この人を見よー内村鑑三 その三十三 コロンブスと彼の功績

1893年に内村鑑三は、「コロンブスと彼の功績」という著述を記しています。自身の信仰であるキリスト教的信仰に照らして、歴史上の人物や出来事を評価しています。彼にとって重要なのは、神の意志に従い、信仰をもって行動したかどうかという点のようです。本稿は、なぜ内村がクリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)を評価するのかを具体的に説明することにします。

 コロンブスは、大航海時代の探検家、航海者、コンキスタドール(Conquistador)、そして奴隷商人です。コンキスタドールとは、スペイン語で「征服者」を意味し、特に15世紀から17世紀にかけてスペインからアメリカ大陸へ渡り、原住民の国家を征服したスペインの兵士を指します。

ジェノヴァのコロンブス像

 定説ではコロンブスはイタリアのジェノヴァ(Genoa)の出身です。やがて、彼は積極的にスペイン語やラテン語などの言語や天文学・地理、そして航海術の習得に努めます。仕事の拠点であるリスボン(Lisbon)でパオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ(Paolo dal Pozzo Toscanelli)というイタリアの地理学者、天文学者、数学者と知り合う機会を得て、手紙の交換をしています。当時はトスカネッリはすでに地球球体説を主張していました。

 コロンブスは、「東方見聞録」の語り手であるマルコ・ポーロ(Marco Polo)の考えを取り入れ、トスカネッリの地球球体説を合わせて、ここに西廻りでアジアに向かう計画に現実性を見出したといわれます。また、現存する最古の地球儀を作ったマルティン・ベハイム(Martin von Behaim)とも交流を持ち意見を交換した説もあります。ベハイムはポルトガル王に仕えたドイツ人の天地学者、天文学者、地理学者、探検家でした。大航海時代には、ポルトガルが様々な海図を買い漁っていることはよく知られています。従って、ポルトガル王ジョアン2世(Joao II)と親交のあったベハイムが地図や海図を売っていたことも考えられます。これらの収集情報や考察を経てコロンブスは西廻り航海が可能だとする理論的な根拠に行き着くのです。

 ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)は、ポルトガル王国の探検家で、熟達した航海術と外交手腕を買われヨーロッパからアフリカ南岸を経てインドへ航海した記録に残る最初のヨーロッパ人といわれます。こうした探検の先駆者らによって、コロンブスは航海の成功きた期待するとともに、その使命を「神の導き」によるものと信じていました。内村はこの点に強く共鳴し、コロンブスが「神の召命」に従って新世界を発見した人物として評価します。信仰による探検という意気込みに感じるものがあったようです。

イザベル一世とコロンブス

 内村は、偉人の条件として「高い道徳性」と「信仰に基づく行動」を重視しており、コロンブスが困難を乗り越えつつも信仰を貫いた点を賞賛します。内村は、コロンブスの新大陸発見を「神の摂理の一部」と捉えています。つまり、単なる地理的発見ではなく、神が人類史において新たな展開を与えるために用いた人物として見ているのです。世界史的使命を成就したのがコロンブスというわけです。

 特に、コロンブスの航海によってキリスト教がアメリカ大陸に伝わったことを、福音の拡大という視点で肯定的にとらえています。コロンブスは、多くの人々に反対されながらも自らの信念を貫き、航海に出ました。内村はこのような「信念による行動力」を高く評価します。内村自身も、日本でキリスト教を信じるという少数派の立場に立ち、自らの信仰を貫いていたため、コロンブスに自己を重ねて見ていた節もあります。

 内村がコロンブスを高く評価しているのは、彼が単なる探検家としてではなく、神の召命に従い、信仰をもって偉業を成し遂げた人物として見ていたからです。彼にとってコロンブスは、信仰と勇気と使命感によって「神の御業を歴史に実現した人」であり、そうした生き方をこそ人間の理想像として評価しているのです。

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