忘れ得ぬ人 その三 囲碁の達人:吉澤 實氏

Last Updated on 2025年7月20日 by 成田滋

我が国の伝統文化である囲碁は、今や高齢化などによりその愛好者の人口がじわじわ減少しています。八王子囲碁連盟(八碁連)も例外ではありません。そんな中にあって、私は2019年から2021年に八碁連の会長を務めました。その経緯を申し上げますと、2018年に私は新米の理事として会長を補佐する副会長に推薦されました。八碁連は伝統的に副会長が会長になっていました。会長は長らく八碁連の会員であること、高段者であるなどが慣行となっていました。私はいわば八碁連では無名の三段でしたので、その条件にあてはまらなかったのです。にも関わらず会長であった恩方同好会の吉澤實八段は、何故か私を副会長に指名したのです。その理由は今もって分かりません。

 2018年は、八碁連の結成30周年にあたっていました。吉澤会長は設立30周年記念誌を作成しようと提案し、それが総会で承認されました。彼は最初の理事会で私を編集責任者に指名しました。私は過去にいくつかの本を出版してきたので、もとより記念誌の編集にも自信がありました。記念誌を作るにあたり、私は八碁連の未来を志向する構成にする、会員や求道者を読み手とする、八碁連の活動にスポットを当てる、視覚に訴える内容にする、という方針を立てました。それにそっていろいろな人々に原稿を依頼しました。対談の内容も加えました。予算をカバーすることも考えて広告を掲載することにしました。

 やががて依頼原稿が集まり、印刷会社に持参すると記念誌は100ページを超えることがわかりました。印刷会社は折角の記念誌なので表紙をカラー化する提案をしてきました。これでは発行予算を大幅に超過するので、会計理事は原稿数を減らすように提案してきました。私は執筆者には頼み込んで依頼した手前、もし原稿を減らすようなことが理事会で決まれば、理事を辞任するつもりでした。ですが吉澤会長のとりなしで、集まった原稿はすべて掲載することになりました。印刷費がオーバーしたので、当初の発行部数の1,000部から600部にはなりました。幸い広告収入もあり、記念誌一冊の単価が454円となりました。ちなみに20周年記念誌は白黒印刷でページ数は半分、一冊単価が396円でした。

 記念誌の作成とともに、インターネットの活用を提案し八碁連のWebサイトを立ち上げました。そのために「hachigoren.com」というドメイン名を取得しました。Webサイトでは、八碁連の様々な紹介や歴史、八碁連だよりの掲載、各種大会の案内、大会参加申し込みのフォーム、過去のさまざまな資料のアーカイブを保存することとしました。理事の間の連絡を円滑にするために、˛を作り理事の間での情報の漏れがないように工夫しました。吉澤会長はそれまで電子メールを使ったことがなかったのですが、婿さんのの指導で使い方を習得され、理事の間の情報交換は頻繁になりました。電子メールの利用により、八碁連だよりの原稿の点検も理事の間で行われるようになりました。吉澤会長らは、それまで会長の任期は一年という規約を改正しようと尽力され、総会にて会長を含む理事の任期を三年とすることになりました。

 2019年に会長に就任した私は、吉澤氏には相談役を引き受けていただきました。そしていくつかの試みに挑戦しました。女性の囲碁人口を増やすために、女性囲碁大会を始めることができました。しかし、2020年の1月15日に国内で初めての新型コロナウイルス感染者(COVID-19)が特定され、その流行によって国内は危機的状況を迎えることになりました。八碁連も各種の大会や集会は中止に追い込まれ、会員はネット上での対局などを余儀なくされました。ですが、インターネット上で、ZOOMというアプリを使い「オンライン囲碁セミナー」という研修を毎月開くこともできました。講師には会長を退いた吉澤氏らに依頼して研修を続けることができました。このようにコロナ禍を逆手にとって研修活動ができたのは、インターネットの活用と吉澤氏ら講師陣の活躍によるものでした。

 2022年8月24日に吉澤實氏よりメールを頂戴しました。東京医科大学八王子医療センターに入院との知らせでした。そして吉澤氏と交誼を結ぶ会員とでお見舞いの小冊子をお届けしました。私は次のような言葉を小冊子に添えました。

 私は、何度となく吉澤實氏に相談し助言を頂戴し、激励を受けて行動してきました。氏の虎の威を借りたことも度々でした。ですが吉澤實氏は2022年11月にご逝去されました。享年84歳であられました。

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