この人を見よー内村鑑三 その三十一 「西郷隆盛」

内村鑑三が『代表的日本人』の中で西郷隆盛に深く共鳴した理由は、彼が西郷に理想的な道徳的人格とキリスト教的精神を見出したからです。以下にその具体的な理由を整理します。

 内村は西郷の生涯を通して示された誠実さ、正義感、そして自己犠牲の精神に強く共鳴しました。特に西郷が私利私欲を求めず、常に公のために尽くした姿勢を理想的な「日本的キリスト者」として評価しました。 西郷は明治政府で高い地位にありながらも、権力に固執せず辞職し、最終的には西南戦争で命を落とします。高い道徳性と誠実の生き方は、内村にとって「信仰による義」の実践でした。

 西郷は形式的な宗教ではなく、内面において深い敬神の念を持っていた人物でした。これは内村の「無教会主義」と非常に親和的でした。内村は、西郷の精神性を「自然なキリスト教精神の体現」と見なしました。西郷が語ったとされる「天を敬い、人を愛す」という言葉は、内村の宗教観と重なります。神を畏れる宗教性に共鳴したのです。

 西郷は子弟の教育にも尽力します。設立した私学校は、当初は西郷隆盛によって不平士族の暴発を抑えるための教育機関となります。教務は主に漢文の素読と軍事教練でした。設立の真の目的は不平士族の暴発を防ぐ事にあったとされます。そのため入学できるのは士族、それも元城下士出身者に限られました。しかし、やがて生徒が暴発して西南戦争の直接的原因が生まれ、薩軍の軍事拠点となります。今は、門と壁のみが史跡として残されています。

私学校の門

 内村は、日本の歴史や文化の中にもキリスト教的価値である愛、誠実、謙遜などが内在していると考えており、西郷はその好例だと捉えていました。西郷はキリスト教徒ではありませんが、その人格や生き方がキリスト教的倫理にかなっていたのです。 日本的精神とキリスト教精神の融合を感じたのです。

田原坂の戦い

 要約しますと、西郷は常に民衆に寄り添い、彼らの幸福を第一に考えたといわれます。これもまた内村が理想とするリーダー像に一致します。特権階級ではなく「庶民の中の英雄」としての西郷の姿に、内村は強く感銘を受けるのです。内村にとって西郷は、宗教的・道徳的・社会的に理想的な人物像であり、日本人としてキリスト教の精神を体現した「代表的日本人」だったのです。

綜合的な教育支援の広場

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