暗号技術の歴史 その五 ミッドウェー海戦と暗号

Last Updated on 2025年7月13日 by 成田滋

日本が暗号解読の重要性を認識したのは、1923年にポーランド参謀本部の大尉を日本陸軍に招聘して、ソ連暗号の解読講習を行ったのがきっかけだったといわれます。その後、陸軍参謀本部内に暗号解読班が設置され、ソ連や欧米諸国の使用する暗号が解読されていきます。陸軍は英国や中国、ソ連の外交・軍事暗号のかなりの部分を解いていたようです。日本軍はこのような暗号解読情報を基に戦略的判断を行い、米英は介入しないという情報を得てから北部仏印への進駐を実行します。このように太平洋戦争開戦までに、日本軍の暗号解読能力はかなりの実力を持っていたといわれます。

 太平洋戦争の転機になったのは1942年6月のミッドウェー海戦(Battle of Midway) といわれます。海戦の直前、米軍の暗号解読組織の貢献によって、米海軍は日本側の狙いがミッドウェー島(Midway Atoll)にあることを知り、待ち伏せによって日本海軍の4隻の航空母艦を撃沈します。当時の日本海軍の暗号は5数字暗号と呼ばれるもので、日本語の単語を5桁の数字に置き換え、それに5桁の乱数を加算することで組み立てられるものでした。暗号が複雑になりミスも生じるようになりました。米海軍の暗号解読者たちは、日本海軍の通信の中に生じるミスに着目し、それが何を意味するのかを解明し暗号を理論的に解読していきます。

ミッドウェー海戦

 1942年4月頃には、ハワイ真珠湾(Peal Harbor) に所在するアメリカ海軍の情報班が、日本軍の暗号を断片的に解読し、日本海軍が太平洋正面で新たな大規模作戦を企図していることについておおまかに把握していました。この時点では時期・場所などの詳細が不明でしたが、5月頃から通信解析の資料が増えてきたことにより暗号解読との検討を繰り返して作戦計画の全体像が明らかになります。そして略式符号「AF」という場所が主要攻撃目標であることまでわかってきます。「AF」がどこを指しているのかが不明な状態でしたが、5月ごろ、諜報部にいた青年将校の提案により、決定的な情報を暴くための一計が案じられます。この将校は、ミッドウェー島の基地司令官に対してオアフ島・ミッドウェー間の海底ケーブルを使って指示を送り、ミッドウェーからハワイ島(Hawaii Island)宛に「海水ろ過装置の故障で、飲料水不足」といった緊急の電文を英語の平文で送信させます。その後、程なくして日本軍のウェーク島(Wake Island)守備隊から発せられた暗号文に「AFは真水不足、攻撃計画はこれを考慮すべし」という内容が表れたことで、「AF」はミッドウェー島を示す略語と確認されるのです。こうしてミッドウェー島及びアリューシャン(Aleutian Islands) 方面が次の日本軍の攻撃目標だと確定されます。

山本五十六連合艦隊司令長官

 ミッドウェー海戦後、日本海軍内では敗因についての検討が行われますが、驚くべきことに暗号が解読されたことには、ほとんど注意が払われていませんでした。このような日本海軍のセキュリティー意識の低さは、その後も山本五十六連合艦隊司令長官搭乗機撃墜事件の原因にもなっていきます。日本海軍は、撃墜事件の2週間前に暗号表となる乱数表を更新したばかりで「アメリカに暗号を解読された」という見解をとることができなかったという説もありました。しかし、後のアメリカ軍史料によれば、この山本五十六司令長官の視察では、更新前の古い乱数表を使って山本の日程表を送信していたことが分かっています。アメリカ軍は、たまたま山本五十六司令長官らの視察に偵察機らが見つけて、撃墜したとして暗号の解読結果を隠していたのです。ともあれ日本軍の暗号は見事に解読されていたのです。

 このように開戦までは高い暗号解読能力と強固な暗号を誇った日本陸海軍でしたが、戦争中になると連合国に後れをとる事例が目立ち始めます。最も強固とされた陸軍の作戦暗号についても、1943年4月以降、徐々に解読されるようになります。その理由は、日本軍の上層部が暗号の重要性を認識せず、そこに予算や人員を投入しなかったことが大きかったといわれます。暗号書の変更も定期的に行われなければならないのですが、広大な戦域の隅々までそれを配布するには膨大な労力と時間が必要となりました。それ故、古い暗号をそのまま使い続けた結果、米側に解読されてしまったのです。パスワードも定期的に変更するのが必要なのと同じです。

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