この人を見よー内村鑑三 その二十八 「中江藤樹」

内村鑑三は「代表的日本人」の一人としてが中江藤樹を紹介しています。藤樹の生き方に感動した理由は、宗教的信条の違いを超えて、藤樹の「誠実な生き方」「内面的道徳の実践」「自己犠牲の精神」に深く共鳴したからです。その経緯を調べてみましょう。

 藤樹は、近江国出身の江戸時代初期の陽明学者です。最初は朱子学に傾倒しますが、次第に陽明学の影響を受け、その説く所は身分の上下をこえた平等思想に特徴があり、武士だけでなく農民、商人、職人にまで広く浸透し江戸の中期頃から、自然発生的に「近江聖人」と称えられました。

中江藤樹

 内村はキリスト教を日本に紹介するにあたって、形式や教義よりも「内面の信仰」や「誠実な生活」を重視しました。彼の「無教会主義」も、形式的な教会制度より「個人の内なる信仰」を大切にする立場です。 藤樹も、儒教者でありながら、朱子学などの形式的儀礼よりも「孝」を中心とした心の道徳を説き、自己の行動でそれを実践しました。たとえば、母のために職を捨てて故郷に帰った話などは、単なる儒教の教義ではなく、実生活に根ざした徳行の表れです。こうした藤樹の内面の誠実さと道徳の実践に内村は共鳴したのです。

 自分の信仰を行動で示すことを内村は何より重視しました。言葉での信仰告白よりも、「どのように生きるか」が大切だと考えます。藤樹も、儒学者としての教えを、日常生活の中で一貫して実行しました。村人に無償で教えを説き、困っている人には自分の米を分け与えるなど、まさに「信ずるところを実行する」生き方をしていました。藤樹の「儒教の信仰と行動の一致」にキリスト教的人格を見たのです。

 内村は「真のクリスチャンは名乗るものではなく、生き方に現れる」と考えました。彼にとって、藤樹はたとえキリスト者でなくても、その「神に近い生き方」を体現している人物だったのです。彼はこうした人物を「無名の聖徒(anonymous saint)」と呼ぶことがあります。つまり「名前はクリスチャンではないが、行いにおいて神に近い人」という意味です。宗教の枠を超えた「神に近い人格」の藤樹に共鳴したのです。

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