アメリカ合衆国とニックネームの由来 その21 The Old Line State

18世紀初頭、スコットランドやアイルランド(Scotland and Ireland)から大挙して移民がメリーランド州(The State of Maryland)にやってきます。その理由は宗教上の迫害を逃れ、自由を求めてきたといわれます。メリーランドの州都はアナポリス(Annapolis) で海軍大学校(Naval Academy)があります。最大の都市はバルチモア(Baltimore)となっています。ワシントンD.C.の隣です。

多くの川がポトマック川(Potmac River)に合流し、チェサピーク湾(Chesapeake)に注いで肥沃な大地を形成しています。そのお陰で農業は州経済の重要部分となっています。キュウリ、スイカ、スイートコーン、トマト、マスクメロン、カボチャ、豆類など生鮮野菜を栽培しています。チェサピーク湾西岸の南部郡は温暖な気候でタバコの栽培地帯でもあります。

州のニックネームの由来です。独立戦争(Revolutionary War)の最中、大陸軍のメリーランド第一連隊(First Regiment)400名がニューヨーク州のロングアイランド戦(Battle of Long Island)で勇敢な戦いをし、イギリス軍の侵攻を食い止めたといわれます。この連隊はその後の戦いでも戦果ををあげ、後に総司令官であったワシントン(George Washington)が「Maryland Line(メリーランド軍)」に「Old Line」という名を与えたとあります。「The Old Line State」とは少々地味なニックネームです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その20 The Pine Tree State

メイン州(The State of Maine) は合衆国の最東端に位置し、東と北がそれぞれカナダのケベック州(Quebec)、ニューブランズウイック州(New Brunswick)に接し、西はニューハンプシャー州(New Hampshire)に隣接しています。州都はオーガスタ(Augusta)。州の公式ニックネームは「The Pine Tree State」となっています。

「Maine」という州名は、フランスの「province in France」から由来したといわれます。1604年頃最初にヨーロッパからやってきたのはフランスの探検家、ピエール・デュガ(Pierre Dugua)、シーウ・ド・モンス (Sieur de Mons)といわれ、セント・クロー島(Saint Croix Island)に上陸します。
1665年にイギリスからの移民が到着し、イギリス総督の名で「Province of Maine」とつけられます。この地帯に住んでいた先住民族はアルゴンキン語(Algonquian)を話すワバナキ族(Wabanaki)です。

海岸線は岩で複雑に入り組み、山稜は低くうねり、森と美しい水流などが内陸に続いています。その景観は多くの避暑客をよんでいます。ロブスター(lobster)やハマグリ(cram)など海産物料理も観光客が押し寄せる理由です。その他、主要な産物は鶏肉、卵、酪農製品、牧畜、りんご、ブルーベリー、メイプルシロップ(maple syrup)などです。ニックネームのThe Pine Tree Stateですが、メイン州の旗に掲げられています。とくに白い松の森林で覆われる州です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その19(2) The Cajun

ルイジアナ州(Louisiana)の話題の二回目です。「クレオール」と並んでルイジアナの顕著な文化や料理が「ケージャン」(Cajun)です。少し時間を戻してみます。

ミシシッピ川以東の大陸では、イギリスとフランスの間で激しでい所有権争いが起こります。フレンチ・インディアン戦争(French and Indian War) です。この戦いは「七年戦争」(Seven Years’ War)ともいわれます。1713年にカナダのノバ・スコシア(Nova Scotia)地方をイギリスが植民地化すると、ノバ・スコシアのアカーディア(Arcardia)地方に住んでいた「Cajuns」と呼ばれていた約4,000名のフランス系住民は追われて南部のルイジアナへ移動します。そしてこの地で綿花、コーン、サトウキビなどを栽培します。使っていた言語はフランス語が母体ですが、それに英語、ドイツ語、黒人の使っていた言葉の訛りが交じり、独特な響きを持つようになります。それがケージャン語(Cajun Language)と呼ばれるようになります。

ケージャン語とともにケージャン料理も知られています。ケージャン移民が持ち込んだアカーディアのフランス料理を基礎としインディアンの料理、西アフリカからの黒人奴隷の料理さらに、クレオール料理の流れをくむのがケージャン料理といわれています。代表的なものに肉または甲殻類、とろみ成分、および「聖なる三位一体」と呼ばれるセロリ、ピーマン、タマネギで構成されるガンボ(Gumbo)、溶かしバターを塗ったレッドフィッシュの切り身にたっぷりのスパイスをまぶしつけ、煙が出るほど熱したブラッケンド・フィッシュ(Blackened Fish)が知られています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その19(1) The Pelican State

