ミュンヘン会談と宥和政策 その一 トランプとプーチンの会談

宥和政策(Appeasement)とは、戦争の回避、あるいは実用主義などに基づいた戦略的な外交スタイルの一つの形式です。敵対国の主張に対して、相手の要求をある程度受け入れることによって問題の解決を図ろうとする政策です。宥和主義ともいわれ、危機を抑止する概念といわれます。

Munich Agreement

 なぜ宥和政策の話題を取り上げるかです。今週、トランプ大統領がプーチン大統領とアラカスカで会談することになりました。この会談でどのようなことが協議され、どのような結論が出るかは興味あります。報道によりますと、トランプは、プーチンとで領土の交換をし、それで停戦しようとしているらしいとのことです。この二人の大統領の会談には、当事者であるウクライナのゼレンスキー大統領(resident Zelensky)は蚊帳の外だというのです。ウクライナはロシアの領土であるクルスク州(Kursk Oblast)の一部を占拠していますから、それを得る代わりにドンバス地域(Donbas)をロシアに渡すという案です。ウクライナはロシアが占拠するドネツク州(Donetsk)とルガンスク州(Lugansk)を渡すことには反対しています。まずは双方が停戦して、その間領土の協議をしようという計画だったようです。

チェコスロバキア領土の奪い合い

 ウクライナがアメリカとロシアの会談に臨めないとなれば、これに似た歴史が1938年に開かれたミュンヘン会談(Munich Agreement) を思い起こします。この会談は、ドイツのミュンヘンで開催された国際会議で、チェコスロバキア(Czechoslovakia)のズデーテン(Sudeten)地方帰属問題が協議されました。この会談にはイギリス、フランス、イタリア、ドイツの首脳が出席します。ドイツ系住民が多数を占めるズデーテンの自国への帰属を主張したドイツのアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler) 総統に対し、イギリス・フランス両首脳は、これ以上の領土要求を行わないことを条件に、ヒトラーの要求を全面的に認め、1938年9月29日付けで署名します。

 この会談で成立したミュンヘン協定は、戦間期の宥和政策の典型とされ、イギリスとフランスの思惑とは裏腹にドイツの更なる増長を招き、結果的に第二次世界大戦を引き起こしたことから、一般には強く批判されることが多い協定です。

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