ずぶの素人音楽愛好家の一人が私です。いろいろのジャンルの音楽を楽しんでいます。日本の最北端、稚内高校時代に部活の響声クラブで歌い、その後北海道大学男声合唱団で’4年間歌いました。そのこともあり、ウィスコンシン大学に留学していたとき、マディソンにあるマウント・オリーブルーテル教会(Mt. Olive Lutheran Church) の聖歌隊で歌うことにもなりました。
こうした合唱を始めるきっかけをつくったくださった先生が稚内中学の音楽教師であった近藤艶子先生です。なぜ私を合唱団に入るように声をかけてくださったのかは、さっぱりわかりません。しかし、そのときから、なにも分からず歌を歌い始めることになりました。楽譜の読み方や発声の仕方を学び、男声と女声の混声合唱を始めました。旭川市でのNHK主催の全国唱歌ラジオコンクール、現在の全国学校音楽コンクールの中学校の部にも出場したことがあります。当時、稚内から旭川までは汽車で4時間かかりました。コンクールでは課題曲と自由曲を歌い審査されます。コンクールを控えて何度も練習を重ねたものです。近藤先生はピアノの伴奏をされました。コンクールの成績は全く覚えておりません。多分入賞圏外だったろうと察します。
大会翌日、部員の一人と旭川市内で映画を見ました。題名は「八十日間世界一周」(Around the World in Eighty Days)といって、後期ビクトリア朝の一貴族が賭けをして、世界を80日間で一周しようと試みる波瀾万丈の物語です。コンクールのことは定かに覚えていないのに、この映画を見たことを覚えているとはなんと近藤先生には失礼なこととお許し願いたいです。私は大の映画きちがいでもあるのです。(差別用語をご容赦ください。)稚内にいたとき、父親と「戦場に架ける橋」(The Bridge on The River Kwai)という有名な作品を見に行ったのも覚えています。タイとビルマ国境にあった捕虜収容所が舞台です。日本人大佐と英国大佐との対立と交流を通じ極限状態における人間の尊厳や名誉、そして戦争の惨さを表現した見事な作品です。
近藤先生からは、音楽鑑賞の時間にさまざまな西洋音楽を聴かせてもらいました。音楽室には歴代の有名な作曲家の写真が時代別に飾られていました。一番左端にはヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach)が、右端にはルートビッヒ・ベートーベン(Ludwig van Beethoven)が並んでいたものです。この音楽鑑賞をとおして賛美歌やバロック音楽等に接する機会ともなりました。マディソンでにはリコーダの工房があり、そこでローズウッド(rosewood) のアルトリコーダを購入しました。バロック音楽にリコーダは欠かせない楽器です。
今思えば小さい時から西洋や日本の音楽を聴かせてもらうことは、必ず大人になってからも音楽に対する興味や関心を高める契機となるということです。稚内中学校は創立78年を迎えます。校舎は新築され、私が学んだところに建っています。現在生徒数は95名です。今も音楽教育が受け継がれていることを信じつつ、近藤艶子先生から指導を受けたことを思い出します。先生は、引退後は旭川の郊外にお住まいになり、そこでピアノ教室を開いて後進の指導にあたられていたとお聞きしていました。恐らく鬼籍に入られたこととお察しします。忘れ得ぬお人はいつも記憶に鮮明に残っています。
綜合的な教育支援の広場
