Last Updated on 2025年6月9日 by 成田滋
ポリティカル・コレクトネス(PC) の3回目の話題です。再度PCの意味を復習します。PCとは、人種、性別、宗教、障害、性的指向などに関する差別や偏見を避け、すべての人に対して尊重と配慮を持った言葉や態度をとることを意味します。つまり、他人を不快にさせたり、傷つけたりしないように、より中立で配慮のある言い方を心がける社会的姿勢です。
PCという用語に関する今日の議論は、学問と教育におけるリベラル偏向に対する保守派の批判に端を発しています。保守派はそれ以来、この用語を「言葉狩り」に対する主要な攻撃手段として利用してきた経緯があります。2020年に発表されたある調査によりますと、アメリカの大規模な州立大学の学生は、教員が概して寛容で、多様な視点の自由な表現を奨励していると答えています。とはいえ、大多数の学生は政治的な見解を表明することの顛末を懸念し、「政治的見解を表明することへの不安や自己検閲は、保守派であることを自認する学生の間でより顕著である」と指摘されています。
ヨーロッパの一部の保守派評論家は、「政治的正しさ」と多文化主義は、ユダヤ・キリスト教的価値観(Judeo-Christian values)を弱体化させることを最終目的とした陰謀の一部であると主張しています。この理論は、政治的正しさはフランクフルト学派(Frankfurt School)の批判理論に由来し、その支持者たちが「文化マルクス主義」と呼ぶ陰謀の一部であると主張しています。ちなみに、フランクフルト学派とは、ヘーゲル(Georg Hegel)の弁証法とフロイト(Sigmund Freud) の精神分析理論をマルクス主義と融合させてマルクス主義の問題点の克服と進化を試みた学派といわれます。2001年、保守派評論家のパトリック・ブキャナン(Patrick Buchanan)は著書『西洋の死』(The Death of West)の中で、「政治的正しさは文化マルクス主義である」と述べ、「そのトレードマークは不寛容である」と述べています。
アメリカでは、この用語は書籍や雑誌などのメディア界で広く使用されています。イギリスでは主に大衆紙での使用に限られているといわれます。多くの著述家や大衆メディア関係者、特に右派は、メディアの偏向と見なすものを批判するためにこの用語を使用しています。ジャーナリストのロバート・ノヴァク(Robert Novak)は、エッセイ「ニュースルームにPCは必要ない」の中で、新聞社が言語使用方針を採用し、偏見の印象を与えることを過度に避ける傾向があると批判しました。彼は、言語におけるPCは意味を破壊するだけでなく、保護されるべき人々を貶めると主張しています。
作家のデイビッド・スローン(David Sloan)とエミリー・ホフ(Emily Hoff )は、アメリカではジャーナリストがニュースルームにおけるPCへの懸念を軽視し、PC批判を古くからある「リベラルメディアの偏向」というレッテルと同一視していると主張していいます。作家のジョン・ウィルソン(John Wilson) によると、無関係な検閲については左翼の「政治的正しさ」勢力が非難されているとも主張します。タイム誌は、アメリカのネットワークテレビにおける暴力反対運動が「PC警察の監視の目」のせいで「主流文化が用心深くなり、清潔になり、自らの影を恐れるようになった一因になっている」と述べています。さらに、テレビ番組を標的とした抗議活動や広告主のボイコットは、一般的にテレビにおける暴力、セックス、同性愛の描写に反対する運動をする右翼の宗教団体によって組織されているとも主張します。
PCは、差別や偏見を避け、公平な言葉や行動を促進することを目的とする社会的態度や言語使用のスタイルです。 差別や偏見の是正や公共の場での言語の改善、職場や学校での安心感の向上など、肯定的な社会的影響が指摘されています。他方、言論の自由との衝突、自己検閲や過敏反応、さらに表層的な対応にとどまることなど、否定的または懸念される社会的影響も論議されています。
