この人を見よー内村鑑三 その二十一 「今のキリスト者」

内村鑑三のキリスト信徒としての厳しさやキリスト教観は、多くの文学者や宣教師、邦人牧師が離れていくほど独特の特質を持っていました。その根本にはピューリタニズムの伝統、すなわち清教徒主義があったと考えられます。内村はカルヴァン主義(Calvinism)の影響を強く受け、カトリック教会をはじめ既存の教派から離脱し、聖書を重視し、禁欲や勤勉を説くなど、生活全般にわたる厳格な倫理観の持ち主だったといわれます。

ルターとカルヴァン

 ところでカルヴァン主義とは、プロテスタントの一派である改革派(reformer)の教義で、神の絶対的な主権と人間の罪深さを強調します。特に「予定説」(predestination theory)と呼ばれる、救われる人とそうでない人が神によってあらかじめ選ばれているという考え方が特徴的です。さらに現世での禁欲的な生活と、神に選ばれたという確信を得るための職業への従事を重視します。

 「内村鑑三信仰著作全集の19巻」に「今のキリスト者」という信仰生涯の論説があります。「今の日本のキリスト信者ほど当てにならない者はない。彼らは何がゆえに自身をキリスト信者なりと呼ぶのか。少しも分からない。」どこかの教会で洗礼を受ければそれでキリスト信者となったと思うのは間違いであると言うのです。また慈善事業に従事すれば、それでキリスト信者であるとも言えないという断定するのです。「キリスト信者とは、その名のとおり、聖書に明白に示してある主イエス・キリスト信ずるものである。その根本的協議において、パウロ、ペテロ、ヨハネと信仰を友にするものである」と言うのです。

「キリストをもって一の大人物のように見なしている者がたくさんいる。しかしながら、キリストをもって釈迦のさらに大なる者であると思う者は、いまだ聖書に明白に示してあるキリストをわからない者であると言わねばならない。」

 内村は日本人の中にある儒教的な思想を指摘して次のように言います。「我々はことに儒教とキリスト教との区別を認めるものである。もちろん二者いずれも善を勧め悪を懲らすものたるに相違ない。しかしながら、儒教はどこまでもこの世の宗教であって、それゆえに儒教を宗教と称うることはできない。一方、キリスト教はどもまでも天の宗教である。」

「かく言えば、人は余ひとりがキリスト信者を気取って、他はみなことごとく、これを排斥するように思うなれども、それは決してそうではない。キリスト信者とは、名誉の名のように思うているのがそもそも真正のキリスト信者でない一番のよい証拠である。キリスト信者は罪人の一種である。自身の罪深きを認めて、神の赦免を乞わんがためにキリスト十字架にすがる者である。」

「人の前に自分の罪人なるを表白し得ない者は決してキリスト信者ではない。しかるを、キリスト信者となりしとて文明的君子となりしように思う人は、いまだキリスト教の初歩も知らない人であると言わなければならない。」

宗教改革者

 内村が、このようなキリスト信者の現状を伝えたのは1901年ー明治34年です。極端なナショナリズムが台頭し、思想が漠然としている日本の現状にあっては、キリスト信者は孔子の弟子とキリストの弟子とを区別することが必要であると断言するのです。

 この明治34年頃は、日本は近代化を加速させる時期です。第5回内国勧業博覧会が開催され、八幡製鉄所が操業を開始するなど殖産興業政策が推進された年です。思想的には、新島襄より洗礼を受けた安部磯雄ら公娼制度の廃止や産児制限など、初期の女性解放運動にも積極的に関与し、社会民主党を結成します。安部は内村同様に日露戦争では非戦論を唱えるのです。しかし結社が禁止となり思想的な弾圧が始まります。大陸では、宗教的秘密結社である義和団による排外主義運動である義和団事変が起こったのも1901年です。

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