢のなかでうなされるようになります。お美津ばかりの夢を見、病気が進行しているような状態になります。正吉はすっかり自棄となり、お紋という女性に懸想してしまいます。そして店の金五十両を持ち出しお紋と駆け落ちするのです。その後、お紋に拐かされたように押し借り、強請、博奕などあらゆる無頼の味を嘗めていきます。女の情欲のために、治る見込みのない労咳で病む身となります。「罰だ、罰だ、旦那様やお美津ちゃんの罰が当たった、、」
「長崎、長崎、、、おっかさん」
正吉の胸に故郷の念がつきあげてきます。

「そうだ、長崎へ帰ろう、どうせ半年先もおぼつかない体だ、故郷の土を踏んでから死のう、おっかさんに一目会って不幸を詫びて死のう、」

その体ではとても長崎まで歩き通すのは無理なので、廻船問屋できくと、幸い明日の明朝長崎向けの船が江戸橋からでること、船賃は二両であることを知ります。居酒屋をでた正吉は船賃を得るために博奕のことを思い出します。
「もう一度だけだ、今夜っきりでおさらばなんだ、これ一度だけやろう」

しかし、博奕を見張っていた岡っ引きに追われ、黒板塀の家へ忍びこみます。短刀を持ってその家の主人の居間らしき部屋に入ります。その刹那、足をすくわれて転倒しその場で取り押さえられるのです。

「誰か、灯りを持ってこい!泥棒だ!」
「あっ、、おまえは、、、」
「正吉!顔を挙げたらどうだ、」
「あっ、旦那!」
初めて犯す罪で押し入った家がたまたま筑紫屋茂兵衛の家だったのです。

心に残る一冊 その89  「のうぜんかずら」

山本周五郎の作品に「のうぜんかずら」があります。原題は「凌霄花」とあるのですが、この単語をとても読んだり書いたりできませんのでひらがな表記にします。

広辞苑では「凌」は”しのぐ”、 「霄」は”そら”の意味とあります。 枝や幹から気根と呼ばれる根を出し、つるが木にまといつき天空を目指してど高く這うところからこの名がついたとあります。平安時代には薬用として栽培されていたとか。開花期は夏で、花色は濃い赤オレンジ色で非常に目立つ色彩です。花弁がラッパのように開きます。英語では 「Trumpet vine」、トランペットのようなつる、とか葡萄の木と呼ばれています。

「のうぜんかずら」の主人公は、滝口新右衛門という城代家老の跡取り、高之介です。藩校であった明考館では優秀な生徒です。ですが武芸のほうは興味がありません。それでも進められて槍術を始めるようになり、めきめき上達し中軸の上位を占めるようになります。毎年開かれる御前試合で高之介は上位四名に残りますが、なぜか棄権します。四名の一人に近田数馬という仲間もいました。ある時、高之介は決闘を申し込まれます。周りのものは云います。
「近田の面目をつぶした。試合の時棄権したのは、近田を江戸の大会にだしてやりたかったからで、立ち会っていたら自分は勝っていた、そう触れ回っていたそうじゃありませんか」
しかし、こうした噂は間違いであることをあとで近田も認めます。

高之介に恋慕するのがひさ江です。藩の金御用をつとめ呉服反物をあつかう豪商、津の国屋の一人娘です。身分の差はどうしようもありません。跡取りと一人娘ですから結ばれるのは絶望的でした。二人がしばしば逢瀬をかさねた所が、女坂下の雑木林の中です。そこには、朱に黄色を混ぜたような「のうぜんかずら」が始終咲いていました。そして、二人は云います。
「お互い別々に結婚してもこの花の咲く頃になったら、一度でもいいから二人で逢いましょうね」 「どんな無理をしても、、」 「高さま、、、でもわたし苦しくて堪りませんわ、高さまどうにかならないんでしょうか、あたし胸が裂けそうよ」

ですが、高之介が二十歳、ひさ江が十八歳の歳に互いの困難を乗り越えてなんとか結ばれます。二人は妻と呼ばれ良人と呼ばれるようになります。ひさ江には覚えなければならない事が沢山ありました。商家と武家との生活様式の違い、髪形、着付け、化粧、起居挙措、言葉遣い、食事の仕方、客の接待、あやゆる瑣末ことに武家の作法がついてまわります。城代家老という格式があり、神経をつかわなければなりませんでした。ひさ江は眼に見えて痩せていきます。生まれ育った環境の違いがすれ違いを広げていきます。そして実家に帰り別居することになります。

