心に残る名曲 その六  「プレリュードハ長調 BWV846」

1722年に作られたバッハの「平均律クラヴィア曲集」 第一巻第一曲がこの曲です。クラヴィア(Klavier)作品の代表作といわれるのがこの「プレリュード(prelude)ハ長調BWV846」です。24の調性をハ長調から順に半音ずつ上がり、それぞれの調が「プレリュード」と「フーガ(Fugue)」の2曲になっています

「クラヴィア」とはラテン語のklavis(鍵盤)に由来し、バロック時代ではハープシコードやオルガンを指していたようです。今日ではピアノを意味します。平均律とは「適度に調整された(well-tempered)」という意味で使われています。平均律による調律法はこの曲集によって確立されたといわれます。

「プレリュード」とは前奏曲といわれ、規模の大きい楽曲の前に演奏する楽曲を指します。類似する形態としては序曲(Overture) とか声楽作品中に挿入された合奏曲のシンフォニア(Sinfonia)があります。「フーガ」とは主題とその応答が交互に現れる,対位法による多声音楽の形式のことです。

平均律クラヴィア曲集は、多彩な曲想で書かれたプレリュードとポリフォニーの最高の技法が用いられたフーガなど、様々な点から音楽史上で最も重要な曲集の1つといわれています。この曲はフランスの作曲家、グノー(Charles Gounod)が作曲した「アヴェ・マリア(Ave Maria)」の伴奏に用いたことでも知られています。

Ave Mariaとは「おめでとう,マリア」という意味です。英語訳ですと「Hail Mary, full of grace」「おめでとう、恵に充ちたマリアさん」という感じです。他に、Ave Mariaはグレゴリオ聖歌(Gregorian chant)、ジョスカン・デ・プレ(Jo、squin Des Prez)、シューベルト(Franz Schubert)のAve Mariaなど多士済々といったところです。グレゴリオ聖歌とは9世紀頃から始まった単旋律で無伴奏の宗教音楽です。カトリック教会で用いられています。

心に残る名曲  その五 「バラード第1番ト短調」

今回は、バッハから少し時代を経てポーランド(Poland)の作曲家ショパン(Frederic Francois Chopin)の作品です。「Ballade NO. 1 in G Minor」という曲です。バラードとは譚詩曲とか 叙事歌といわれているようです。幻想曲とか即興曲ともいわれています。この作品では転調の妙技が活かされ、美しい序奏から激情的な盛り上がりをみせ、終曲へと向かいます。なにか劇的な余韻を持った曲です。

2002年に公開された映画「戦場のピアニスト(The Pianist)」にこの曲が登場して、観客を魅了します。実に見応えのある優れた映画です。戦争に翻弄されるポーランド国民やユダヤ人、そして音楽家が描かれます。監督はポランスキー(Roman Polanski)。彼もユダヤ系のポーランド人です。アウシュビッツ(Auschwitz)の生き残りで、「ユダヤ人狩り」から逃れるため転々と逃亡した体験がポランスキーの映画制作に深い影響を与えたようです。

「戦場のピアニスト」を簡単に紹介します。1939年9月1日にナチス、及びナチスと同盟を組むスロバキア(Slovakia)がポーランド領内に侵攻します。このときユダヤ系ポーランド人でピアニストで作曲家でもあったシュピルマン(Władysław Szpilman)は首都ワルシャワ(Wasaw)の放送局で演奏していました。ワルシャワが陥落すると、ユダヤ人はゲットーと呼ばれる居住区に移され、シュピルマン一家も飢えや無差別殺人に脅える日々をおくります。やがて何十万ものユダヤ人が収容所へ移されることになりますが、一人収容所行きを免れたシュピルマンは、決死の思いでゲットーを脱出します。砲弾が飛び交い、街が炎に包まれる中、必死に身を隠します。やがてワルシャワの蜂起も起こります。

