アメリカ合衆国建国と植民地時代の歴史 その73 産業革命期の文学界

Last Updated on 2025年3月23日 by 成田滋

 1861年から1865年にかけてのアメリカの南北戦争(Civil War)前の数十年間、アメリカの文明は旅行者を惹きつけてやみませんでした。何百人もの旅行者が、新しい社会に魅了され、ヨーロッパの人々にアメリカを紹介するために「伝説の共和国(fabled republic)」のあらゆる面について情報を得ようとしてやってきました。

 旅行者たちが何よりも興味をそそられたのは、アメリカ社会のユニークさでした。旧世界の比較的静的で整然とした文明とは対照的に、アメリカは激動的で、ダイナミックで、絶えず変化し、人々は粗野ですが生命力にあふれ、強烈な野心と楽観、そして独立心に満ちているようにみえました。多くの教養あるヨーロッパ人は、軽い教育を受けたアメリカの庶民の自己肯定感に驚かされたようです。普通のアメリカ人は、地位や階級を理由に誰かに従うことはしないようにみえました。

 1800年代初頭、イギリスの風刺作家が「世界の至るところで、誰がアメリカの本を読むのか」と問いかけたことがあります。もし、そうした風刺作家が「ハイカルチャー」の枠を超えたところに目を向けていたなら、多くの答えが見つかっただろうと思われます。実際、1815年から1860年の間に、ヘンリー・ロングフェロー(Henry Longfellow) やエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の詩、ジェームズ・クーパー(James Cooper)の小説、ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne) の小説、ラルフ・エマーソン(Ralph Emerson)のエッセイなど、今では世界中の英語散文・詩の学習者に知られている伝統的文学作品が溢れんばかりに生み出されたのです。これらはすべて、アメリカらしいテーマを表現し、ナッティ・バンポ (Natty Bumppo)、ヘスター・プリン(Hester Prynne)、エイハブ船長(Captain Ahab)など、今や世界のものとなったアメリカらしい登場人物が描かれています。

 ナティ・バンポは白人の両親の子で、デラウェア・インディアンの間で育ち、モラヴィア派(Moravian)キリスト教徒によって教育を受けます。成人した彼は、多くの武器、特に長銃に熟練した、ほぼ恐れを知らない戦士です。ヘスター・プリンは「緋文字」(Scarlet Letter)の主人公で、婚外子を産んだとして近所の清教徒から非難された女性として描かれます。ヘスターは「アメリカ文学における最初で最も重要な女性主人公の一人」といわれています。エイハブ船長は、自らの片脚を奪った白い巨大なクジラ「モビーディック」(Mobby Dick)を追い求める半ば狂気の男です。

 それはさておき、ナサニエル・ボウディッチ(Nathaniel Bowditch)の『The New American Practical Navigator』(1802年)、マシュー・モーリー(Matthew F. Maury)の『Physical Geography of the Sea』(1855年)、ルイス・クラーク探検隊 (Lewis and Clark Expedition) やアメリカ陸軍工兵隊による西部開拓、そしてアメリカ海軍南極観測隊のチャールズ・ウイルクス(Charles Wilkes)による報告書は、世界中の船長、自然科学者、生物学者、地質学者の机上に置かれることになりました。1860年までには、国際的な科学界はアメリカの知的存在を認めるようになりました。

 エドガー・アラン・ポーは「アッシャー家の崩壊」(The Fall of the House of Usher)、「黒猫」(The Black Cat)、「モルグ街の殺人」(The Murders in the Rue Morgue)などの推理小説や「黄金虫」(The Gold-Bug)など多数の短編作品を発表します。有能な雑誌編集者であり、文芸批評家であったともいわれます。しかし、アメリカ文学がもともと清教徒の多い北部ニューイングランドで起こったもので彼の作品は不人気だったといわれます。

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