「のうぜんかずら」はなにかの枯れ木に絡まっているつる性の植物です。離ればなれの二人は時々、雑木林にやってきては「のうぜんかずら」をみて、かつての逢瀬を思い出します。ひさ江は、この場所に来ては高之介が来るのを待っています。そしてその時がやってくるのです。

心に残る一冊 その88  「七日七夜」 千代

「七日七夜」の二回目です。新吉原でボコボコにされた本田昌平の顛末です。

弥平と千代という親娘がいとなむ居酒屋が「仲屋」です。下町の人足、土方、職人、子連れで稼ぐ女などが出入りする店です。千代は初めの二日は殆どつきっきりで昌平を看病し、嘔くものの始末や薬の世話をします。
「あの晩の騒ぎで町廻りがきたんですよ」千代が昌平にそう云います。
「、、、お父つぁんがでて、あなたのことを親類の者だっていったんですけど、悪かったでしょうか」
「悪いなんて、そんなあ、、、有り難いよ」
「お父つぁん、とても心配しているんです、あなたの話を聞いて」

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昌平は病床のなかで、屋敷での居候のこと、兄や嫁のいびりのこと、26年の暮らしぶりや金のこと、ほうぼう遊び回ってひどい目にあったこと、などを弥平と千代に語るのです。「たとえ話半分としても、とてもそんなお屋敷へは気の毒で帰させないって」
見舞いにきた相客や彼を打ちのめした若者が謝りにくるのを昌平は見ます。彼らの態度に暖かい血が通っているのに気づくのです。

「、、、、おれにはまだ信じられない、どうしてみんなこんなに親切にしてくれるのか」 昌平は眼をつむって静かに云います。
「眼がさめると、なにもかも夢になってしまうんじゃないか、そんな気がするのです」
「夢じゃないわ、もし夢だとしてもあなたがその気になれば、、、」千代はためらいながら云います。
「そんなこまかい話より、喧嘩のときあなたがおっしゃった一と言でみんなあっっと思ったのです」
「、、、、お母さま、堪忍してください、もうしませんからって」

千代は泣き出します。自分も母に死なれて、いっそう共鳴したのかもしれません。
「あたし一生忘れませんわ、あの声、”お母さん、堪忍してください、もうしません”、あなたの話が全部嘘でないことあたし初めからわかりました、あなたはいじめられっ子だったんだって」
昌平のつぶった眼尻から涙が溢れ出します。

深川仲門前にある「仲屋」という居酒屋の今です。店では、千代という娘が武家出の養子をとります。二人が出す、どじょうを丸のまま串焼きにし味噌をつけた付きだしが好事家に人気とか。繁昌して相当金もできますが、いつまでも仲屋のままです。店を大きくして料理茶屋でも始めたら、という客もいます。その武家出の養子は、そんな声をまるで相手にしません。

「そいつはまあ、生まれかわってからのこととしましょう、生きているうちはこの土地を一寸も動くのはいやですね」
すると女房が横目で色っぽく亭主をみて云います。
「そうね、夢がさめないって限りもないんですもね」

心に残る一冊 その87  「七日七夜」 四男の昌平

「七日七夜」という山本周五郎の作品です。二男三男は冷や飯喰らい、四男五男は拾い手のない古草鞋といわれていた時代の話です。本田という三千石の旗本がいました。昌平は本田家の四男です。家では居候のような暮らしです。机の上で書物の写本をしています。艶めかしい戲作の写本で小遣いを補っています。

昌平の着物といえば順送りの古着です。そして兄貴たちからいつも怒鳴られています。
「外に出るな、みっともない!」
「客がくるんだ、すっこんでいろ!」

兄嫁が輪をかけたように無情です。三百両の持参金付きで本田家にやってきたのです。皮肉なそら笑いをしては、縫い物や洗濯は自分でするように昌平に言い付けます。兄嫁がこうなので、召使いらも自然に昌平に冷淡で軽蔑した態度です。
「あのう、御膳のお支度ができました」
「あ、、いますぐいく」
「、、、、、、なんだこれは、」
飯と汁を口につけるとどちらも冷えています。昌平は逆上し、兄嫁に「持参金をここへ出せ!」と刀を向けて脅します。嫁が仏壇の裏から袱紗を持ってくると小判の包みを六戸つかんで、通用口から外に出ると辻駕籠に乗ります。その夜は新吉原の遊女屋にあがるのです。