ある家でシュピルマンはピアノを発見します。そこに坐り心の中で曲を弾くのです。ある晩、彼は発見した缶詰を開けようとしているところをドイツ人将校ヴィルム・ホーゼンフェルト(Wilm Hosenfeld)に見つかってしまいます。彼の質問に「ピアニストだった」と答えると、ピアノを弾くように命じられます。その時演奏したのがこのバラードです。ドイツの敗北を予想するホーゼンフェルトは、密かにシュピルマンに包みを差し入れます。その中にはライ麦パンと共に缶切りが添えられています。

心に残る名曲 その四 カンタータ147番 BWV147 「心と口と行いと生活で 」

バッハは、オペラを除く当時のほとんどあらゆる音楽領域で作曲活動をし、バロック全体を総合する多様な作品を作ります。彼はドイツの対位法芸術の中で育ったといわれます。対位法とは、ポリフォニー(polyphony)音楽についての理論といわれます。ポリフォニー音楽においては、それぞれの声部が奏でる旋律の独立性を保ちながら、各声部の旋律が流れていくことに特徴があります。

バッハは、すでにドイツの宮殿文化に浸透していたフランスやイタリアの新しい形式を作曲に取り入れます。例えばコレッリ(Arcangelo Corelli)とかヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi)からイタリア音楽の豊かな調和のある和声や演奏様式を使います。コレッリの作品は、旋律の美しい流れと伴奏パートの丁寧な扱いが特徴的といわれます。「クリスマス協奏曲」を聴けばわかります。ヴィヴァルディは「四季」をはじめとして500を超える協奏曲を作ったカトリックの司祭です。

プロテスタント教会音楽の発展に大きな役割を果したのもバッハです。 ブリタニカ国際大百科事典によれば、1723年に、聖母マリアが年老いたエリザベトを訪問する場面を主題として作曲したといわれる教会カンタータが「カンタータ147番」といわれます。ルカによる福音書1章39-56節にその記述があります。この曲は全10曲からなっていて、最初の曲は合唱で「心と口と行いと生活で」(Heart, mouth, action and life)というタイトルがついています。終曲のコラールは「主よ、人の望みの喜びよ」(Jesu, Joy of Man’s Desiring)は余りにも有名です。

心に残る名曲 その三 カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」

カンタータ第140番BWV645 は「コラール・カンタータ(Choral Cantata)」と呼ばれる形式によっています。コラール(Choral)とは聖歌隊の合唱、あるいは簡単な単旋律によるルター派の賛美歌といわれています。Choralの発音では「Cho」にアクセントがつきます。

「宗教的な記述に基づく声音とオーケストラのための音楽形式」、「重唱から成る声楽曲」などと呼ばれるのが「カンタータ」です。ひとつの賛美歌の歌詞や旋律をもとにして全曲が構成された教会カンタータを「コラール・カンタータ」という場合もあります。

音楽大事典によりますバロック(Baroque)時代のドイツにおけるカンタータは、主に宗教音楽の分野で発展したことです。ドイツにおける教会カンタータは、狭義においては、教会音楽にイタリアの世俗声楽曲であるマドリガル(Madrigal)様式の自由詩に基づく作品といわれます。今日では、プロテスタント教会の礼拝において演奏された複数の独立した楽章からなる声楽曲のことを指し、17世紀に作曲された宗教作品も含めることが一般的とされます。なお、Baroqueとは16世紀末 美術文化の様式のことです。

マドリガルは16世紀から17世紀に栄えたイタリアの世俗声楽曲のことで、歌詞や詩句の部分が同じ旋律が繰返されるのが特徴となっています。16世紀の作曲家ラッソ(Orlando di Lasso)の「マトナの君 」(Matona, mia cara)は読者の方々もどこかで聴いたことがおありのはずです。

