定石と固定観念

Last Updated on 2025年2月18日 by 成田滋

少しずつ暖めていた人工知能囲碁プログラム「アルファ碁」(AlphaGo)にまつわる話題です。それが、「定石と固定観念」というフレーズです。これが人工知能とどう結びつくかです。

私の「道落」の一つが囲碁。強いとはとてもいえないのですが、碁の深さや難しさに魅了されつつ、毎日練習するのを日課としています。囲碁には「定石」といわれる昔から度重なる研究と実践によって生まれた石の形があります。定石とは対戦者が最善を尽くして「部分的」に互角に分かれる石の形のことです。どちらかが有利な形となるなら、それは定石とはいいません。私も定石を何度も練習しています。ですがいざ実戦となるとその手順を間違えることがしばしばあります。対戦相手は定石にないような手を打ってきます。高段者は新しい定石を学び低段者を翻弄します。

1954年製作の「十二人の怒れる男」(12 Angry Men)というアメリカ映画がありました。ある裁判で一人の陪審員(jury)が他の十一人の陪審員たちに、固定観念に囚われずに証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを提案します。やがて少数意見が多数意見となり無罪評決となるというストーリーでした。イスラエルでは会議をするとき、もし出席者七人のうち六人が賛成する発言をしたとき、七人目の人は無条件に反対意見を述べなければならないというのです。多数とは違う少数意見はそれ自体に価値があるというのです。

12 Angry Men

この陪審員の評決に関するエピソードを囲碁に当てはめてみますと、固定観念を捨てるとき思わぬ妙手が生まれるときがある、ということかもしれません。最近は定石の考え方が変わって、新しい定石が生まれています。こうした変化には、固定観念から離れて新しい手を考えて打とうという姿勢があるからです。そういえば「定石を覚えて二目弱くなり」という定石信奉者を皮肉った川柳があります。イスラエルの格言にもう一つ。「何も打つ手がないときにも、ひとつだけ必ず打つ手がある。それは勇気を持つことである。」 私には後学のために役立ちそうな含蓄のある言葉です。

定石で難しいのは周囲の状況によって変化することです。定石の手順を丸暗記して悪い結果が生まれることはよくあります。初中級者にとって定石は鬼門といえます。

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