Last Updated on 2025年5月19日 by 成田滋
ドイツ語では、一般名詞、代名詞、冠詞、形容詞に主格・属格・与格・対格の区別があります。名詞は男性、女性、中性名詞に分けられています。der Vater(父), die Mutter(母), das Buch(本)などです。名詞は必ず大文字となります。動詞は人称、数、時称、話法によって変化します。「私は~です」「これは~です」というように、人・物の紹介や状態(形容詞)を伝える動詞は「sein」です。英語のbe動詞に相当します。一人称はich bin, 二人称はdue bist, 三人称はer istという按配です。英語と同様にドイツ語の動詞は変化します。一人称はich binの過去形は、ich bins, 三人称er istの過去形はer war となります。
ドイツ語文法の初歩はこのくらいにして、ドイツ語の哲学用語を調べてみます。日本語化?したドイツ語が沢山あることに気がつきます。以下、思いついたものです。
ゲシュタルト (Gestalt) 形、形態、状態、テーゼ (These) 綱領、エスイク(Ethik)倫理、トラウマ (Trauma) トラウマ、ロジック(Logik)論理、インダクション (Induktion) 帰納、ゼミナール(Seminar)、カテゴリー(Kategorie)、コンメンタール (Kommentar)注釈書という具合です。
次に生成AIを参考にしてドイツで哲学者が生まれた調べてみます。第一は、マルティン・ルター(Martin Luther)らにる宗教改革(Protestant Reformation)とプロテスタント(Protestant)の影響があります。宗教改革は、16世紀の西方キリスト教世界における教会体制上の革新運動のことです。当時の旧教であるローマ・カトリック教会から新教の分離へと発展します。カトリック教会の教義や権威への批判から生まれます。聖書の言葉を忠実に理解し、個人の内面と信仰に重きを置く考え方を促すのです。この精神がドイツにおける哲学的思索の土壌を育てていきます。
第二は、ドイツには中世から続く古い大学が多くあり、哲学や神学、論理学の学びが重視されてきました。1502年設立のヴィッテンベルク大学(Wittenberg Universität) や1694年設立のハレ大学(Halle Universität) は、その例です。この二つの大学は、後にマルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク(Martin-Luther-Universität Halle-Wittenberg)となります。ルターがヴィッテンベルクで教鞭をとっていたことに因んで名付けられます。他に1544年設立のケーニヒスベルク大学(Albertus-Universität Königsberg)、1558年設立のフリードリヒ・シラー大学イェーナ(Friedrich-Schiller-Universität Jena)などが学問の発展の重要な拠点になったといわれます。
第三は、イマニュル・カント(Immanuel Kant)を初めとする「ドイツ観念論」(Deutscher Idealismus)と呼ばれる哲学思想が広がります。ドイツ古典主義哲学(Deutsche Klassik)やドイツ理想主義哲学(Deutscher Idealismus)とも呼ばれています。要は、哲学は抽象的・体系的思考の最高峰として社会的に認知されて、18世紀のヨーロッパ全体に流行した理性による世界の理解・進歩への信念といった啓蒙思想に受け継がれていったと解説されています。
ただ、カントの時代のヨーロッパではユダヤ人に対する偏見が広く存在していたといわれます。カントもそれに共鳴していたという驚くべき指摘がなされています。カントの観念論と反ユダヤ主義がどうして結びつくのかは、私の理解を超えた誠に難しい話題です。
