Last Updated on 2025年7月17日 by 成田滋
情報と暗号をめぐる実話は、小説よりも奇なり、といえます。第三代ドイツ皇帝フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世(Friedrich Wilhelm II) は、史上最後のドイツ君主と呼ばれています。外交では一貫して帝国主義政策を推進し海軍力を増強して新たな植民地の獲得を狙います。そしてイギリスやフランス、ロシアなど他の帝国主義国と対立を深めていきます。海軍大臣のアルフレッド・ティルピッツ(Alfred Peter Friedrich von Tirpitz)が中心となり軍艦の巨大な建造計画が立てられます。海軍力の増強によってイギリスに追いつくことを目指します。不安に怯えるイギリスも追随されまいと戦艦を建造し続けます。
その不安に油を注いだのが、イギリス人ジャーナリスト、ウィリアム・ル・キュー(William Le Queux)が1906年に発表した架空戦記、『1910年の侵攻』(The Invasion of 1910) といわれます。この作品は、1910年にドイツがイギリス本土に侵攻するという設定の筋書きです。その侵攻ルートまでが詳細に描かれ、その内容がイギリスで最も古いタブロイド紙『デイリー・メール』(Daily Mail) 紙上で連載されます。このタブロイド紙はドイツ軍の脅威を過度に煽っていくのです。
ル・キューは1909年に『ドイツ皇帝のスパイたち』(Spies of the Kaiser)と題した小説で、既に5万人を超えるドイツ人スパイがイギリス国内で暗躍していることをほのめかします。この小説の影響は一般のイギリス国民だけではなく、陸軍省作戦部の中枢にも及んでいきます。そこで1909年10月、イギリス国内のドイツ人スパイを摘発する保安局で後のM-I5とドイツの軍拡についての情報を収集する秘密活動局、後の「M-I6」が設置されることになります。これが世界で初となる常設の情報機関の誕生といわれます。
1914年に始まった第一次世界大戦で活躍したのは「M-I6」でした。戦争が始まるとイギリス海軍のヘンリー・オリバー大将(Henry Oliver)は、海軍の情報部長として「40号室」(Old Building)と呼ばれる暗号解読組織を立ち上げます。彼は、物理学者ヘンリー・ユーイング(Henry E. Ewing)ら、在野の数学者、言語学者を集めて海軍省本部の40号室で暗号解読を開始します。40号室は約15,000の無線と通信網から傍受したドイツの通信を解読したと推定されています。その中で最も有名なのは、1917年1月にドイツ外務省から発信されたドイツとメキシコの軍事同盟を提案した秘密外交通信電報です。40号室はそれを傍受し、解読します。その解読により当時中立だったアメリカを連合国に引き込み、第一次世界大戦中のイギリスにとって最も大きな諜報活動の勝利であったと言われています。
この経緯は以下のようなものです。「40号室」の任務は、イギリスの同盟国であったロシアが、海軍本部に渡したドイツ海軍の暗号コードから発展したといわれます。1914年10月にはイギリスはドイツ海軍の軍艦や商船、飛行船ツェッペリン(Zeppelin)およびUボート(U boat)が使用していた暗号コードを入手します。更に11月にはイギリスのトロール船が、沈没したドイツの駆逐艦から金庫を回収し、その中からドイツが海外の海軍士官、大使館、軍艦と通信するために使用した暗号コードが発見されます。
1917年1月、ドイツのアーサー・ツィンマーマン外相(Arthur Zimmermann)は、メキシコとの密約を記した暗号電報を駐メキシコ大使のハインリヒ・エカート(Heinrich von Eckardt)に通知します。内容は、当時中立であったアメリカが対独参戦する場合、メキシコは直ちに対米参戦し、その見返りとしてドイツはテキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州をメキシコに割譲するというものでした。このツィンマーマン電報(Zimmermann telegram) は暗号化され、ベルリンのアメリカ大使館からイギリスを経由しワシントンに送られます。そのときのアメリカ大統領はウッドロー・ウィルソン(Woodrow Wilson)でした。イギリス海軍の解読機関40号室は、目ざとくこの通信を盗読していたのです。
当初、アメリカの世論はこの内容に懐疑的だったのですが、3月にツィンマーマン外相自身が記者会見の席上で電報は本物だと認めてしまいます。これはドイツ側の一大失策となります。自国の領土が隣国メキシコの脅威に晒されていることが明らかになったことは、アメリカ政府のみならず、国民世論にも激しい衝撃を与えます。こうしてウィルソン大統領は1917年4月2日、議会での歴史的な演説で、第一次大戦への参戦の決意を表明するに至ります。大戦後、ウィルソンは ヴェルサイユ条約(Treaty of Versaille) の批准とともに、国際連盟(League of Nations)の設立にも尽力します。
綜合的な教育支援の広場