フランスの影響を色濃く反映するのがルイジアナ州(State of Louisiana)です。1643年にフランス人ロベール・カブリエ・ド・ラ・サール(Rene-Robert Cavelier de La Salle)が、ミシシッピ川(Mississippi River)の流域を探検し、やがてフランス領と宣言し、ラ・ルイジアーヌ(La Louisiane)と名付けたといわれます。「Louisiana」という地名は、フランス王ルイ14世(Louis XIV)にちなみます。現在の州都はバトンルージュ市(Baton Rouge)。最大の都市はニューオーリンズ市(New Orleans)です。

Crawfish, corn, and potatoes spread out for a crawfish boil

ラ・サールの探検に先立ち、1541年5月にスペイン探検家のエルナンド・デ・ソト(Hernando de Soto)の部隊はミシシッピ川に到達したという記録があります。ソトはスペインのインカ帝国(Imperio Inca)征服による莫大な財宝を手にしてスペインに戻り征服の英雄として有名になった人です。スペインとフランスの植民地争いが先住民族を巻き込んで繰り広げられますが、結局フランスがミシシッピ川を植民地化していきます。1803年にはアメリカがフランスより今のルイジアナ一帯を購入していきます。

ルイジアナ州のニックネームは「The Pelican State」でありますが、もう一つ「Creole State」というのがあります。この歴史は興味ありますので紹介します。「クレオール」(Creole)というのは、ルイジアナ州で起こったスペイン系やフランス系、先住民族、そしてアフリカ人が使った独特の言葉であり文化のことです。アメリカがルイジアナを買収する以前から、そこに生まれた人々とその子孫、また彼らと関わりのある土着の言語や文化のことが「クレオール」と呼ばれています。その言葉は混交語ともいわれます。民族よりも伝統的名文化を継承する人々が「クレオール」です。その名残は、フランス風の建物やクレオール料理と呼ばれる伝統料理などに表れているようです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その18 The Bluegrass State

ケンタッキー州(Commonwealth of Kentucky)の州都はフランクフォート(Frankfort)。最大の都市はルイビル(Louisville)となっています。「Kentucky」の意味ですが、イロコイ族(Iroquois)のイロコイ語で「平原」、チェロキー族(Cherokee)で「荒れ地」、「明日の土地」、「どす黒い血の地」と呼ばれていたといわれます。

ケンタッキーはアパラチア(Appalachia)炭田地帯に位置し、ウエスト・ヴァージニア州(West Virginia)とともに全米有数の石炭の産地です。他にタバコの生産は全米第二位ともなっています。

この州は「ブルーグラスの州」(The Bluegrass State)というニックネームがついています。ブルーグラス(bluegrass)はイネ科の多年草で芝生や牧草として使われています。踏みつけられて冬場にも強いのが特徴です。地下茎を伸ばして繁茂し庭やゴルフ場の芝生の他に土砂の流失防止のために斜面や荒地にも植えられています。

ケンタッキーは牧草地を利用したサラブレッド競走馬の飼育で知られ、五月第一土曜日はケンタッキーダービー(Kentucky Derby)がルイビルで開かれます。アメリカンクラシック(American Classics)三冠の第1冠として知られています。

親しみやすい農園歌、郷愁歌を多数作曲したスティーブン・フォスター(Stephen Foster)の作品に「ケンタッキーの我が家」(My Old Kentucky Home)があります。作品には黒人霊歌(Black spirituals)の影響を感じます。この曲はケンタッキー州議会により公式州歌として採用されています。

The sun shines bright in the old Kentucky home,
 Tis summer, the people are gay;
  The corn-top’s ripe and the meadow’s in the bloom
   While the birds make music all the day.

