暗号技術の歴史 その四 軍縮交渉における暗号の解読

Last Updated on 2025年7月12日 by 成田滋

第一次世界大戦後の1920年代、アメリカの暗号解読組織は、英国が既にやっていたように、日本の外交暗号を解読し始めていました。この解読組織は「ブラックチェンバー」(Black Chamber) と呼ばれました。この機関は、国務省と陸軍省が資金を拠出し、暗号研究者ハーバート・ヤードリー(Herbert O. Yardley) を責任者とするとして1919年に設立され、各国の暗号解読に取り組みます。特に大日本帝国に関わる業務に力を入れ、1920年代の同国の外交暗号のほとんどや、海軍武官、陸軍武官用の一部の暗号を解読していたようです。1921年11月に合衆国大統領ウォレン・ハーディング(Warren G. Harding) の提案により、軍拡競争を抑制し西太平洋や東アジアの安全保障問題を協議するために主要国間の海軍軍縮会議がワシントンで開催されました。会議では、主要国の保有する戦艦や空母などの主力艦の総トン数が協議されました。

Herbert O. Yardley

 最初アメリカは日本の主力艦総トン数を対米6割と主張します。アメリカに少しでも追いつきたい日本は対米7割を主張し、お互いの議論は平行線をたどり始めていました。この会議では、当時の「ブラックチェンバー」が日本の公電を全て解読していました。日米の意見対立で会議が頓挫することを恐れた加藤友三郎内閣の内田康哉外相は、ワシントンの日本代表団に妥協案を送ります。その内容は、まず6割5分で米側の出方を探り、それでも駄目なら6割もやむなし、というものでだったといわれます。ブラックチェンバーはこの電報を傍受し、解読することでこの情報を入手したのです。この暗号解読情報によって日本政府の譲歩ラインが対米6割であることが明らかになると、アメリカは強気の姿勢で対日交渉に臨むようになります。結局、会議では日本は最大の譲歩案を飲まされることになり、主要国の保有する主力艦の総トン数を、米:英:日:仏:伊の比率を5:5:3:1.67:1.67として決定するのです。なお、ドイツはすでにヴェルサイユ条約(Treaty of Versailles)で大きく制限されていたので会議には参加していませんでした。

内田康哉外相

 別の暗号解読の例です。1940年に旧陸軍気象部が、当時のソ連で使われていた「モスコー気象報放送用暗号」の「飜譯」(翻訳)に成功した資料があります。資料中には「乱数表」という用語が出てきます。これは数字を無作為に並べて表記した数列や表のことです。例えば、「8534」という乱数表を用いた場合について説明すると次のようになります。仮に、平文から変換された「1234」という暗号を送る場合、これに乱数表の「8534」という数値を足し、「9768」という数列に変換します。この状態で第三者がこれを目にしても、「8534」という乱数表の数値を用いなければ本来のかたちである「1234」という数列を知ることはできません。しかし、同じ乱数表を共有している人物がこれを見た場合、「9768」という数値から乱数表の「8534」を引くことで、もとの「1234」という数値にたどり着くことができるわけです。これを復号し、平文に直すことで文書は本来のかたちになります。

 最近の話題です。1994年2月のワシントンでの日米自動車交渉については、細川首相とクリントン大統領(Bill Clinton)の首脳会談でアメリカ側から提起されました。首脳会談の直前、日本政府は秘密裡に紛争解決のため特使を派遣して、クリントン大統領と会談しましたが、会談後、同特使がホテルに戻って東京と交わした電話通話は傍受されて、即座に翻訳されてホワイトハウスに報告されたそうです。「壁に耳あり障子に目あり」の典型です。今度の日米相互関税交渉で、経済再生担当大臣が何度もアメリカに出かけたのは、日本大使館と外務省などの暗号電話を使うことで情報が漏れるのを恐れたためかもしれません。大臣が何度も出かけなくとも、大使館に滞在して本国と秘策を練ることもできたはずです。

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