この人を見よー内村鑑三 その二 札幌農学校

内村鑑三と新渡戸稲造は,1876年(明治9年)に開学した札幌農学校に第二期生として入学します。彼らの青春時代の思想形成となった場所です。「文明開化」を旗印に、近代国家をつくりあげようと突き進んだのが明治といわれます。この時代は,司馬遼太郎のいう「この国のかたち」が形成されてゆく時代です。

 かなり多くの日本人が抱いている明治のイメージは,新生日本が世界の強国として成長していく明るく逞しい時代というものです。このイメージを定着させたのが司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』かもしれません。この小説は日露戦争で日本を勝利に導いた軍人秋山真之と秋山好古兄弟を主人公にして,国の目標と個人の目標が一致し,誰もが「坂の上に白く輝く雲を目指して上っていく」希望の時代,いわばこの国の青春時代を描いているようです。

 いわゆる「司馬史観」の近代日本認識では,昭和になると明治期の健康な時代と人が次第に破滅に至る国家主義の道へ向かう歴史です。司馬は、徹底して軍国主義を批判していきます。底抜けに明るい明治から、薄暗い昭和のイメージを司馬は近代日本像として描くのです。昭和の前半が軍国主義の暗い時代であったことは確かですが,明治はそんなに明るい時代だったのかという疑問もあります。昭和の破滅に至る道は明治期にすでに準備されていたともいえそうです。

司馬遼太郎

 「和魂洋才」の危うさを見抜き、軍国主義を批判して日本の真の近代化のために闘った人々がいます。元東大総長の矢内原忠雄は、1940年5月に岩波新書からの『余の尊教する人物』の中で次のように述べています。「内村鑑三と新渡戸稲造とは私の二人の恩師で,内村先生よりは神を,新波戸先生よりは人を学びました。両先生は明治初期の札幌農学校で同級の親友でありましたから,その意味では私も札幌の子であります。」この二人が奇跡のように出会って同級生となった札幌農学校とはどのような学校だったのでしょうか。

 矢内原は、1961年7月、札幌市民会館において北海道大学の学生のために「内村鑑三とシュヴァイツァー」と題してを講演し、「立身出世や自分の幸福のことばかり考えずに、助けを求めている人々のところに行って頂きたい」、そして「畑は広く、働き人は少ない」という聖書の言葉で結んだそうです。初期の札幌農学校はこの二人の外にも日本の近代化にかかわった優れた人物を輩出していますが,この学校は,学士号を授与出来る大学としては東京大学より1年早く,わが国初の大学となりました。かつて蝦夷地といわれた北海道という僻遠の地にそれまでの日本的伝統から解放された近代精神が育っていくのです。

矢内原忠雄教授辞表の報道

 明治に時計を戻します。札幌農学校といえばウイリアム・クラーク(William Clark) をおいて他に出る者はいません。クラークはもともとアメリカの南北戦争(Civil War) を戦った合衆国軍(北軍)の大佐でした。マサチューセッツ農科大学(Massachusetts Agricultural College)、現在のマサチューセッツ大学アマースト校(University of Massachusetts Amherst)の学長であり,熱心なプロテスタンティズムのキリスト者でした。明治政府は,このお雇い外国人に学生の知育,徳育,学術を委ねたのです。当時、マサチューセッツ農科大学はアメリカでも最先端の学府であり,札幌ではそのカリキュラムそのままを英語で学生に講義しました。キリスト教はいうまでもなく、西欧近代精神の骨格をなすものです。我が国では、1873年(明治6年)に正式にキリスト教禁制が解除されます。

 明治政府は国家神道を基盤に置きつつも、近代国家建設のために、西洋の制度や思想を積極的に取り入れようとしていきます。こうした方針は、近代化の方向性と同化していたといえます。教育や国際関係の面でキリスト教をある程度容認していく姿勢をとっていくのです。クラークの教育方針は、キリスト教的倫理、個人の尊厳、勤勉の精神などです。学生はクラークの教育方針に感化されていきます。

 終わりにキリスト教と資本主義の関係です。経済の資本主義化は「近代化」の重要な要素ですが,問題はここでもそれを支える人間の精神です。マックス・ウェーバー(Max Weber)な社会学者が1905年に著した『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus) という本にも関連しますが、ここでは札幌農学校にもたらされたプロテスタンティズムのキリスト教は単なる宗教思想としてではなく、日本の近代化につながる精神ーエートス(ethos)であったということです。

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