昌平は一夜で百十両という大金を使い、物心両面でうちのめされ、ふみにじられ、なにもかもぼろぼろとなった気持ちで大門を抜けます。
「一晩に百何両、うろんなのはこっちだ、、」
「、、、、金をだしな、金、金、勘定、勘定!」
「、、、、番所へ行って話をつけやしょう」


こうした吉原でのやりとりが幻聴のように響きます。泥酔した昌平は濡れた草履をひっかけるとぼとぼ歩きます。そして見知らぬ若者をからんで昏倒して、眼が覚めたときは「仲屋」という店の奥で寝かされています。そして、心配そうに囲んでいる者に苦しみながら昌平は本田家での身のうち話を始めるのです。

心に残る一冊 その86  「いさましい話」 津田庄左衛門

普請奉行の津田庄左衛門は「尤もいずれ江戸にお帰りになるというのなら、敢えて敵をつくることもないでしょう」と国許に派遣された若き勘定奉行の玄一郎に忠告します。
「私は江戸へは戻りません」
「こんなことを申し上げるとお笑いになるかもしれませんが、それはこの土地の人を嫁にもらうことなんです」
「この土地の人と結婚すれば姻戚関係もできるし、またその妻の力もいろいろな面で役立つと思うのですが、、、」

地元で土地で結婚すれば親戚ができ、いちおう土地に根を下ろしたことになり、江戸から来て江戸に帰る人間でなくなるというというのが玄一郎の思慮です。

勘定所の中で、部下の益山郁之助、三次軍兵衛、上原千馬は玄一郎をなんとか陥れようとあの手この手を使って不満をかきたて、江戸に帰そうとして果たし合いまで画策するのですが失敗します。そして、玄一郎地元の女で美貌の松尾と祝言をあげるのです。松尾に懸想していた若侍達の反発感情を昂めます。

そこに事件が起こります。領内にある山の檜の一部を浪花屋という業者に払い下げる代価として五百両を玄一郎が受け取ったという訴えです。巧妙に玄一郎の署名があり、勘定奉行の役印が捺してある証書も提出されます。玄一郎は一切釈明はせず、城内に押し込めらます。その始終をきいた津田庄左衛門は浪花屋の手代と会い、益山ら三名の企みであることを察します。そこで玄一郎に罪が及ばぬよう庄左衛門は主謀者と名乗り、証書は自分が作り、役印も自分が盗んで捺印したと自訴します。庄左衛門は家禄を取り上げられ国外追放という処分が下ります。玄一郎は監禁から解かれます。

然し、妻の松尾は自分の父から津田庄左衛門の過去のことを聞いていたのです。庄左衛門は妻と子どもがいたにも拘わらず、ある女性と恋仲になり子どもを生んだことがあるというのです。その子どを笈川家に出すのです。時が経ち、庄左衛門はそのことをすっかり忘れていたのですが、妻と長男に先立たれる頃から、その子のことを思いだし、自分の過失の重さを振り返ります。己の子を物でもくれるように他人に遣ったという悔いです。

松尾は玄一郎に云います。「あの方、津田さまはあなたの実の父です」。こうして津田の穏やかな淡々として話しぶりを思い出され、実の親が子をおもいやる言葉であったことを玄一郎は知ります。「叱られたり折檻されたことはおあいですか」と云われたとき、自分はなんと答えたかもよく思い出せないのです。然し、津田が安心し頷いた表情は記憶に残っています。「わたしは悔いの多い人間ですから、、」と溜息をついてさりげなく云った声が玄一郎の耳にさまざまと聞こえるのです。

心に残る一冊 その85  「いさましい話」 笈川玄一郎 

山本周五郎の 「いさましい話」という短編の一回目です。

江戸時代は、国許から江戸に妻子を住まわせ、人質のようにして一種の秩序を保っていました。江戸に住む者と国許の人との間でそねみや不信感があったようです。江戸にいる人間からすれば、国許の人間は頑固でねじれている、性格が固定的で融通性に欠け排他的である、傲慢で粗暴である、女たちも悪くのさばるなどの風評がありました。気候風土のせいもあったのだろうといわれます。

国許は国許で、江戸の人間はふぬけで軽薄、人にとりいるのが上手いなどといって毛嫌いしていました。江戸から赴任してくる者を無視したり嫌がらせをするために、赴任生活は三年と続かないなどといういう定評があり、そういう事実も多々あったようです。

