この翻訳を読んで、キリスト教の教理書を江戸時代に誰が翻訳したのかを考えました。キリスト教の思想を、それを生んだ世界とは異なる日本の文化圏に移そうとした動機と「言葉」という媒体によってどのように日本語化したです。ポルトガル語(Portuguese)やラテン語(Latin)の辞書もない時代、どのようにして翻訳したのか、実に驚きです、一つの言語から他の言語に翻訳するとき、往々にして別の思想にもなりがちだ、と思うのですが、「どちりいな きりしたん」を読むとそうではないようです。
翻訳の作業には特有のぎこちなさが生まれるものです。浅学の一人として英語と日本語の翻訳をやっているときですら、そう感じます。しかし、「どちりな きりしたん」には、そのぎこちなさ、不自然さがないなめらかさがあるのです。翻訳に携わった信者のすみずみまでのこころ配りや、おろそかにしない辛苦が伝わってきそうです。
「ドチリナ・キリシタン」では、すべての人類が神による同じ被造物として霊性を与えられた存在であり、救いにあずかるべき価値と権利とを持つ者とされます。一個の人格は一切の権力の掌握にもまさる尊い存在として確認するキリスト教ヒューマニズムの再認識です。こうした世界観や人間観は、日本の思想史上まったく存在しませんでした。キリシタン大衆が果たして、それらを理解し把握したのでしょうか。そうした疑念があります。
それまで文字にすら接しなかった農漁民らが、「ドチリナ・キリシタン」というキリスト教理に通暁し、救いに預かり洗礼を受け入れるというだけでも困難なことであったと考えられます。救いとか救済ということは、浄土門的な素養を媒介によって理解することができたのでしょう。浄土門的な救済とは、一言で言えば「自分の力を捨てて、仏の力にすべてをゆだねることで救われる」という考え方です。
事実、現地の文化や習俗を尊重し、それらとの適応を採って布教効果を挙げる方針を採ったイエズス会士らは、多くの仏教的な表現を採用しました。キリスト教の根本的な教理である、在来の日本思想界にない概念は、原語というー本語主義を採ります。創造主のデウス、神の子キリストの受肉、救済、復活、三位一体、という神学的用語は庶民には容易には理解しがたいものであったはずです。それにも関わらずキリシタン教会では、「ドチリナ・キリシタン」にあるように、きわめて行き届いた教理教育を行ったことが伺われます。

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