札幌農学校の第一期生は、初代の教頭となったウイリアム・クラークの薫陶によって受洗しクリスチャンとなります。内村ら第二期生も一期生であった佐藤昌介らの熱心な奨めによって級友とともに改宗を受け入れ「イエスを信じる者の誓約」に署名するのです。
クラークは元はアメリカ合衆国軍の陸軍大佐であり、科学者でもあったので、教派とか信条、教義などにはこだわらなかったといわれます。当時の札幌の人口は数千人といわれ、札幌農学校が建てられた石狩平野はいわば原始林と原野のような姿だったようです。宣教師も牧師も教会もない時代で、学生は校内で祈祷会や聖書研究会を開いていたようです。皆信仰に充実で励まし合い、まるで初代教会のような集まりだったといわれます。そうした絆に結ばれた彼らの集まりはやがて「札幌バンド」と呼ばれていきます。内村はその信仰の代表者として宣教を始めるのです。


「札幌バンド」の中心となったキリスト教にいくつかの特徴があります。それはクラークの清教徒的(ピューリタン–puritanism)の信仰態度にありました。ピューリタンという名称は清潔、潔白などを表す「purity」に由来し、転じて頑固者や潔癖者を意味することもあります。「札幌バンド」の第一の特徴は、従って倫理的ということです。クラークは、自ら禁酒し、禁欲主義を教え、日曜礼拝や聖書の学習を徹底させたといわれます。それが「紳士的であれ」(Be gentlemen)という教えに現れています。
第二の特徴は、聖書的(biblical)ということです。クラークは札幌農学校に数十冊の英語の聖書を持参し、それを学生に読ませては聖書の研究を大事にします。聖書研究会は日常化していきます。聖書的とは、聖書全体、書簡全体、その箇所の前後の文脈に従い、書かれた当時の人々が理解したように聖書を読み理解するヘブル的視点(Hebrish)に立って解釈していくという姿勢です。ヘブル的視点をもう少し説明しますと、古代イスラエル民族、特に聖書のヘブライ語聖書、つまり旧約聖書に記されている思想に基づいた、独特な世界観・神観・人間観・歴史観などを指す概念です。これは、「ギリシャ的思想(ヘレニズム的思想)」といわれる哲学、知的・内省的な追求と対比されます。
札幌バンドのキリスト教の第三の特徴は、「福音的」(evangelical)ということです。「福音的」とは、聖書を信仰の中心に置き、個人の救いや福音の宣教を重視することを指します。「福音」つまり”良き知らせ”(Good News)を伝えることを使命とすることです。信仰の証としてクラークが学生と共に歌った讃美歌が知られています。「いさおなきわれを」(讃美歌271)、「北のはてなる」(讃美歌271番)といった歌です。学生は教室でも声高々に唱和したようです。
第四の特徴は、「独立的」(independent)ということです。いずれの教派にも属さない教会(単立教会)です。独立とは、他の教派への反抗ではなく、独立することが信仰の自由のために本質的に必要だったと考えたのです。それゆえに教会は必然的に、外国宣教師や宣教師団からの資金提供に依存せずに、日本人信徒による独自の宣教を行うことを是とするのです。「外国人の扶助を借りずして我国に福音を伝播するは我国人の義務なりと知りたる事」と信徒の一人で内村との同期生、宮部金吾は述べています。
第五の特徴は、「科学的」(scientific)ということです。クラークはキリストの愛を伝えながら、原始林の深い札幌の地において自然科学の研究にも没頭したようです。専門の植物学だけでなく、自然科学一般を英語で教えていきます。ダーウィンの「種の起源」も教科書のように英語で熟読させ、近代科学を敬遠するのではなく、科学をもって聖書の天地創造を理解しようとするのです。
第六の特徴は、「愛国的」(patriotic)です。「愛国的」「Patriotic」の語源は、ギリシャ語の「patriōtēs」(同国人)に遡ります。父祖の地とか祖国という意味となります。内村は、日本や日本人への強い愛情や誇り、忠誠心を大事にした人です。決して排他的なナショナリズムではなく、キリストによって救われねばならないのが日本人だというのです。札幌農学校を卒業するにあたり、同窓の新渡戸や宮部とともに、「生涯を二つのJ、すなわちイエス(Jesus)と日本(Japan)に捧げよう」と誓うのです。
札幌バンドのキリスト教の第七の特徴は、「友愛的」(fraternity)です。友愛とは、友人に対する親しみの情です。友情、友誼という他に対しての深い思いです。内村は、同窓生らと強い絆に結ばれて友愛の精神を育みます。友愛についての個人の責任,個人および社会の福祉のための自発的協同という理念は、キリスト教において人間の神への愛と人間相互の愛「アガペ」(愛)から生まれると信じたのです。
こうした札幌バンドの特徴が内村鑑三の信仰を形成した精神(エートス)であったといえそうです。