Last Updated on 2025年3月21日 by 成田滋
1775年5月に第2回大陸会議がフィラデルフィアに召集されたとき、革命の成功は見通せませんでした。そのため議会は不測の事態に備えなければならず、2つの並行した問題に直面することになります。第一は、戦争遂行のためにどのように組織化するかであり、第二は、緊急性は低いものの、先送りすることができない議会と州の法的関係をどのように定義するかでした。
1775年6月、議会は軍服姿で登場したワシントンを最高司令官に任命するとともに、軍隊の召集を決定しました。そして、議会は厄介な財政問題に取り組みます。課税を嫌うのはアメリカ人の共通した感情であり、議会はまず国内融資を調達しようとしました。しかし、この作戦が成功しなかったのは、その成果が極めて疑わしいという理由があったからでした。同時に、会議では通貨を発行する権限も与えられました。これは国内戦費調達の最も重要な方法となり、戦争が進むにつれて、議会は大陸通貨をどんどん発行することになります。
イギリス発行の通貨は急速に価値が下がり、州政府の発行する通貨と競争しなければならなくなりました。大陸陸軍(Continental Army)は、委託代理人との商品引き換えに渡す証書を発行していました。これがさらなる通貨の供給源となりました。フランスやオランダをはじめとする海外からの借款も重要な収入源となりました。
1780年、アメリカ議会は、それまでの通貨をすべて停止し、40対1の比率で新たに通貨を発行することにしました。フィラデルフィアの商人ロバート・モリス(Robert Morris)は、1781年に財務長官に任命され、「フィナンシェ(Financier)–金庫番」と呼ばれるようになり、アメリカの複雑な財政難を解決に導いていきます。モリスの個人的な財政は国の財政と表裏一体なので、反対視されることも多かったのですが、モリスは自らの財力を使って、緊急に必要な海外からの融資を確保することにも成功します。
1781年、モリスはイングランド銀行(Bank of England)を手本にした最初のアメリカ銀行の設立許可を得ます。この銀行は、急進的な平等主義者からは、非共和的な特権の乱用として攻撃されましたが、やがてアメリカの強固な財政基盤を作ることになります。
戦争の資金調達と組織化の問題は、議会が抱える州との関係を規定する問題と重なることでした。州の連合体に過ぎない議会は、個人に課税する権限を持ちませんでした。1777年に議会が採択し、実施した政府組織計画である連合規約は、すべての州によって1781年までに正式に批准されます。議会は州に対して支払い能力に応じて賦課する権限を与えていました。しかし、再選を目指す州議会議員たちは、この方法を採用することを躊躇します。その結果、多くの州が常に多額の滞納をし、特に戦時中の緊急事態が収まった後は、議会はその経費や戦時中の債務を返済する能力が損なわれました。
