プラトンの対話篇である「国家」という著作の主たるテーマは、文字通り国家のあり方です。現代世界において我々が最も切実に関心を抱いている問題でもあります、
プラトンは、世界には無知で多数の大衆が存在するといいます。その人々の感覚や感情に訴えかけて、彼らを惹きつけたり騙す政治があるというのです。「洞窟の比喩」における「影」のごとき虚偽的で劣悪な人物像を、見聞き共感したり、模倣したり真似する習慣を身に付けてしまうことは、自分の「魂」の中の理知や分別を崩壊させてしまうというのです。そしてひいては、そうした人間を増殖させて「国家の国制」をも崩壊させてしまうことにつながると警告するのです。
プラトンは言います。「教育」とは、元来無かった「知識」を、外から植え付けるといったものではなく、「魂」の中にはじめから内在している「真理」を知る機能としての「知性」を「身体」全体ごと転向させることだと言うのです。その目を「暗闇」から「光明」へと転向させたのと同じように「魂」全体ごと、生成流転する可視界から実在や実在の中でも最も光り輝く善の世界へと転向させ、導いていくものでなくてはならないとするのです。言わば「植え付けの技術」ではなく、「向け変えの技術」という正しい方向へと向き直すよう工夫する技術であるとします。
「洞窟の比喩」の示唆は次のようなことです。すなわち国を統治する者は、このような教育を積んで「真理」を知る必要があるのです。逆に教育を積むことだけに終始して、実践に参加せず、生きている時からあの世という冥府に移住したつもりになっているような者であってはならないとも言うのです。従って「国の支配者たる者を育成する教育では、最も優れた素質のある者たちに上昇の道を登らせて、善まで到達させると同時に、その「上方」に留まるだけでなく、再び「下方」の「囚人仲間」の元へと降りて来て、彼らと苦労や名誉を分かち合うようにさせなければならない。」
今日的な例で言うならば、オールドメディアやニューメディアの情報だけを見て「それが世界のすべて」だと思うこと、偏ったニュースだけで判断すること、世の中の常識を疑わずに受け入れてしまうことは、「洞窟の影」を見ている状態に近いということです。プラトンは、真理を知り人々を導く統治者の登場を待望していたようです。