笈川玄一郎が勘定奉行として国許に下向してきます。藩の財政の立て直しという任務をおびています。奉行交代の披露とそれに続く招宴で藩中の彼に対する感情もあらまし玄一郎に伝わってきます。玄一郎の部下は、彼をよそ者扱いにして、初めから不服従と反感を示し、玄一郎を怒らせたり困惑させようと振る舞うのです。部下とは益山郁之助、三次軍兵衛、上原千馬という三人です。玄一郎は彼らの誘いにのろうとしません。

玄一郎に助言を与えるのが作事奉行である津田庄左衛門です。作事奉行の仕事は造営修繕、特に木工仕事の管理です。謙遜でいんぎんな物腰。いつも柔和な微笑で、挙措もゆったりし全体に枯淡な気品に包まれています。時々釣りで一緒し、次のような会話にふけるときもあります。
「わたしは貴方のお父上を知っておりました」庄左衛門は静かに云います。
「仁義に篤い、温厚な、まことに珍しいひとでした」
「、、、はあ、仰るとおりいい父でした」
「叱られたり折檻されたことはおあいですか?」
「いやありません」
「わたしは悔いの多い人間でしたが、、、」 庄左衛門は溜息をつきます。

年末の勘定仕切りのとき、払い出し帳簿をみると玄一郎が赴任したときの招宴費用が書き出されています。
「どんな理由があっても、こういうものを役所で払うわけにはいかん、公用の意味があるのならとにかく、これは全くの私費だから」
「江戸邸ではそんな例はないし、そういう慣習を守れという注意も受けていない」
「然し、あたしの一存で押し通すのもいかがですから、すぐ江戸邸へ使いをやって問い合わせることにしましょう」

穏やかに云い終え役所に戻ると、おっつけ国老席から人がきて江戸に問い合わせるには及ばない、こちらで払うからと云ってきます。  (続く)

心に残る一冊 その84  「菊千代抄」 椙村半三郎

山本周五郎の「菊千代抄」の二回目です。

半三郎は18歳になり元服します。そして菊千代の前に呼び出されます。
「今日はききたいことがある。そのほうは菊千代が男であるか女であるか知っているであろうな」
「、、、、おそれながら」
「返事をせぬか、半三郎」
「おそれながら、そればかりは、、」
「いえないというのでは、知っているからだな、半三郎!」
「面をあげて菊千代を見よ、この眼を見るのだ!」
「菊千代が女だということを、そのほうは知っていたのだな?」
「、、、、、はい」
菊千代は彼を生かしておいてはならないと考えます。そして半三郎の袖をつかみ、短刀で彼の胸を刺します。松尾は戻るやいなや「、、、おみごとにあそばしました」と云うのです。

やがて巻野家に男子が生まれます。それ以来「おまえは女だ、男ではない、女だ、女だ、、」という声が菊千代の頭の中で聞こえ、神経発作を起こすようになります。菊千代は分封され、中山の尾形という谷峡で松尾と矢島弥市という家来だけを連れて暮らすようになります。弥市と一緒に馬で領内をまわり、弓を持って山に分け入ったりします。領内で貧しい小作人らと出会います。竹次というひどい暮らしをする者に出会うのです。竹次は十年前にかけおちしてこの地に落ち着き妻と子で暮らしています。

その家族の近くの物置に1人のひどくやせた男が住んでいました。その男に侍や下僕たちが声高になにか云っています。通りかかった菊千代が黙って通り過ぎようとします。やせた男がじっと頭を垂れているのを目撃します。素性が怪しい、労咳などという病人では屋形の近くにおいておけないといって立ち退きを迫っているのです。菊千代は立ち退きには及ばない、許すからここにいて病気をいたわってやるがよいと命じます。

それから1年あまり、菊千代は落ち着いた静かな生活をおくります。彼女は時々、物置にいる男が歩き回る姿や薪を割る様子を見かけたりします。歩いていると丁寧に挨拶をしたりするのです。その身振りを見るたびに、男は武家の出で志操の正しい人間であると感じるのです。

父親が菊千代の世捨て人のような暮らしを変えようとして10人ばかりの供をつれて尾形にやってきます。芸達者なものも連れているのです。その中の一人、葦屋という芸人がつきっきりで菊千代の望む芸を披露します。ある夜、菊千代はひどくうなされます。「お姫さまとだけ、お姫さまと私二人だけ、」と葦屋が云って菊千代の耳へ口を寄せて呻ぐのです。菊千代は蒼くなり、葦屋が自分が女であることを知った、生かしておけないと思います。