さて、本題のカンタータ第140番のことです。このカンタータの基礎となっているコラールは、16世紀のルター派教会牧師ニコライ (Philipp Nicolai)のコラールを第1曲、第4曲、第7曲に用いています。そのコラールの原典は、三位一体節(Trinity) 後第27日曜日の福音書日課であるマタイ伝(Gospel according to Matthew)第25章1〜13節です。この日課は、「天の国は次のようにたとえられる、十人の乙女がそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く、そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった」とあります。こうして到着する花嫁のたとえを用いて、神の国の到来への備えが説かれます。それをふまえ、真夜中に物見らの声を先導として到着したイエスらの待ちこがれる魂との喜ばしい婚姻へと導かれるというのです。17世紀後半にイタリアで作曲されたレシタティーヴォ(Recitativo)とアリア(Aria)からなる独唱と通奏低音のための歌曲でもあります。

心に残る名曲  その二 カンタータとバッハ

私は節操もなくいろいろな音楽を楽しんでいます。専ら合唱をやってきましたが、アルトリコーダも少し吹きます。長男はヴァイオリンを弾き、孫達もビオラやピアノの演奏をしては、YouTubeでその様子を送ってくれています。私は若いときにルーテル教会で洗礼を受けたこともあり、バッハ(Johann Sebastian Bach)の作品はどうも心の波長に合うのです。聖歌隊でも彼の作品をずいぶんと歌いました。その一つが「カンタータ第140番「目をさませと呼ぶ声が聞こえ」BWV140」というのです。

バッハ作品のタイトルの終わりには、かならず「BWV」という略語がついています。「BWV」とは、ドイツ人音楽学者のシュミーダー(Wolfgang Schmieder)が1950年に著したバッハの音楽作品目録のことです。この目録は世界中の音楽学者や音楽家に採用され、国際的な標準となりました。このナンバリングシステムによりますと、カンタータ(Cantata)とかモテット(Motet)類にはBWV1から231が付けられています。

バッハの経歴を音楽大事典で調べるとかなり劇的というか、波瀾万丈なところがあったようです。作曲やオルガン演奏に秀でていたので、周りとの衝突もあったことを伺わせます。次回はカンタータ第140番「目をさませと呼ぶ声が聞こえ.BWV140」のことです。

ついでですが、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の作品には、ケッヘル(Köchel)という番号がついています。作品には略記号のKがついています。ケッヘル(Ludwig von Köchel)が整理した目録でケッヒェル目録と呼ばれています。「ヴァイオリン協奏曲第二番ニ長調, K 211」といった具合です。

心に残る名曲  その1 「音楽の泉」と「楽興の時 第3番ヘ短調」

かつてラジオで「音楽の泉」という番組をしばしば楽しんだものです。クラシック音楽を堀内敬三氏という音楽評論家の解説とともに楽しむ番組です。この放送はもう無くなったと思いこんでいましたら、今もラジオ第1 毎週日曜 午前8時05分から楽しむことができます。第二代の解説者は村田武雄氏、現在、第三代は皆川達夫氏です。

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堀内敬三氏は珍しい経歴の持ち主です。1917年にミシガン大学(University of Michigan)の工学科に入り、在学中に作曲と音楽史を学びます。卒業後は、マサチューセッツ工科大学(MIT)修士課程を修了し、機械工学の修士号を取得します。ボストンにいたときは、電車でニューヨークへいろいろなコンサートを聴きに行ったという手記が残されています。

帰国後、1926年にNHKの嘱託として洋楽を担当し、放送用音楽語の制定、外国の音楽家の名の読みの統一、オペラやジャズに至る訳詞などを手がけます。1941年には「音楽之友」を創刊し社長となります。1950年にNHK放送文化賞を受賞します。「話の泉」というクイズバラエティ番組にもレギュラーで出演し、その博識を発揮したようです。

「音楽の泉」は1949年9月に第1回が放送されます。静かな休日の朝をクラシック音楽とともに過ごすという考え方で、半世紀以上にわたりクラシック音楽を専門に扱う番組です。私は、この番組でクラシック音楽に誘われたという世代です。ピアノのテーマ曲が番組の始めと終わりに流れてきました。この懐かしい曲はシューベルト(Franz Peter Schubert)の「楽興の時 第3番ヘ短調」というのだそうです。