アメリカ合衆国建国と植民地時代の歴史  その14 ジョージアのサバンナ

Last Updated on 2025年1月7日 by 成田滋

博愛主義者の集まりであるフリーメイソン(Freemason)という友愛結社の会員であったイギリス人軍人のジェームズ・オグルソープ (James Oglethorpe)は、負債のために苦しんでいた人々の移住先を築こうと、ジョージア(Georgia)植民地のサバンナ(Savannah)にやってきます。オグルソープの計画は、投獄された債務者をジョージアに移送し、そこで彼らを労働によって更生させて、そのことによって所有者は利益を上げることができました。実際にジョージアに定住した人々や貧しい債務者でなかった多くの人々は、非常に制約の多い経済的および社会的システムに遭遇します。

Old Savannah

 オグレソープと彼のパートナーは、個々の土地所有の規模を500エーカー(約200ヘクタール)に限定し、奴隷制を禁止し、ラム酒の飲酒を禁止し、相続制度によって大規模な土地の蓄積を制限しました。こうした規則は考え方としては高潔でしたが、進取の気性に富んだ入植者と所有者との間にかなりの緊張を生み出しました。さらに、経済は植民地を更に発展させようとする人々の期待に応えていきませんでした。ジョージア州の絹生産は、カロライナ州と同様に収益性の高い作物とはなりませんでした。

 入植者は植民地の政治組織にも不満を持っていました。 土地の所有者は、理想となるような実験を綿密に実施することには主たる関心を持っていましたが、地元に自治組織をつくらせようとはしませんでした。 所有者の政策に対する抗議が高まるにつれ、1752年の王室が植民地の支配権を握ります。 その後、入植者が不満を持っていた奴隷制度を廃止しようとする制限が解除されました。

 フリーメイソンとは、中世のイギリスで生まれ、もともと石工職人(mason)から成る団体であったようです。その名残として、石工の道具であった直角定規とコンパスがシンボルマークとして描かれています。当時、建築学や職人の社会的地位は高かったようです。やがて建築に関係のない貴族、紳士、知識人が加入し組織が拡大します。

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