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その17 The Sunflower State

カンザス州(Kansas) 全域がグレートプレーンズ(大平原)の真っ只中にあります。州都はトピカ市(Topeka)であり、州最大の町はウィチタ市(Wichita)、次いでカンザスシティ市(Kansas City)となっています。一度カンザスシティの学校を訪問したことがあります。この市はミズーリ川(Missouri River)とカンザス川(Kansas River)の合流点の西に位置しています。

「ミズーリ」は、この地に先住したインディアンのアルゴンキン語(Algonquian)で、「泥の河」という意味。この川は大量の泥を含むので、別名「Big Muddy」とも呼ばれています。「カンザス」のいわれですが、この地に先住したインディアン部族のカンサ族(Kansa Tribe)に由来しています。もう一つのオマハ族 (Omaha Tribe)も知られています。部族のなかでは「風に立ち向かう者たち」という意味で使われていたとあります。

カンザス発展の歴史ですが、「Wild West」という呼称に表れるように開拓時代の西部地方の土地や家畜を巡る争い、そしてカウボーイ(cow boy)や保安官(shelif)の活躍の歴史です。1872年にはアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道(Atchison, Topeka and Santa Fe Railway)がドッジシティ(Dodge City)まで開通します。家畜輸送を巡る競争が始まります。ドッジシティ(Dodge City)も荒々しいカウボーイの町で、バット・マスターソン(Bat Masterson)やワイアット・アープ(Wyatt Earp)が町の法執行者として活躍したといわれます。後に「OK牧場の決闘」(Gunfight at the O.K. Corral) や「荒野の決闘」(My Darling Clementine)を監督したジョン・フォード(John Ford)の西部劇製作に影響を与えた舞台が「Wild West」というわけです。

カンザスで忘れてはならないのが、「オズの魔法使い」(The Wizard of Oz)です。カンザスの農場に住む少女ドロシー・ゲイル(Dorothy Gale)は「虹の彼方のどこかに」(Somewhere Over The Rainbow)を歌います。ドロシーと愛犬のTotoは、あるとき大平原でサイクロン(cyclone)に襲われます。そして「Land of Oz」へと飛ばされてしまう話で幕が開きます。

お終いになりましたが、カンザスのニックネームは「The Sunflower State」です。他に「The Wheat State」、「The Cyclone State」、「The Jayhawker State」というのもあります。「Jayhawker」とは黒人奴隷商人を襲い奴隷を解放したゲリラのことです。その後、カンザス州民を指す言葉となりました。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その16 The Hawkeye State

「本当の大平原(prairie)というのは、一日中車で走っても景色が全く変わらないようなところをいうのだ」という話を聞いたことがあります。その後、私が実際にそんな体験をしたのはアイオワ州(The State of Iowa)でのことでした。サウスダコタ(South Dakota)の知人に会いに行く途中のことです。マディソンからインターステイト90(Interstate 90)を走りアイオワ州に入ると大平原です。車の窓から見えるのは、間近にせまってくるぼうぼうに繁ったコーンばかりなのです。それがお昼を過ぎ、やがて日が西に傾きかけても全く同じ景色なのです。空から見ても見渡す限りの畑です。

アメリカの「ハートランド」(Heart Landー中心地)といわれるのがアイオワです。アメリカの地図をみても中心に位置します。さらに大穀倉地帯なのです。いつでしたか、アイオワ州の農家一軒で10,000人の食料を生産していると聞いたことがあります。主要な農産物は豚、トウモロコシ、大豆、エンバク、牛、卵及び酪農製品です。エタノールとトウモロコシの生産では国内最大の州であり、大豆でも二位を保っています。それが「世界の食糧の首都」と呼ばれている理由です。アイオワ州の90%の土地で大規模農業が営まれています。

こんな長閑な州なのですが、合衆国の政治で重要な役割というか影響力を持つのがアイオワ州です。大統領選挙の前哨戦である大統領候補指名党員選挙を、全国に先駆けて行うことが定められているのです。したがって、アイオワ州は大統領選挙の緒戦といわれ、全米で注目されるのです。「アイオワを制する者が大統領選挙を制する」とも言われています。その例は、アイオワ州党員選挙にて敗北した候補者が大統領に就任した例は少ないことに表れています。その例外ですが、2016年2月の候補指名選挙ではD.トランプは得票率は24.3%で二位となりましたが、その後の活動で共和党候補として指名されたのはご承知のとおりです。

アイオワ州のニックネームは「The Hawkeye State」。この由来は、ソーク族(Sauk)の酋長ブラック・ホーク(Black Hawk)にちなみます。もう一つは、アイオワの都市バーリントン(Burlington)で新聞経営をしていたエドワード(James Edward)がそれまでの新聞名、「The Iowa Patriot」をブラック・ホークにちなんで「The Hawk-Eye」に改名したという説です。エドワードはブラック・ホークと知己を持っていたといわれます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その14 The Prairie State

