この内村のエッセイの書き出しは「新年に入りてより、四人の珍客は我が輩の小さな書斎に入りきたった。我が輩は謹んで彼らを優遇礼待せんとす。」となっています。この珍客とはもちろん、レンブラント、ベートーヴェン、ルーテル、そしてカントです。
『内村鑑三信仰著作全集』全25巻の第9巻目は、「なにゆえに大文学は出でざるか」「宗教と文学」「詩人ウォルト・ホイットマン」など、内村の文学観や人生観、および宗教観を語る内容となっています。その中に「交友の歓喜」と題するエッセイがあります。内村は、レンブラント(Rembrandt H. van Rijn)、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)、ルーテル(Martin Luther)、そしてカント(Immanuel Kant)の4人を心の友としていることを語ります。内村はこうした偉大な人物が世界人であることに感銘するのです。
「レンブラントは画界におけるカルビンと称せられし者であって、新教的思想を筆と色とで表し者である。彼は好んで商人、職工等、いわゆる下層の民と称せられたる者を描いた。彼はもちろん、彼の霊魂の救い主イエス・キリストを描いた。彼はいまの平民主義者のように、神を無視し、キリストをあざけるような者ではなかった。彼は平民主義をその根本において解した者である。彼の理想はの平民は、いうまでもなくナザレの大工イエスである。彼はこの人を神の子として拝した。ゆえに自身が平民の画家となったのである。」
内村の第二の珍客、ベートーヴェンについてです。「彼の肖像をみて、彼が音楽の人であるとはどうしても思えない。彼の眼は怒っている。どうしても調和の人ではない。不平の人である。憤怒の人である。」内村は「もちろん、自身は音楽を解しない。ゆえに美術的に彼を評価することはできない。しかしながら余は少しく彼の人物を知る。風波多かりし彼の生涯を知る。余は余の小さなる生涯が少しく、彼の大なるそれに似ている事を感謝する。」と書きます。
第三の珍客、ルーテルについてです。「彼のサクソン的(Saxson) な容貌、百姓面と称せんばかりの顔、眼は暴風の後の平静を示し、太りたる手は何物かを握るごとし、けだし聖書なるべし。」「ああ、ルーテルよ、余はなんじを知りし以来、なんじを忘れざるなり。余の小さななる生涯は多くはなんじの大なる生涯にならって成りしものなり。余はなんじの事業をもって余の事業となさんと欲す。」「使徒パウロ(St.Paul)と聖アウグスチン(St. Augustine)となんじ、余は今やまたなんじの接近を要すること切なり。しかして、余がもしなんじと余との救い主なる神イエス・キリストの命にそむくがこときことあらんには、なんじその鋭き眼をもって余を責めよ。」
内村は「第四の珍客はカント先生である」と書いています。「豪気なるカント先生、近世のソクラテス(Socrates)、しかもソクラテスよりも大なる哲学者。先生の哲学の大なるは先生の哲学のためでないことを、先生をして哲学者として立たしめしその精神、これが先生の偉大なるゆえであって、また先生の哲学の偉大なるゆえである。」「先生は自由と真理と信仰とのために堅固なる地位を設けたもうた。先生は哲学者としてよりは人類の友として貴くある。」
内村はこれら四人を心の友として仰ぎ見ていることが伝わります。著者がいかに博愛と心温かい世界人であったことが明らかです。内村は終生、一切の派閥に加わらず、独立の生涯を貫いたのは当然でありました。この四人の大先輩に関する記述によって、内村の伝道の精神、すなわち信仰の精神が理解できそうです。