菊千代は葦屋に向かって、短刀を振るおうとします。するとふいに横からつぶてのように走ってきて「お待ちください、御短慮でございます」こう叫ぶ者がいます。「お待ちください、どうぞお気をお鎮めください」と立ち塞がるのです。「どかぬと斬るぞ」菊千代は逆上したように刀をふり回します。「止めるな、斬らねばならぬ、どけ!」男は「刺してはいけません」と菊千代の前に立ち塞がり、自分の胸を開いて諫めようとするのです。胸元の傷を見た菊千代は、かつて自分が短刀を振るって傷つけた半三郎であることを知るのです。

半三郎はごく控えめな表現で菊千代に対する同情と愛憐の気持ちを伝えます。労咳を病みながらひところは医者にも見放されながらも、不思議に一命をとりとめて、若君のしあわせ見届けるまで、気力をふるいおこし、その一心を支えにここまで供をしてきたと告白するのです。

「今でもそう思ってくれるか」、「菊千代をいまでも哀れと思ってくれるか」
身を振るわせて菊千代は彼の手をつかみ、その手へ頬を激しくすりつけるのです。

心に残る一冊 その83  「菊千代抄」 家訓

「菊千代抄」という山本周五郎の作品の紹介です。菊千代は巻野越後守貞良の第一子として生まれます。貞良は筋目のよい譜代大名の出で、寺社奉行をつとめていました。巻野家には古くから初めに女子が生まれたらそれを男として育てるという家訓のようなものがありました。そうすれば必ずあとに男子が産まれるということで、これまでにもそうした例が実際にあり、そのまま継承されてきました。当時貴族や大名の中にはこういう類の家風は稀ではなかったようです。

菊千代の母は病身でごくたまにしか菊千代は会いません。身の回りの世話には松尾という乳母がします。父は菊千代が乳母の手に抱かれているのを見ながらしきりに酒を呑み、3、4歳になると膳を並べさせ、「さああ若、ひとつまいろう」などとまじめな顔で杯を持たせたりします。

  菊千代の遊び相手はみな男の子です。自分の体に異常なところがあるということを初めに知ったのは6歳の夏です。乳母の松尾が側を離れた隙をみて誰かが池の魚を捕まえようといいだします。そして裾をまくって魚をおいまわします。菊千代の前に立った一人が突然叫びます。
「やあ、菊さまのおちんぼはこわれてらあ、」

池畔にいた一人が袴をつけたまま池にはいってきて、「なにを云うのか、おまえは悪い奴だ、」と暴言を口にした者を突き飛ばし、菊千代の肩を抱いて池から助け上げます。そこに松尾が走ってきます。菊千代は泣きながら松尾にとびつき、みんなの眼から逃げるように館にかけだしていきます。池から菊千代を助け上げたのは、八歳の椙村半三郎です。

半三郎は面長で眉のはっきしりしたおとなしい子でした。松尾は菊千代に対して体に異常はないこと、もしそうであれば侍医が診ていることなどいろいろ説明してくれます。然し、その時受けた恐怖のような感情は消えません。池の中の出来ごと以来、菊千代は半三郎が好きになり、なにをするにも彼でなければ気が済まず、少しも側を離しませんでした。

父との会話で菊千代は云います。
「本当に男のままでいられるのですか?」
「若が望みさえすれば造作もないことだ、」父が云います。
「、、、でもあとに弟が生まれましたら?」
「巻野家を継ぐのではない。分封するのだ、」
父はそういって菊千代に云ってきかせるのです。分封とは所領の内から適当な禄高を分けてもらい、相応の家来を持って生涯独立した領主となることだと菊千代に説明します。

ある夜、菊千代は乳母の松尾にききます。
「若が女だということを知っているのは誰と誰だ、、、」 父と亡くなった母、侍医と取り上げた老女、国許の両家老、その他知っているものはないことを菊千代にきかせるのです。その時、6歳の夏で池で魚を追い回していたとき、「若さまの、、、、、はこわれている」と誰かが叫んだのを思いだします。菊千代は半三郎を想い浮かべます。彼は知っている、生かしておけない、とも思うのです。それまで常に半三郎と相撲をとり、柔術の稽古をし、組み合っては倒れ押さえこまれてきたのです。彼一人を相手に選んできたのです。(続く)