Last Updated on 2025年7月21日 by 成田滋
ハーレー・ダビッドソン(Harley-Davidson) に颯爽と乗っていた先生の紹介です。お名前はルロイ・アザリンド(Dr. LeRoy Aserlind)といいます。私のウィスコンシン大学(University of Wisconsin) での指導教授であった方です。
1978年にロータリー財団(Rotary Foundation)が指定するジョージア州(Georgia)での3カ月の英語研修を終わってウィスコンシンへ車で向かいました。『U-Haul』という小さなトレーラーにわずかの家財道具を乗せて出発しました。初めての大陸での長旅でした。『Haul』とは「引っ張る」という意味です。ですから、”You haul”をひっかけた造語が『U-Haul』といわれます。ウィスコンシン州の州都マディソン(Madison) に着きました。ウィスコンシン大学の威厳のある構内に入ったとき、「果たしてここで学位をとれるだろうか、、」という不安がこみ上げてきました。かつて、新潟などで宣教されていたルーテル教会の牧師さんがマディソンで牧会をされていました。この先生には事前にウィスコンシン大学で学ぶことを知らせてありました。この方のお名前はトマス・ゴーイング(Rev. Thomas Going)といいます。ゴーイング牧師は、1958年から2000年の長きにわたり新潟市、加茂市、三条市、そして東京で宣教されます。
ゴーイング牧師は、ウィスコンシン大学教育学部(School of Education) の行動障害学科の一人、アザリンド教授に私を指導してくれるよう依頼してくださっていました。アザリンド教授は1963年にウィスコンシン大学マディソン校で博士号を取得し、その後、リハビリテーション心理学・特別支援教育学科となった行動障害学科の助教授に任命されました。 1968年に准教授、1972年に教授に昇進し、1971年から5年間学科長を務めました。1965年から1970年にかけて、アザリンド教授は米国教育省のプロジェクトを指揮し、発達障害のある生徒の教師を養成する最初のプログラムの一つを提供しました。
先生は1980年代初頭には、「特別な子ども」と題した特殊教育入門コースの指導を開始し、全国の多くの大学でそのようなコースに採用された教科書の共著者となりました。先生の入門講座は、特別支援教育を専攻する学部生だけでなく他の学生にも好評で、学内で最も受講者数の多い講義の一つとなりました。学生からは、この講座が障害に関する認識と理解に大きく影響したという感想がしばしば寄せられました。
アザリンド教授の授業を受けたときです。最初の中間試験がありました。試験問題は多肢選択と記述という問題の組み合わせでした。この結果は惨憺たるもので、先生の部屋のドアに結果の一覧が張り出されていました。私はアメリカの大学での試験問題の対策に慣れていなかったのです。これが私の奮起を促す契機となりました。大学院とはいえ講義は徹底的な詰め込み教育であることを知りました。授業が終わると、すぐさま図書館などで筆記した単語を文章化し暗記することにしました。日本の大学では多肢選択問題で試験することはありません。大抵の場合、短文により記述試験問題が主流です。この日本とアメリカの大学の試験方法の違いを知った機会でした。
先生の授業は、スライドやビデオを使ったものでした。視覚的に受講生に講義内容の理解を促すという手法は私のその後の兵庫教育大学での授業で大いに役立ちました。当時登場した「PowerPoint」というアプリを使いスライドで授業をしたことが院生に広がりました。彼らの修士論文のプレゼンではこのスライドでの説明です。その時、ある教授はこうしたプレゼンの仕方に反論していたことが懐かしいです。ビデオやスライドを使うことで「百聞は一見にしかず」という言葉を皆が体感することになります。
アザリンド教授には家族ぐるみでスキーに連れて行ってもらったことも思い出です。ハーレー・ダビッドソンでモンタナへ何度も旅行し、退官後はそこに永住しました。2006年1月9日、モンタナ州(Montana)のリビングストン(Livingstone)のご自宅で、55年間連れ添った奥様マーガレット(Margaret)さんらご家族に見守られながらお亡くなりなりました。
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