Last Updated on 2025年3月23日 by 成田滋
アメリカ国内では、ノア・ウェブスター(Noah Webster)の『An American Dictionary of the English Language』(1828年)が、かつてのキングズ・イングリッシュ(King’s English)に取り入れるべき何百もの地方由来の単語を掲載しました。1783年に出版されたウェブスターの青い背表紙の「スペラー」(Speller)、ジェディディア・モース(Jedidiah Morse)の地理の教科書、ウィリアム・マクガフィー (William McGuffey)の「エクレクティック・リーダーズ」(Electric Reader)は、19世紀のアメリカの学校で学ぶ定番のものとなっていきました。
大衆文学では、セバ・スミス(Seba Smith)、ジョセフ・ボールドウィン(Joseph Baldwin)、ジョンソン・フーパー(Johnson Hooper)、アルテマス・ワード (Artemus Ward)などの作家が、辺境のほら話(tall tales)や田舎の方言を題材にしたユーモラスな作品を発表しました。成長する都市では、新しい大衆娯楽が生まれ、人種差別をあからさまにした吟遊詩人ショーが行われ、スティーブン・フォスター(Stephen Foster) のバラッドのようなものが作曲されました。P.T.バーナム(P.T. Barnum)の「博物館」やサーカスも中流階級の観客を楽しませ、識字率の向上は、ジェームズ・ベネット(James Bennett)が開拓したニューヨーク・ヘラルド紙(New York Herald)の政治や国際ニュースにスポーツ、犯罪、ゴシップ、トリビアを加えた新しいタイプの大衆ジャーナリズムを支えました。
ハーパーズ・ウィークリー』(Harper’s Weekly)、『フランク・レスリーズ・イラストレイテッド・ニュースペーパー』(Frank Leslie Harper’s Illustrated Newspaper)、サラ・ヘイル(Sarah Hale)が編集した『ゴーディーズ・レディーズ・ブック』(Godey’s Lady’s Book)などの大衆誌も、女性の願いを汲んで、新興の都市で大活躍しました。これらは、内外からは低俗と言われながらも、ウォルト・ホイットマン(Walt Whitman)が『草の葉』(Leaves of Grass)(1855年)で声高に歌った生命力を反映し、民主的文化の隆盛をもたらします。
ウォルト・ホイットマンは、アメリカ文学において最も影響力の大きい作家の一人で、脚韻 (rhyme) も律格 (meter)のない作品を残し、今も「自由詩の父」と呼ばれています。奴隷制や禁酒運動の賛同者ともいわれます。スティーブン・フォスターは生涯で200曲余りを作り、多くはメロディが親しみやすいものです。
