アメリカでは金銭が万能の力であることを内村は経験していきます。サンフランシスコに着いたとき、一行の者に降りかかった災難によってそれを知るのです。五ドル金貨の入った財布をすられたのです。「キリスト教国にも異教国同様にスリがいるぞ」と互いに戒め合ったというのです。シカゴでは拝金主義(mammonism)を体験するのです。それは、駅の食堂で食卓を囲んでいたとき、ハム族(Ham)とおぼしい黒人の給仕がやってきて、食前の祈りをしている内村らに「皆さんは信心深いですね、本当に。」といって寄ってきたのです。そして、自分達もメソジスト派の信者であるとか、教会の執事をしているなどと語るのです。
ハム族とは別名セム族と呼ばれ、旧約聖書に登場するノア(Noah)の息子セム(Sem)の子孫とされる人々、またはセム語を話す民族の総称です。古代には、メソポタミア(Mesopotamia)、シリア(Syria)、アラビア半島などに住む民族が含まれていました。現在では、主にユダヤ人とアラブ人がセム人とみなされています。
この黒人信徒や執事は実に親切で、彼らの信仰との共通の話題に興味ありげで、まる2時間聞いていたのです。別れ際になると彼は黒い手を差し出して「いくらかくださいよ、、、」とせがむのです。しかたなく、50セント銀貨を取り出して彼の手に握らせたというのです。この国では親切さえも物々交換なのかと嘆くのです。内村らはチップの事は知らなかったようでした。内村は後に渡し船の中で絹の洋傘を盗まれたりします。そして自分が異教徒であることの無邪気さに戻ったと述懐するのです。
キリスト教国において所持品の安全さが守られぬ事を知って、内村は不思議がるのです。キリスト教国民の間で見られるほと大がかりな鍵の使用を驚くのです。キリスト教国では、あえて金庫やトランクはいざしらず、あらゆるドアや窓、タンスや引き出し、冷蔵庫にいたるまで鍵が掛けられていて、主婦は腰に一束の鍵をガチャガチャさせながら働いているというのです。
自分の故国では、最も疑い深い人が言い出したと思われるような言葉があるといいます。「火を見たら火事と思え、人を見たら泥棒と思え。」しかし、内村は、くまなく鍵のかかったアメリカ人の家庭以上に、この戒めを文字通り実行しているところを知らないと述べます。「セメント造りの地下室と石造りの金庫とを必要とし、ブルドッグと警官とによって守らねばならぬ文明なるものは、果たしてしてキリスト教文明と呼び得るであろうか。公正なる異教徒の自分はそれを疑わざるを得ない。」
このように、キリスト教国と考えていたアメリカで、内村はこの国の人々に広まる強烈な人種的偏見の現実を体験します。残忍非道の方法で土地を奪われ、罠に掛けられ狩り回され連れてこられた黒人を目の当たりにするのです。彼らはアフリカからの輸入です。彼らにたいして相当の同情とキリスト教的友愛とが示され、サクソン(Saxon)の義人ジョン・ブラウン(John Brown)も虐殺されねばならなかった国です。キリスト教国民は今では「黒ん坊」として同じ客車に乗るほど寛容になったとえは、黒人との間に相当の距離をおくのを体験するのです。デラウエア州(Delaware)のある街の一区画が黒人専用になっているのを見て驚き、こんな厳重な人種的分け隔ては実に異教的なやり方だと知人に漏らすのです。
ジョン・ブラウンのことです。彼は白人の奴隷制度廃止運動家で、奴隷にされていたアフリカ系アメリカ人の解放のためにバージニア州(Virginia)ハーパーズ・フェリー(Harpers Ferry)で奴隷制度廃止運動を始めます。この町で武器庫を襲撃しますが失敗に終わり、捕らえられて後に反逆罪として絞首刑に処せられます。国中を震撼させた運動といわれます。