Last Updated on 2025年6月4日 by 成田滋
今でこそインクルージョン(inclusion)やインクルーシブ教育という用語は珍しくありません。もとはといえばメインストリーミング(mainstreaming)とかインテグレーション(integration)という用語と同義に近いものです。我が国では統合教育と呼ばれました。かつて私は那覇で設立した「丘の上幼稚園」で障がいのある幼児を受け容れたことがありました。そのことで沖縄が本土復帰して2年後の1974年、当時の文部省から幼児の統合教育の実践で研究指定を受けたのです。インクルージョンの「さきがけ」だったのではないかと密かに自負しています。
ウィスコンシン大学での研究を終えてから、国立特殊教育総合研究所に就職してからも欧米のインクルージョン実践の経緯は、逐次調べては論文にまとめていきました。アメリカの個別障害者教育法もインクルージョンを全面に押し出していました。ですが、我が国の普通学校と特殊教育諸学校の分離体制は堅固であり、インクルージョンは大分先になるように考えておりました。その間、欧米の先進的な取り組みを現地で調査したり、合衆国が発表する年次報告書などを紹介することによって、分離教育に風穴を開けることができるのではないかと考えていきました。文部省の特殊教育課長補佐と一緒にアメリカのナッシュビル(Nashville)やカナダのトロント(Toronto)などの学校を訪問しては、インクルージョンの実践を調査したものです。
もう一つは、裁判事例によって保護者や親の会を味方につけることでした。1986年頃だった記憶しますが、北海道は留萌市の中学校において、新設の固定学級(特殊学級)への配属を拒否した保護者と生徒が市教を相手に訴訟を起こした事例があります。原告の保護者は、娘を通常学級で学ばせたいという要求でした。留萌市教育委員会は、「原告の主張する親の選択権は、主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由に認められる権利というべきであって、心身障害児をどの学級に入級させるかという教育措置については、親にこれを選択する権利はなく、当該校長の権限に属する事項である」と反論したのです。
この裁判の経過は北海道新聞の記者から聞いておりました。記者からの電話を受けながら裁判の進行は気を揉む展開となりました。そして判決は原告の敗訴。その記者より判決内容についてコメントを求められました。そこで「生徒と保護者の意思を無視する固定学級での学びを強いるのは、時代錯誤、時代遅れの判決である」と記者に伝えました。
その私のコメントが、文部省の役人と筑波大学のM教授のものと一緒に翌日の北海道新聞に掲載されました。もとより文部省の立場は、判決は妥当なものであるというものです。M先生のコメントは中庸な内容だったと記憶しています。それを読んだ北海道教育庁の役人が、文部省の特殊教育課に知らせたらしいのです。そして文部省から研究所にそのことで問い合わせがあったようです。翌日私は研究所の上司から呼び出されて聴取を受け、その経緯を説明させられました。「時代に逆行する判決である」と伝えたと答えました。文部省直轄機関の一研究員が「お上」に逆らったのです。その聴取では、今後は報道機関からの問い合わせには事務を通すようにという軽躁なものでした。お咎めも始末書もありませんでしたが、しばらくは蟄居を余儀なくされました。時はインクルージョンの情報がじわじわ浸透し、研究所もこの趨勢に抗うことが困難であると判断していたようです。
2013年3月に川越市が脳性麻痺の子どもを特別支援学級で受け容れると発表しました。その顛末というのは、埼玉県教育委員会が、保護者の要求に対して、「特別支援学級では医療行為ができない、もし受け容れるとすれば保護者の同伴を要求する」というものでした。しかし、保護者は、共働きでなければ生活が成り立たないと主張します。川越市教育委員会は、すでに就学が2年も遅れている実情に鑑みて、2人の看護師をつけその子どもを受け容れるということになりました。一体、特別支援教育とはなんなのか、という問題提起をする事案でありました。
どうも私には権威に対するアレルギーのようなものがあります。苦労して勉強してきたこと、ヤワな鍛えられ方をしてこなかったという自負と自信も強く、前例とか組織の体質には疑問を抱くのでどうしても上司とは軋轢を生みがちになるのです。保護者と子どもの側に立つのが教育の基本ですから、どのような強圧的な指導が入っても終局的にはそれを論破していくことができる自負がありました。行政というのは慣例や慣行に対して内からも外からも疑問を差し挟むことが困難な体質があります。留萌の裁判事案がそうでした。多くの学校管理者などにある「つつがなくお勤めを果たす」という内向きの姿勢が、時代の趨勢に応じて変化することを難しくしているのです。
保護者が就学が遅れたことを理由に都道府県教育委員会を訴えるとすれば、恐らく被告は敗訴するはずです。これがもしアメリカで起こった事案とすれば教育委員会は100%、間違いなく敗訴します。それほど保護者や子ども権利は法律で保護されているのです。
