この人を見よー内村鑑三 その三十四 「代表的日本人」の序文

少し遡りますが、日清戦争当時、内村鑑三が記した「代表的日本人」の中に「国土と国民」というエッセイがあります。この一文は、代表的日本人とは何かという問いの下敷きになっているものです。日本の国土の特色が国民性を創りあげ、代表的な日本人を輩出したという主張です。それを紹介することとします。

 内村は次のような序文から始めます。

「偉大」とは日本に縁のない言葉であろうか? 四千万人の日本人の多くは、大西洋岸に住まいする二千七百万人の異教徒のように「大方愚か」で「改宗」させねばならぬ「哀れな異教徒」であり、独創性がなく、他のまねをするよりほかに能のない国民、多民族に滅ぼされるために作られた「劣等な民族」であろうか?このように指摘するのは、生かじりの批評家であり、善意は持ちながら「真理の異教徒的反面」を知らぬ感傷的なキリスト教徒、すなわち宣教師である。

ゲルマン民族

 我らの国民性を公正に観察した人たちが、ひとしく述べるところを受け継げば、我々も、典型的な日本人とは「日本の国土が精神と化した者」であると内村は言うのです。それは、日本人が人種として偉大であるというのではありません。それは国土の構造が、雄大というよりは、むしろ画のようであり、繊細で愛らしく、美しいのと同様であるというのです。

ヘブライ民族

 ヘブライ民族(Hebrew) の深さ、ゲルマン民族(germanic) の重厚さは、我々のものとは違うかもしれません。しかし、ギリシャ人の有する感受性、イタリア人特有の明るさこそは、日本人にも共通する性格であるというのです。ギリシャ人、イタリア人と同様に、日本人は、人生の明るい面をみるように創られており、世界における日本の天職もこの方面にあるというのです。

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