ウィスコンシンで会った人々 その85 放蕩息子噺 「唐茄子屋政談」

落語にはいろいろな人物が登場する。だが地噺にでてくる人物は別として、あまり真面目で正直者はでてこないことになっている。真面目な者は話芸によって描くには難しい人物なのだろうと察する。

放蕩息子には二種類いるようだ。自堕落で遊びまくり最後は身を持ち崩す者。「お天道様と米の飯はついてくる」というお定まりの捨て台詞を吐く。だが「米の飯はついてこない。」空腹で満たされない人生、家畜にも劣る惨めさ、誰も助けてくれる者のない孤独を味わう。

もう一種類は、放縦の限りを尽くすが、やがて悔い改めまっとうな暮らしに戻る者である。新約聖書ルカの福音書15章にも放蕩息子と父親の話がある。「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだ」。共通しているのは、現実からの逃避。この現実というのはどこにいっても必ず陰のようについてくる。それに直面し決断するか否かが問われる。

空け/虚けといった放蕩息子のほとんどは商家の若旦那。官許の吉原で道楽をして勘当される。紹介する演目は「唐茄子屋政談」。若旦那の徳三郎。吉原の花魁に入れ浸りで家の金を湯水のように使う。親父も放っておけず、 親族会議の末、道楽をやめなければ勘当だと言い渡される。

「勘当けっこう!」捨て台詞を残して徳三郎は家を飛び出る。その足で花魁のところに転がり込み相談するが金の切れ目だと、体よく追い払われる。

どこにも行く場所がなくなって、叔母の家に顔を出すと 「おまえのおとっつぁんに、むすび一つやってくれるなと言われてるんだから。 まごまごしてると水ぶっかけるよッ」 と、ケンもほろろ。

土用の暑い時分に、三、四日も食わずに水ばかり。つくづく生きているのが嫌になり、身投げの「名所」で知られた吾妻橋から飛び込もうとすると通りかかったのが、本所の達磨横丁で大家をしている叔父。止めようとして顔を見ると甥の徳三郎。

叔父 「なんだ、てめえか。飛び込んじゃいな!」
徳三郎 「アワワ、、、助けてください」
叔父 「てめえは家を出るとき、お天道さまと米の飯はとか言ってたな。 どうだ。ついて回ったか?」
徳三郎 「お天道様はついて回るけど、米の飯はついて回らない」
叔父 「ざまあみやがれ!」

ともかく家に連れて帰り、明日から働かせるからと釘を刺す。翌朝叔父は唐茄子(かぼちゃ)を山のように仕入れてきた。「今日からこれを売るんだ」格好悪いとごねる徳三郎を 「そんなら出てけ。額に汗して働くのがどこが格好悪い」 と叱りつけ、天秤棒を担がせると送りだす。徳三郎、炎天下を、重い天秤棒を肩にふらふら。浅草の田原町まで来ると、石につまづいて倒れ動けない。

見かねた近所の長屋の衆が同情し、 住人に売りさばいてくれ、残った唐茄子は二個。礼を言って、売り声の稽古をしながら歩く。田原町の田んぼに来かかると、 吉原の明かりがぼんやりと見える。後悔と回心の念が広がる。

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ウィスコンシンで会った人々 その71 道楽噺

伊勢屋の若旦那、吉原通いにはまっている。怖いのは親父。湯屋に出掛け帰り際にばったり出会ったのが、貸本屋の善公である。「善公、おまえ他人の声色が上手かったな、わたしの代わりをしておくれ」。若旦那は善公に代役を押し付けて吉原に出掛けようとする。

善公、駄賃として袴をくれるというので断りきれない。言われるままに若旦那の部屋に入り代役を引き受ける。一階に住む大旦那、「おい、倅、今朝がた干物をもらったはすだ。どこに置いたんだ?」善公としてもそんな細かい話は聞いていない。「干物箱でしょう。」「うちに干物箱なんてない。」そんなやりとりで何とか大旦那の追及をかわす。

ひと安心した善公は、若旦那が花魁から受取った手紙を見つける。それを元に若旦那から金をせびろうと考える。ところが手紙に書かれていたのは、善公への悪口雑言である。善公がふんどしを忘れ、その匂いが四方八方までひろがるというのだ。そこで役所がDDTを撒くというのを読んで、「ひでえな、馬鹿だ、カスだなんて。花魁、ひでえよ!!」、大声を張り上げるので、大旦那にすっかりバレてしまる。

そこへ戻ってきたのが若旦那。窓際で声を掛ける。
若旦那 「おい、善公、紙入れ(財布)、紙入れ、忘れちまった、投げてくんな!」
親父 「バカヤロー」
若旦那 「おっ、善公うめえもんだ。親父にそっくりだ」
「干物箱」という演目である。

「唐茄子屋政談」の主人公も道楽で身を持ち崩し苦労する。商家の若旦那、徳兵衛は、道楽が過ぎて勘当され、親戚を頼っても相手にされず、友人からも見放され、吾妻橋から身を投げようとする。そこへ若旦那の叔父が偶然通りかかり、若旦那を押しとどめる。叔父の家で食事をあてがわれた若旦那は、「心を入れ替え、何でも叔父さんの言うことを聞く」と約束する。

翌朝、若旦那は叔父に起こされ、「お前は今日から俺の商売を手伝え。天秤棒をかつぐのだ」と命じられる。叔父の職業は唐茄子、カボチャの行商人であった。若旦那はひとりで慣れない重い荷物をかついで歩くうち転び、カボチャをばらまいてしまい、思わず「人殺しィ!」と叫ぶ。若旦那の叫び声を聞きつけた人々が集まってくる。若旦那の身の上話を聞いた人々は同情し、カボチャを買う。カボチャは残り2個になる。

通りでは、ほかの行商人たちが売り声を張り上げている。若旦那も負けじと声を出そうとするが、勇気が出ない。人気のない田んぼ道で売り声の練習をしているうち、そこが花街の近所であることに気づき、遊女との甘い思い出に浸るうち、売り声が薄墨のようにか細くなるという噺である。

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