アメリカの穀倉地帯といえばミッドウエスト(Midwest)と呼ばれる中西部。その中心に位置するのがイリノイ州(State of Illinois)です。州都はスプリングフィールド(Springfield)で、最大の都市はシカゴ(Chicago)です。この州からはリンカーン(Abraham Lincoln)、グラント(Ulysses Grant)、レーガン(Ronald Reagan)、オバマ(Barack Obama)らの大統領を生んだ州としても知られています。

1837年に創設され今や世界最大の農業機械メーカーであるジョン・ディア(John Deere) がイリノイにあります。籾殻をとる鉄製鋤を発明したことで州中部の肥沃な平原(Prairie)を世界で最も生産力があり貴重な農地に変えたといわれます。さらに鉄道が開通しドイツやスウェーデンからの移民農業者を惹きつけ発展します。州のニックネームは「The Prairie State」となっています。

イリノイのもう一つのニックネームは「The Land of Lincoln」です。リンカーンは弁護士、イリノイ州議員、上院議員で活躍し1861年3月に第16代合衆国大統領に就任ます。「Land of Lincoln」にはリンカーンが残した遺産の重要さを強調しています。このフレーズは車のライセンスプレートにも表示されています。

イリノイ-Illinoisは、同州に先住していたインディアン部族のイリニ族(Illini) にフランス人宣教師や探検家がつけた名前を現代風に綴ったものといわれます。北米に広く居住していたインディアンのアルゴンキン族(Algonquian)の言葉で「Illini」は「完全な人」という意味があるという説もあります。

アメリカ全体に影響を与える事件の舞台がイリノイでもありました。1832年に合衆国北西部のインディアン部族から領土を奪い、植民地とするために起こしたブラック・ホーク戦争(Black Hawk War)がありました。これはインディアン戦争ともいわれます。1886年5月にシカゴで起こったヘイマーケット事件(Haymarket affair)は、8時間労働制を求める労働者のストライキとデモです。1929年2月には、聖バレンタインデーの虐殺(St. Valentine’s Day Massacre)という血で血を洗うギャングの抗争が起こります。アル・カポネ(Al Capone)がその中心にいたといわれます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その13 The Gem State

ひょんなことから合衆国の州を覚えることになったのがアイダホ州(State of Idaho) です。本土復帰前の1971年、沖縄に行ったとき那覇市内の公設市場で巨大なポテト(ジャガイモ)を目にしました。ポテトの入った袋には「Idaho」とありました。私がこの州を知ったきっかけです。ゴーヤも始めて食べたのを思い出します。夏の沖縄は野菜が不足がちですがゴーヤやポテトがそれを補っています。ゴーヤチャンプルは美味しいです。

本題のアイダホ州ですが、州の大部分は山岳地帯であり、東海岸のニューイングランド(New England)の面積よりも広いといわれます。州都はボイジ(Boise)。農業と共に林業、鉱業が盛んです。全米でジャガイモの13%近くを生産する重要な農業州です。その他の産物は、大豆、レンズマメ、小麦及び大麦です。他に酪農製品も豊かです。近年は自然を活かした観光業なども州の大きな収入源になっています。

Wikipediaによりますと「Idaho」という名前は平原アパッチ族(Apache)の「敵」を意味する 「ídaahe」から由来するといわれます。コマンチェ族(Comanche)はこの言葉をアイダホ準州を呼ぶときに使ったともいわれています。別な説ですが「Idaho」はショショーニ族(Shoshone)が使った感嘆詞の一つとされます。彼らの発音は「Ee-dah-how」であり、「注意せよ!太陽が山から降りてくる!」と意味とされています。

最初のヨーロッパ人の入植は1860年といわれます。大分遅い感じがします。フランクリン(Flankline)という街に集落をつくり農業に従事したのがモルモン教徒(Mormonism)です。その年、金が発見されます。入植者が増加し、南部にあるスネーク川平原(Snake River Plain)は潅漑が進んだ大農業地帯となっています。

アイダホのニックネームは「The Gem State」。宝石の州というわけです。金、銀、銅、鉛、コバルト、ジャスパー、トパーズ、オパール、ヒスイ、金剛石などが産出するのでこの名がつけられました。残念ながら私はこの州を訪れたことがありません。