1878年6月2日、内村鑑三はアメリカから来ていたメソジスト派(Methodists)のメリマン・ハリス(Merriman C. Harris)宣教師より洗礼を受けます。内村17歳のときです。ハリス師とは終生の親友となります。
「彼の前に我々がどんな具合にしてひざまずいていたか、また我々の罪の為に十字架につけられしキリストの名を告白せよといわれたとき、堅い決心のうちにもどんなに震えながらアーメンと応えたかを、私は今でもよく覚えている。ところで我々は、日々との前にクリスチャンたることを告白すると同時に、おのおの洗礼名をつけるべきだと考えた。そこで、ウェブスター字典の付録を調べてそれそれ自分にふさわしいと思う名前を選びだした。」 内村は『旧約聖書』の「サムエル記」(Books of Samuel) 20章に登場するダビデ(David)に対するヨナタン(Jonathan)の友愛にいたく動かされていたので、ヨナタンと名乗ることになります。
「サムエル記」に登場するサウル王(King Saul)は、ダビデがイスラエルの王位に就くことを望んでいるのではないかと疑い、ダビデを殺害しようと目論むのです。しかし、ヨナタンは父の意図を知ると、 ダビデの身に危険が迫っていることを知らせるという記事があります。内村は洗礼の感動を次のように記します。
「ルビコン川はこうして永久に渡られた。我々は新しい主人たるキリストに忠誠を誓い、我々の額には十字架のしるしが刻まれた。いざこの後は地上の主君のために教えられてきた忠誠の念をもって、キリストに仕えていこう。ひとたび回心して信者となった我々は、こうして、さらに伝道者となったからである。そのためにはまず何よりも教会を作らねばならぬ。」
「ルビコン川を渡る」とは、ある重大な決断・行動をすることのたとえです。ルビコン川は、古代ローマ時代、ガリア(Gallia)とイタリアとの境をなした川です。ローマ時代、ルビコン川より内側には軍隊を連れて入ってはならないとされており、違反すれば反逆者として処罰されたのです。しかし、ユリウス・シーザー(Gaius Iulius Caesar)が大軍を率いてこの川渡り、ローマに向かうのです。